赤壁の戦い

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冒頭
赤壁の戦い(せきへきのたたかい)とは、後漢末の建安十三年(二〇八)ごろ、曹操軍と孫権劉備連合軍が長江揚子江)流域の赤壁烏林一帯で戦った水陸の会戦です。吉川英治三国志』では「青史にのこる赤壁の会戦」として、曹操軍の大敗を決定づける戦役として位置づけられます。
 
概要
戦場は長江流域の南北両岸にまたがる水陸の入り組んだ地域とされ、作中では赤壁烏林・夏水などが同一戦域として扱われます。
勝敗の焦点は水軍運用と火攻めで、連合側は黄蓋の工作を軸に、火船を含む大船団を北岸へ進め、東南風を得て曹操方の船隊・陣地へ延焼させます。
 
経過
吉川三国志では、周瑜が水軍を統率し、火攻めの成功後に水陸から一斉撃滅を命じ、烏林湾の水面が炎上する混乱の中で曹操軍中枢が崩れる様子が描かれます。
この会戦の一夜で曹操軍は大損害を受け、焼死・溺死・戦死が重なって大軍が潰乱したと説明され、黄蓋自身も殊勲者として救助される場面が置かれます。
 
関連人物
周瑜は呉軍の水軍都督として火攻め後の総攻撃を指揮します。
黄蓋は降伏を装う工作を進め、火船を含む船隊を発動させる実行役として扱われます。
孔明は東南風の到来と結びつけて言及され、周瑜がその存在を強く警戒する契機となります。
 
史実との違い
吉川三国志では東南風の転向が孔明の存在と強く結びつけられる一方、史実では火攻めの実行や勝因は複合的要因として説明され、人物の役割配分は史料・演義で差があります。
「赤壁の戦い」登場回数
合計: 48回
0 9 18 27 36 0 桃園の巻 0 群星の巻 0 草莽の巻 0 臣道の巻 0 孔明の巻 0 赤壁の巻 36 望蜀の巻 8 図南の巻 3 出師の巻 1 五丈原の巻
最終更新日: 約6時間前