淮南兵
冒頭
概要
吉川英治『三国志』では、淮南は袁術が拠って自立的にふるまう地域として扱われ、袁術は情勢次第で「国中の兵をあげて」救援を出すと述べ、淮南一帯の動員力を背景に同盟や援軍を取引材料とします 。そのため「淮南兵」は、袁術の軍事力、あるいは袁術と結んだ側に与する軍として物語上しばしば想定されます。
意味
「淮南」は淮河流域の要地を含む呼称で、兵站や人口を背景に軍の集結地たりうる地域名です。作中でも袁術は「淮南の自立皇帝」と位置づけられ 、そこに属する兵力は寿春城を中心とした防衛・出兵の基盤になります 。
作中での使われ方
淮南兵の出動は、呂布が窮地に追い込まれた際に「淮南の袁術へすがって」援けを借り、反抗に転ずる危険として警戒されます 。劉備が下邳から淮南への通路警備を命じられるのも、呂布や使者が淮南と連絡して援軍を引き出すことを遮断する意図に基づきます 。また、袁術討伐の局面では、曹操・劉備・呂布が寿春へ迫り、さらに孫策も淮南へ出兵する構図が示され、淮南側の兵は城と国境線の防衛戦力として前提化されます 。
関連人物
袁術は淮南の主として兵を動員し得る立場にあり 、呂布はその援軍獲得を狙って淮南への使者往来を図ります 。曹操は呂布と袁術の結合を脅威と見て遮断策をとり 、劉備・張飛らは通路の封鎖や捕縛でそれを具体化します 。
史実との違い