済北(せいほく)とは 後漢時代の郡名で、現在の山東省済南市周辺にあたる地域。泰山の北側に位置し、黄河流域の交通と農耕の要衝であった。 歴史 済北郡は前漢の頃に設置され、後漢時代にも存続した。山東一帯は文化・経済の中心...
曹参(そうしん)とは 前漢の初期に仕えた武将・政治家で、劉邦(高祖)の腹心のひとり。楚漢戦争で功を立て、のちに相国となった人物。三国志の時代よりもはるか以前の人である。 生涯 沛県の出身で、若いころから劉邦に従い、項...
渤海(ぼっかい)とは 中国北方の地名で、黄海の北西部に広がる海域の名。後漢から三国志期にかけては「渤海郡」として行政区画の名称にも用いられた。現在の河北省東部・天津市周辺にあたる。 土地の歴史 渤海郡は前漢の武帝のと...
南陽(なんよう)とは 後漢から三国志期にかけての中国の地名で、現在の河南省南部・湖北省北西部一帯にあたる。人口・物産ともに豊かで、後漢末の群雄割拠において重要な地域のひとつであった。 土地の歴史 南陽郡は前漢に設置さ...
弘農(こうのう)とは 後漢から三国志期にかけて存在した地名で、現在の中国・河南省西部(三門峡市一帯)にあたる。黄河中流域に位置し、交通と軍事の要地であった。 土地の歴史 弘農郡は前漢の武帝の時代に設置され、函谷関に近...
劉邦(りゅうほう)とは 前漢の初代皇帝で、諡号は高祖。農民出身から身を起こし、楚漢戦争で項羽を破り、紀元前202年に漢王朝を建国した。 生涯 劉邦は沛県(現在の江蘇省)の農民の子として生まれ、下級役人を務めていた。秦...
前漢(ぜんかん)とは 紀元前202年に劉邦(高祖)が建国した漢王朝の前期で、都を長安に置いたため「西漢」とも呼ばれる。紀元前8年に王莽が「新」を建てるまで続いた。 歴史 ・劉邦(高祖)が楚漢戦争に勝利し皇帝に即位、中...
漢朝(かんちょう)とは 紀元前202年に劉邦(高祖)が建てた王朝で、中国史における最も重要な時代のひとつ。前漢(西漢)と後漢(東漢)の二期に分かれ、約400年にわたり続いた。 歴史 ・前漢(西漢):劉邦が楚漢戦争に勝...
潁川(えいせん)とは 潁川は、後漢から三国時代にかけて存在した中国の地名で、現在の河南省許昌市一帯にあたる。中原の要地として知られ、歴史的に多くの名士や豪族を輩出した地域である。 歴史的背景 潁川郡は前漢の時代に設置...
一 汜水関のほうからは、たえず隠密を放って、寄手の動静をさぐらせていたが、その細作の一名が、副将の李粛へ、ある時こういう報告をしてきた。 「どうもこの頃、孫堅の陣には、元気が見えません。おかしいのは兵站部から炊煙がのぼらないこ...
匈奴(きょうど)とは、中国の北方に広がった広大な草原地帯に暮らした、遊牧民族の呼び名である。紀元前3世紀から4世紀ごろにかけて活動が顕著で、特に中国の前漢時代には強大な部族連合国家を築き、中華王朝にとって長く脅威となった。匈奴の支配領...
一 孔明の家、諸葛氏の子弟や一族は、のちに三国の蜀、呉、魏――それぞれの国にわかれて、おのおの重要な地位をしめ、また時代の一方をうごかしている関係上、ここでまず諸葛家の人々と、孔明そのものの為人を知っておくのも、決してむだではなか...
後漢(ごかん)とは 後漢とは、中国の歴史上、紀元25年から220年まで存在した王朝で、漢王朝の中でも「後期」に当たる政権です。前の「前漢(紀元前206年〜8年)」に対してこのように呼ばれます。 【歴史と成立】 ・創始者:劉秀(り...