弘農

弘農(こうのう)とは
後漢から三国志期にかけて存在した地名で、現在の中国・河南省西部(三門峡市一帯)にあたる。黄河中流域に位置し、交通と軍事の要地であった。
 
土地の歴史
弘農郡は前漢武帝の時代に設置され、函谷関に近いことから国防上の拠点として重要だった。長安洛陽を結ぶ通路にあたり、東西の交通の要衝としてしばしば戦略的に重視された。
 
関連する人物
献帝劉協董卓が都を長安に遷した後、弘農に留め置かれた時期があった。
董承後漢末に弘農出身の名門として朝廷に仕えた。
 
三国志での文脈
後漢末の動乱では、弘農は「長安に近く、洛陽にも通じる」地理的特徴からたびたび群雄の争奪対象となった。献帝が遷都の途中で留め置かれた場所としても描かれる。
 
吉川英治三国志での扱われ方
吉川版では、董卓による遷都の際、弘農は皇帝が一時とどまる地として言及される。物語全体においては大きな舞台ではないが、漢王朝の漂泊と衰退を象徴する地名のひとつとなっている。
「弘農」登場回数
合計: 10回
0 1 2 3 5 5 桃園の巻 0 群星の巻 4 草莽の巻 0 臣道の巻 0 孔明の巻 0 赤壁の巻 1 望蜀の巻 0 図南の巻 0 出師の巻 0 五丈原の巻
最終更新日: 約1ヶ月前