弘農 三国志 地名 No content available. 「弘農」登場回数 合計: 10回 0 1 2 3 5 5 桃園の巻 0 群星の巻 4 草莽の巻 0 臣道の巻 0 孔明の巻 0 赤壁の巻 1 望蜀の巻 0 図南の巻 0 出師の巻 0 五丈原の巻 「弘農」が登場する場面 5件 巫女 帝は張済の功を嘉し、張済を驃騎将軍に命じた。「長安は大廃しました。弘農(陝西省・西安附近)へお遷りあってはいかがです」 。 張済のすすめに、帝も御心をうごかした。 帝には、洛陽の旧都を慕うこと切なるものがあった。 本文 草莽の巻 三国志 春園走獣 衛兵は、聞くと、その詩を覚え書にかいて、 。「相国。廃帝の弘農王が、こんな詩を作って歌っていました」 。 と、密告した。董卓は、それを見ると、 。 本文 桃園の巻 三国志 緑林の宮 ちっとばかり、行儀を良くしなくッちゃいけねえぞ」 。 と、訓令して、馳せつけた。 味方を得て、御車はふたたび、弘農をさして急いだ。途上、たちまち郭と李の聯合勢とぶつかった。 彼らの軍にも、土匪山賊がまじっている、猛獣と猛獣の咬みあいだ。 本文 草莽の巻 三国志 蜀人・張松 年の頃まだ二十四、五歳。神貌清白、眉ほそく、眼すずやかである。これなん弘農の人で、一門から六相三公を出している名家楊震の孫で、楊修、字は徳祖という。いま曹操に仕えて、楊郎中といわれ、内外倉庫の主簿を勤めていた。「外国の使臣といえ、黙って聞いておれば、怪しからんことをいう。 本文 望蜀の巻 三国志 赤兎馬 董卓は、剣を片手に、 。「今、李儒が読み上げた通り、帝は闇愚にして威儀なく、太后は教えにくらく母儀の賢がない。――依って今日より、現帝を弘農王とし、何太后は永安宮に押しこめ、代るに陳留王をもって、われらの皇帝として奉戴する」 。 いいながら、帝を玉座から引き降ろして、その璽綬を解き、北面して臣下の列の中へ無理に立たせた。 そして、泣き狂う何太后をも、即座にその后衣を剥いで、平衣とさせ、後列へしりぞけたので、群臣も思わず眼をおおうた。 本文 桃園の巻 三国志 「弘農」を全て検索