上・中・下
一
攻めるも難、防ぐも難。
両軍は悪戦苦闘のままたがいに譲らず、はや幾月かを過していた。
「遠い遠い江南の大戦。ここの戦局には、何もかかわりはないでしょう」
「いや、大いにある」
「なぜです?」
「もし曹操が勝てば、ひるがえって、荊州も併せ呑んでしまうであろうし、また呉の孫権が勝利を得れば、その勢いにのって、進んで荊州をも占領するであろうことは、火をみるよりも明らかである。いずれにせよ、わが本国の荊州にとっては、滅亡もまぬかれぬ危機ではないか」
「そうかな……」
「むしろこの際、その聞えを利用して、蜀の劉璋へ一書をお送り下さい。いま曹軍が南下したので、呉の孫権から、荊州へ救いを求めにきている。呉と荊州とは、唇歯の関係にあるし、姻戚の義理もある。――依って駈けつけねばならないが、魏の曹軍に対しては、いかんせん兵力も兵粮も足らない。精兵三、四万に兵粮十万石を合力されたい。……こう云ってやってごらんなさい」
「ちと、求めるのが、莫大すぎはしないか」
「それもよかろう」
使者は、成都へ向って行った。
途中、涪水関(重慶の東方)にかかると、その日も、山上の関門から手をかざして、麓の道を監視していた番兵が、
山中の退屈まぎれに、二人は碁を囲んでいたが、玄徳と聞くと、すぐ眼角をたてて、
「待て待て。滅多に通すな」と、番兵を戒め、何か、首をよせて、相談していた。
「お通りなさい」
ゆるされて、書簡も返されたが、大将楊懐が兵をつれて、
「成都までご案内申す」と、ついて来た。
「わが君。私情にとらわれて国を亡し給うな。彼に粮を与え、兵をかすは、虎に翼を添えて、わざとこの国を蹂躙せよというようなものです」
居合せた黄権もまた進み出て、
と、口をすっぱくして諫めた。
こう重臣のすべてが反対では劉璋もそれに従わざるを得ない。
玄徳はその冷淡に怒った。
二
彼が怒ったのはめずらしい。
劉璋の返簡を、使いの前で裂き捨てて見せた。
「わが荊州の軍は、はるばるこの蜀境に来て、蜀のために戦い、多くの人命と資材を費やしているのに、わずかな要求を惜しんで、粮も兵も、こんな申し訳ばかりのものを送ってくるとは何事か、これを眼に見た士卒に対し、どういう辞をもって、よく戦えと励ますことができるかっ。――立ち帰ってよく劉璋に告げるがいい」
輸送に当ってきた奉行はほうほうの態で成都へ帰った。
そのあとで、龐統が、
「由来、皇叔というお方は仁愛に富まれ、怒ることを知らない人といわれていましたのに、今日のご立腹は近ごろの椿事でした。あと味はどうですか」
「たまにはよいものと思った。――が先生、このあとの策は予にないのだ。何ぞ賢慮はないかな」
「策は三つあります。どれでもわが君の意に召した計をお採りになるがよいでしょう。一策は、今からすぐ昼夜兼行で道をいそぎ、有無なく成都を急襲する。このこと必ず成就します。故にこれを上策とします」
「む、む」
「第二は、いま詐って、荊州へ還ると触れ、陣地の兵をまとめにかかる。すると楊懐、高沛などは、かねてより希望していることですから、かならず面に歓びをかくし口に惜別を述べて送りにきましょう。そのときこの蜀の名将二人を一席に殺して、たちまち兵馬を蜀中へ向け、一挙、涪水関を占領してしまう。これは中策と考えられます」
「む、む。もう一計は」
「……下策はとりたくない。また第一の案も急に過ぎて、一つ躓けば、一敗地にまみれよう」
「では、中計を」
「中庸。それは予の生活の信条でもある」
日を経て、成都の劉璋の手許へ、玄徳の一書がとどいた。それには、呉境の戦乱がいよいよ拡大して来たことを告げ、荊州の危急はいま援けにゆかなければ絶望になる。まこと本意ないが、葭萌関には誰か良い蜀の名将をさし向けられたい。自分は急遽、荊州へかえると――認めてあった。
「それみい、玄徳はかえるというて来たではないか」
劉璋はかなしんだ。
しかし、反玄徳勢力は、ひそかに胸で凱歌を奏している。
ひとり悶えたのは、大勢をここまで引っ張ってきた張松である。彼の立場は当然苦境に落ちる。
「そうだ」
邸に帰ると、張松は、筆をとって、玄徳へ激励の文を書いた。折角、ここまで大事をすすめながらいま荊州へ引揚げては、百事水泡に帰すではないか。何ぞ一鞭して、あなたはこの成都へやって来ないか。実に遺憾だ。成都の同志は首を長くしてあなたの兵馬を待っているものを。
そう書いているところへ「お客さまです」と、家人が告げにきた。
「なんだ。あなただったのか」
「顔いろが悪いじゃないか」
「つかれですよ、公務がいそがしいので」
「つかれなら薬を飲め。さあ、酌いでやろう」