六出祁山
冒頭
六出祁山(りくしゅつきざん)とは、蜀漢の丞相・諸葛亮孔明が、魏の中枢である長安方面へ進出するため、要衝の祁山を拠点として繰り返し出兵した一連の北伐を「六度(六回)祁山に出る」と数えて呼ぶ言い方です。司馬懿が「孔明三年の歳月を備えに蓄えて六度祁山に出づ」という報に接する形で示されます。
概要
吉川三国志では、祁山をめぐる攻防が、蜀の諸葛亮と魏の司馬懿が正面から対峙する軍略戦の中心として組み立てられ、祁山周辺での布陣・機動・兵站が反復して描かれます。司馬懿が祁山の夏の陣を、両雄が堂々と対峙した最初の壮観として位置づける叙述もあります。
意味
「祁山は長安の首である」と孔明が説くように、祁山は隴西から長安へ至る交通・軍事上の要路を扼し、前面に渭水を控え、背後に斜谷を負い、山岳と谷地形が防禦と機動に適する戦場とされます。孔明が進軍路の選択において祁山を重視する根拠は、この地勢認識に置かれています。
背景
関連人物
中心は諸葛亮(孔明)と司馬懿(仲達)で、祁山一帯の戦況に応じて張郃・郭淮ら魏将が配置され、蜀側も諸将を分進させて祁山の陣を支えます。司馬懿が郭淮らに対し、孔明の真意を測って救援や迂回を命じるなど、祁山をめぐる指揮判断が連鎖します。
史実との違い