嘉徳門 地名 冒頭 嘉徳門(かとくもん)とは、後漢の都・洛陽の宮城内にあった禁中の門の一つで、内廷へ通じる要所として扱われる門です。 概要 嘉徳門は、外部の兵馬や臣下の出入りを制限しやすい位置づけの門として描かれ、宮中の実力者が禁兵を伏せて警固や待ち伏せに用いる地点になります。十常侍側が刀斧・鉄弓を携えた禁中の兵を「嘉徳門や長楽宮の内門」に配置したことが示されています。 歴史 霊帝崩御後の政変局面で、外戚の何進が太后の親書により参内したのち、宮中で護衛兵を門外に止められ、嘉徳門付近で十常侍一味の軍士に包囲される展開に結びつきます。 関連人物 張譲ら十常侍は、宮城内の兵力配置を主導し、嘉徳門周辺で何進を取り巻く側として現れます。 史実との違い 吉川三国志での嘉徳門は何進誅殺の現場に直結する門として用いられ、この点は何進が嘉徳門付近で宦官勢力に殺害されたとする記述と大筋で一致します。 「嘉徳門」登場回数 合計: 2回 0 0 1 1 2 2 桃園の巻 0 群星の巻 0 草莽の巻 0 臣道の巻 0 孔明の巻 0 赤壁の巻 0 望蜀の巻 0 図南の巻 0 出師の巻 0 五丈原の巻 「嘉徳門」が登場する場面 1件 舞刀飛首 宮城内の十常侍らも、何進が諸国へ檄をとばしたり、檄に応じて董卓などが、澠池附近にまできて駐軍しているなどの大事を、知らないでいる筈はない。「さてこそ」と、彼らはあわてながらも対策を講ずるに急だった。そこで張譲らはひそかに手配にかかり、刀斧鉄弓をたずさえた禁中の兵を、嘉徳門や長楽宮の内門にまでみっしり伏せておいて、何太后をだまし何進を召すの親書を書かせた。 宮門を出た使者は平和時のように、わざと美車金鞍をかがやかせ、なにも知らぬ顔して、書を何進の館門へとどけた。「いけません」 。 本文 桃園の巻 三国志 「嘉徳門」を全て検索