曲陽 地名 曲陽(きょくよう)とは 曲陽は、後漢から三国時代にかけて存在した地名で、現在の中国河北省保定市曲陽県にあたる。河北平原の要地に位置し、戦略的にも重要な場所であった。 歴史的背景 曲陽は幽州と冀州の境に近く、北方の遊牧民族との接点にもなる地域であった。後漢末期には群雄が割拠し、三国志の舞台としても登場する。地理的に洛陽から北へ、そして中山や常山といった地域と結びついており、軍事・交通の要衝として利用された。 「曲陽」登場回数 合計: 2回 0 0 1 1 2 2 桃園の巻 0 群星の巻 0 草莽の巻 0 臣道の巻 0 孔明の巻 0 赤壁の巻 0 望蜀の巻 0 図南の巻 0 出師の巻 0 五丈原の巻 「曲陽」が登場する場面 1件 秋風陣 一。 潁川の地へ行きついてみると、そこにはすでに官軍の一部隊しか残っていなかった。大将軍の朱雋も皇甫嵩も、賊軍を追いせばめて、遠く河南の曲陽や宛城方面へ移駐しているとのことであった。「さしも旺だった黄巾賊の勢力も、洛陽の派遣軍のために、次第に各地で討伐され、そろそろ自壊しはじめたようですな」 。 関羽がいうと、 。 三国志 本文 桃園の巻 「曲陽」を全て検索