解良 地名 冒頭 解良(かいりょう)とは、後漢末の河東郡に属した県・郷里名として語られる地名です。吉川英治『三国志』では、関羽が自己紹介の中で「河東解良(山西省・解県)の産」と名乗り、自身の出自を示す地として登場します。 概要 河東は黄河の東側一帯を指す地域名で、解良はその河東郡に含まれる地方行政単位として位置づけられます。作中注記では現代の山西省・解県に比定されており、古い地名と近代以降の行政区画とを結びつけて理解できるよう示されています。 歴史 後漢の郡県制下では、郡の下に県が置かれ、戸籍・徴税・治安維持などの統治実務が運用されました。河東郡は黄河流域の交通・軍事の要衝にも関わり、中央と各地を結ぶ広域秩序の一部として機能した地域といえます。 関連人物 関羽(字は雲長)は、劉備・張飛と行動を共にする以前の来歴を述べる際、自らを「河東解良の産」とし、長く各地を流寓した後に近村で村夫子として日を送っていた、と説明しています。 史実との違い 吉川英治『三国志』では「河東解良(山西省・解県)」と示されますが、史料上は関羽の出身地を河東郡解県とする記述が一般的で、地名表記に揺れがみられます。 「解良」登場回数 合計: 1回 0 0 0 0 1 1 桃園の巻 0 群星の巻 0 草莽の巻 0 臣道の巻 0 孔明の巻 0 赤壁の巻 0 望蜀の巻 0 図南の巻 0 出師の巻 0 五丈原の巻 「解良」が登場する場面 1件 三花一瓶 雲長は、近づいて行くと、彼の足もとへ最初から膝を折って、 。「初めてお目にかかります。自分は河東解良(山西省・解県)の産で、関羽字は雲長と申し、長らく江湖を流寓のすえ、四、五年前よりこの近村に住んで、村夫子となって草裡にむなしく月日を送っていた者です。かねてひそかに心にありましたが、計らずも今日、拝姿の栄に会い、こんな歓ばしいことはありません。どうかお見知りおき下さい」 。 本文 桃園の巻 三国志 「解良」を全て検索