帝都長安 地名 冒頭 帝都長安(ていとちょうあん)とは、中国後漢末から三国時代にかけて、関中に置かれた長安を皇帝の都として呼ぶ言い方です。董卓が洛陽を離れて遷都を断行した結果、長安は朝廷の所在となりました。 概要 長安は関中の要地で、かつて漢の皇祖が王城の基を定めた地とされます。後漢末には戦乱で荒廃しつつも、地の利をもつ城郭都市として軍事的な拠点性を保ちました。 歴史 作中では、董卓が遷都を主導し、洛陽から財宝を集めて長安へ輸送させるなど、強権的な移転が描かれます。 また董卓政権崩壊後も、李傕・郭汜らが朝廷を擁して抗争し、長安が政争の中心となります。 献帝の周辺では、長安の疲弊が進み、人口の減少や朝廷の窮乏が示され、建安改元と仮の宮居の造営など、名目上の「帝都」と現実の落差が語られます。 関連人物 董卓は遷都を決定し、長安を政権基盤としました。 李傕・郭汜は董卓死後も献帝を取り巻き、長安をめぐる権力闘争を続けます。 また長安は後年、魏の西方統治や西涼勢力との攻防の焦点ともなり、馬超・韓遂の進攻に対して守将鍾繇が防衛にあたる局面が置かれます。 史実との違い 吉川三国志での扱いと史実や演義との違いとして、遷都前後の天文・童謡解釈などの要素は、史実の政治過程を物語的因縁へ寄せて整理される場合があります。 「帝都長安」登場回数 合計: 1回 0 0 0 0 1 0 桃園の巻 1 群星の巻 0 草莽の巻 0 臣道の巻 0 孔明の巻 0 赤壁の巻 0 望蜀の巻 0 図南の巻 0 出師の巻 0 五丈原の巻 「帝都長安」が登場する場面 1件 秋雨の頃 「近ごろ兗州の曹操は、頻りと賢を招き、士を募って、有能の士には好遇を与えるというじゃないか」と、もっぱら評判であった。 聞きつたえて、兗州(山東省西南部)へ志してゆく勇士や学者が多かった。 ここ山東の天地はしばらく静かだったが、帝都長安の騒乱は、去年からたびたび聞えて来た。「こんどは、李傕、郭汜などという者が、兵権も政権も左右しているそうだ」 。 とか、 。 群星の巻 本文 三国志 「帝都長安」を全て検索