襄陽城
冒頭
襄陽城(じょうようじょう)とは、荊州の州治である襄陽に置かれた城郭都市で、漢水流域の交通と軍事を押さえる要地として三国期の攻防に関わった拠点です。荊州の劉表がこの地を根拠として勢力を保ったことが述べられます 。
概要
作中では、荊州支配の中枢としての政庁機能と、戦時には軍政の大本営が置かれる城として描かれます。劉表の死後、蔡夫人が幼主劉琮を擁して「軍政の大本営を襄陽城に移」したとされ、曹操軍南下への対応が城内の評議として展開します 。
歴史
襄陽城は、孫堅の侵攻に対して劉表方が防衛拠点として用い、蔡瑁が「襄陽城を発し」て城外で迎撃を試みる場面が見られます 。また劉表没後、曹操の大軍が迫る中で、劉琮政権の弱点として江夏の劉琦の不満、近隣新野にいる劉備の動向、内政・軍備未整備などが論じられ、襄陽城が荊州の危機管理の中心となります 。
関連人物
劉表は荊州を領し州治を襄陽に置いた雄藩として位置づけられます 。劉表没後は蔡夫人・蔡瑁・蒯越らが襄陽城で政軍を動かし、幼主劉琮が城内にいる状況が示されます 。また劉備は避難民を伴って襄陽へ急行し、城門下から開城を求めるが、城上から矢で拒まれる場面があり、襄陽城が劉備の離脱と荊州情勢の転回点の一つとして扱われます 。さらに後には、襄陽が南郡・合淝と連なる防衛線の一角として言及され、守備配置が語られます 。
史実との違い