襄陽
冒頭
襄陽(じょうよう)とは、後漢末から三国時代にかけて荊州の中枢都市として位置づけられ、漢水流域を押さえる交通と軍事の要地となった城郭都市です。襄陽を中心に古い都市があるとされ、郊外の隆中が近接する地理関係も示されます。
概要
吉川英治『三国志』では、荊州の劉表が湖北・湖南を領し、その州治が襄陽であったことが明記され、地域統治の中心として扱われます。 また襄陽は、新野から約八十里の距離感で語られ、近隣諸城との連絡を含む戦略圏の一部として登場します。
歴史
襄陽は荊州政権の首府として、劉表の死後には幼主劉琮と蔡夫人らが移って籠もる拠点となり、劉備が城門下で開門を求める場面が描かれます。 その後、劉琮側が劉表の印綬と兵符を曹操に渡し、曹操が入城して受領することで、荊州支配の帰趨を決する舞台となります。 さらに赤壁以後の情勢では、南郡から襄陽・合淝へ連なる線が曹操にとって重要な国防の外郭線となり、襄陽の守備に将を置く配置が語られます。
地勢と軍事的性格
関連人物
劉表が荊州の支配者として襄陽を州治に置きます。 劉琮・蔡夫人・蔡瑁らは襄陽で政権運営と対曹操対応を進め、曹操は入城して荊州の印綬・兵符を受け取ります。 劉備は襄陽での会合に赴き、荊州諸将や劉琦・劉琮兄弟らに迎えられます。 また隆中が襄陽近郊として示され、諸葛亮の居所と襄陽の都市圏が結びつけられます。 関羽の戦いの後には、襄陽を守らせる将の任命にも触れられます。
史実との違い
吉川三国志では、襄陽をめぐる人物配置や出来事が物語上の因果関係が明瞭になるよう整理され、史実・演義の細部(時期や関与人物の前後関係)とは一致しない場合があります。