許州

冒頭
許州(きょしゅう)とは、吉川英治三国志』では主に許昌を中心とする地域・首府を指し、献帝が奉迎されて以後は「許都」とも呼ばれる後漢朝廷の所在(事実上の中央)です。曹操の軍と帝の御車許昌都門に到着し、旧い宮門殿閣を整え、宗廟や官衙を増築して都の体裁を改めたことが示されます。
 
概要
許州は、天子の府としての朝廷機能と、曹操政権の相府・軍政の中心が重なる場所として描かれます。献帝許都へ迎え入れることが曹操の「機略の根本」とされ、これにより曹操は朝野に対して強い正統性を得た、という構図が語られます。
 
歴史
遷都後の許都では、満寵許都の令に抜擢され、荀彧荀攸郭嘉らが要職に就くなど、中央官制の整備と人材登用が進みます。
一方で、張繍宛城を根拠に「許都へ攻めのぼろう」とする動きが報じられ、許都が政権の要であるがゆえに軍事的脅威の焦点にもなることが示されます。
 
政治・経済
許都を中心に屯田策が採用され、田官の設置などを通じて農耕を奨励し、戦乱下でも生産が拡大していく状況が述べられます。
ただし首府の繁栄がそのまま朝廷の盛大を意味するのではなく、許都の旺盛は曹操の武権の強さを示すにとどまり、朝廷の勢威が薄れる様子も併記されます。
 
関連人物
曹操許都大将軍武平侯として重職に坐し、政権運営の中枢を形成します。
荀彧献帝奉迎を進言した中心人物として位置づけられ、内治でも屯田などの政策面で許都の基盤を支えます。
また董承は、許都における相府の専横を前に王政回復を図る存在として描かれます。
 
史実との違い
吉川三国志で「許州」「許都」として一体的に語られる領域は、史実上は豫州の許県・許昌(のち魏の許昌)を中心とする遷都先であり、呼称や行政単位の扱いが整理・統合されている。
「許州」登場回数
合計: 3回
0 0 1 1 2 0 桃園の巻 0 群星の巻 1 草莽の巻 0 臣道の巻 2 孔明の巻 0 赤壁の巻 0 望蜀の巻 0 図南の巻 0 出師の巻 0 五丈原の巻
最終更新日: 約2時間前