偽帝の末路
一
「前途はなお遼遠――」
時しも建安四年六月。
車冑は、出迎えて、
「見れば、相府直属の大軍をひきい給うて、何事のため、にわかなご下向でござるか」
と、いぶかりながらも、その夜は、城中に盛宴をひらき、軍旅のつかれを慰めたいといった。
宴へ臨む前に、玄徳は車冑と、べつの一閣に会って、
「丞相がそれがしに五万の兵を授けられたのは、かねて伝国の玉璽を私し、皇帝の位を僭していた袁術が、兄の袁紹と合体して、伝国の玉璽を河北へ持ちゆかんとしているのを、半途にて討たんがためである。――ついては、急速に、またひそかに、袁術の近況と、淮南の情勢とを、御身も力をあわせて探索してもらいたい」と、協力をもとめた。
「承知致しました。――して丞相より軍勢に付けおかれた二人の大将とは、誰と誰とでござるか」
「朱霊、露昭の両人である」
話しているところへ、
「ご健勝のていを拝し、こんな歓びはございません」
玄徳はまず、老母の室へ行って、老母の膝下にひざまずき、
「母上、あなたの息子は、今帰って来ました。阿備とお呼び下さい。阿備ですよ」
と、手をさしのべた。
「おお、……阿備か」
老母は、玄徳の手を撫で、肩を撫でまわし、やがてその顔を抱えこんだ。
「ようご無事で……」
老母はすぐ涙ぐむ。近頃は眼もかすみ、耳も遠く、歩行も独りではできなくなっていた。しかし何不自由なく、いつも柔かい絹や獣皮や羽毛に埋もって、ひたすら息子の無事ばかり祈っていた。
「よろこんで下さい母上。こんど都に上って、天子に謁し、その折、ご下問によって、初めて、わが家の家系をお耳に達しましたところ、天子には直ちに、朝廷の系譜をお調べになり、まぎれもなく、劉玄徳が祖先は、わが漢室の支れた者の裔である――玄徳は朕が外叔にあたるものぞと、勿体ない仰せをこうむりました。……これで長らく埋もれていたわが家も、ふたたび漢家の系譜に記録せられ、いささか地下の祖先の祠もできるようになりました。……これもみな母上のおちからが、私という苗木を通じて、ひとつの華を咲かせてきた結果でございます。母上、どうぞ長らくお生き遊ばして、もっともっと、劉家の庭に華の咲く日を見ていてください」
「……そうか。オオ――そうか――」
老母は、歓びの表情を、ただ涙でばかり示している。ほろほろとうなずいてばかりいる。
やがて一堂は春風のような団欒に賑わう。妻もまじり、子たちも集まってくる。玄徳もいつかその中に溶け入って、他愛ない家庭人となりきっていた。
二
ここに、淮南の袁術は、みずから皇帝と称して、居殿後宮も、すべて帝王の府に擬し、莫大な費えをそれにかけたので、いきおい民に重税を課し、暴政のうえにまた暴政を布くという無理をとらなければ、その維持もできない状態になってしまった。
当然――、
民心はそむく、内部はもめる。
雷薄、陳闌などという大将も、これでは行く末が思いやられると、嵩山へ身をかくしてしまうし、加うるに、近年の水害で、国政はまったく行き詰まってしまった。
袁紹には、もとより天下の望みがある。
そこで。
皇帝の御物、宮門の調度ばかりでも、数百輛の車を要した。後宮の女人をのせた駕車や一族老幼をのせた驢の背だけでも、蜿蜒数里にもわたった。もちろん、それに騎馬徒歩の軍隊もつづき将士の家族から家財まで従ってゆくので、前代未聞の大規模な引っ越しだった。その大列は、蟻の如く、根気よく野を進み、山をめぐり、河を渡り、悠々晨は霧のまだきに立ち、夕べは落日に停って、北へ北へ移動して行った。
徐州の近くである。
玄徳の軍は待ちうけていた。
張飛、それを見て、
「待つこと久し」
「かくの如くなりたい者は、張飛の前に名のって出よ」
と、死骸を敵へほうりつけた。
「おのれ、不忠不義の逆賊めら」
袁術は怒って、悲鳴をあげる婦女子を助けんものと、自ら槍をもって狂奔していたが、かえりみると、いつか味方の先鋒も潰滅し、二陣も蹴やぶられ、黄昏かけた夕月の下に、累々と数えきれない味方の死骸が見えるばかりだった。
「すわ。わが身も危うし」と、気がついて、昼夜もわかたず逃げだしたが、途中、強盗山賊の類にはおびやかされるし、強壮な兵は、勝手に散ってしまうしで、ようやく江亭という地まで引揚げて、味方をかぞえてみると、千人にも足らない小勢となっていた。
しかも、その半分が、肥えふくれた一族の者とか、物の役に立たない老吏や女子供だった。
三
時は、大暑の六月なのでその困苦はひとかたでなかった。
炎天に焦りつけられて、
「もう一歩もあるけぬ」と訴える老人もある――。
「水がほしい。水をくれいッ」と、絶叫しながら息をひきとってしまう病人や傷負もある。
落人の人数は、十里行けば十人減り、五十里行けば五十人も減っていった。
「歩けぬ者はぜひもない。傷負や病人も捨てて行け。まごまごしていれば玄徳の追手に追いつかれよう」
袁術は一族の老幼や、日頃の部下も惜しげなく捨てて逃げた。
だが幾日か落ちて行くうち、携えていた兵糧もなくなってしまった。袁術は麦の摺屑を喰って三日もしのんだがもうそれすらなかった。
餓死するもの数知れぬ有様である。あげくの果て、着ている物まで野盗に襲われてはぎ取られてしまい、よろ這う如く十幾日かを逃げあるいていたが、顧みるといつか自分のそばには、もう甥の袁胤ひとりしか残っていなかった。
「あれに一軒の農家が見えます。あれまでご辛抱なさいまし」
もう気息奄々としている袁術の手を肩にかけながら、甥の袁胤は炎天の下を懸命にあるいていた。
二人は餓鬼のごとく、そこの農家の厨まで、這って行った。袁術は大声でさけんだ。
「農夫農夫、予に水を与えよ。……蜜水はないか」
すると、そこにいた一人の百姓男が嗤って答えた。
「なに。水をくれと。血水ならあるが、蜜水などあるものか。馬の尿でものむがいいさ……」
その冷酷なことばを浴びると袁術は両手をあげてよろよろと立ち上がり、
「ああ! おれはもう一人の民も持たない国主だったか。一杯の水をめぐむ者もない身となったか」
大声で号泣したかと思うと、かっと口から血を吐くこと二斗、朽ち木の仆れるがように死んでしまった。
「あっ伯父上」
袁胤はすがりついて、声かぎり呼んだが、それきり答えなかった。
伝国の玉璽である。
「どうして、こんな物を所持しているか」
「境を守るために」と称して、そのまま徐州にとどめおいた。
「予が兵を、予のゆるしを待たず何故、徐州にのこして来たか」
と、即座にふたりの首を刎ねんとしたが、荀彧が諫めていうには、