成都鳴動
一
宮殿の廂をこえて、月の光は玄徳の膝の辺まで映している。妃は、燭が消えているのに気づいて、侍女を呼んで明りをつけさせながら、
「どうなさいましたか」
と、玄徳の側へ寄った。
「いや、几に倚って、独り書を読んでいたのだが……」
と、玄徳は呟いたが、すぐ自分の言葉を自分で否定するように、
「何か、わしの唸き声でも聞いたか」
と、反問した。
「ええ、うなされておいでになりました」
と、妃は微笑んで、二度までも大きなお声がしたので、何事かと見にきたのですと云った。
「そうか。ではいつか居眠って、夢でもみていたのだろう」
ところがその夜の明け方、彼はまたも、宵にみた夢と同じ夢を見た。
夢の中には、一痕の月があった。墨のごとき冷風は絶え間なく雲を戦がせ、その雲の声とも風の声ともつかない叫喚がやむと、寝所の帳のすそに、誰か平伏している者がある。
愕然、夢の中で、玄徳はその者へ呶鳴った。
(桃園の縁もはかなき過去と成り果てました。家兄、はやく兵のご用意あって、義弟のうらみをそそぎ賜われ……)
と、いったかと思うと、黙然一礼して、水の如く、帳の外へ出て行くのだった。
(待て、待て。義弟)
「すこしお顔色がわるいようではございませんか。昨夜はよく御寝にならなかったのですか」
「オオ軍師か」と、玄徳は彼を待っていたように――「実はゆうべ二度まで同じ夢をみたので、ご辺を迎えにやろうかと思うていたところじゃ」と、ありのままを語った。
孔明は笑って、
「それはわが君がつねに、遠くある関羽の身を、朝となく夜となくお思い遊ばしておられるので、いわゆる煩悩夢を為すで、御心の疲れに描かれた幻想に過ぎません。まず今日は、秋園の麗かな下へ玉歩を運ばれて、妃や若君たちと終日嬉々とお遊びになられたがよいでしょう」
孔明はすぐ退がった。
そして中門廊まで来ると、太傅の許靖が、彼方から色を変えて急いでくる。彼は呼び止めて、
「太傅、何事かある?」と、たずねた。
許靖は早口に告げた。
「荊州が破れました。――今暁の早打ちに依ると」
「なに。荊州が」
「……ウウム。恐らくは事実であろう。夜々、天文を観るに、荊州の天に、一抹の凶雲がただようているように思うていた。そうか。……だが太傅、まだその儀は、漢中王にご披露せぬがよかろう。にわかに驚かれると、或いはお体をそこねるやも知れぬ」
すると、廊の角に、玄徳が姿を見せて、
二
なぜならば、上庸にある劉封と孟達が、荊州の破れを見ても、関羽の窮状を知っても、また廖化がそこへ援兵を頼みに行ってさえ、頑として援兵を出さず、この大事態を、傍観しているという真相を、親しく、廖化の口からいま聞いたからである。
彼は、三軍に令し、自ら出陣せんといって、閬中にある張飛へ向けても、
「変あり。すぐ来り会せよ」
と、早馬をやった。
孔明は、彼の悲心と怒りを、極力なだめて、
やがて張飛も駈けつけ、蜀中の兵馬も、続々と成都に入り、ここ両三日、三峡の密雲も風をはらみ、何となく物々しかった折も折、国中を悲嘆の底へつきおとすような大悲報は、遂に、最後の早馬によって、蜀宮の門に報じられた。
(一夜、関羽軍は、麦城を出て、蜀へ走らんとし、途中、臨沮という所で、とうとう呉の大将潘璋の身内の馬忠という者の手で捕われました。そして即日、呉陣において、父子とも御首を打たれ、敢なきご最期を遂げられて候う)という趣であった。
それを聞くと、かねて期していたことながら、玄徳は愕然と叫びを発した。
「おおっ、関羽はついに、この世の人でなくなったか」
「軍師、嗤うてくれ。女々しいとは知りながら、凡情いかんともなし難い」
「お察し申しあげます。けれどお嘆きあるばかりで、ご無念の容子がないのは不思議です」
「無念やる方なければこそ、人に面を会わせずにいるのに、軍師にはなぜそのような咎めをなすか。見よ、誓って、呉と日月をともにせず、呉にこの報復を与えずにはおかん」
「その御心さえしかと肚にお据えなれば、いつまで綿々嫋々と、婦女子の涙を真似ている秋ではございますまい。――以後次々と、また今朝も、府内に早馬が新しい報をもたらして来ていますが、帳を閉して深くお籠り遊ばしているため、情報官もそれを御前へ披露に及ぶ由もなく、みな困っておりまする」
「悪かった。改めよう」
「呉の意は何にあるのか」
「わが蜀の怨みを怖れ、魏へ禍いを転嫁して、蜀の鉾を魏へ向けさせんとする企みです」
「たれか、そのような、欺瞞に乗せられようぞ。予は速やかに出陣する。そして呉を討ち、関羽の霊をなぐさめよう」
「甚だよろしくありません」
「なぜだ? たった今、予の涙を、婦女子のようだと叱ったご辺が、そのことばを為すは、矛盾であろう」
「時を待つべきです。関羽がなお生存ならばどんな犠牲も厭うものではありませんが、もう焦心っても無益です。――この上はしばらく兵を収めてじっと時の移りを観、呉と魏のあいだに、何らかの不和を醸し、両者が争いの端を発したとき、蜀は初めて起つべきでしょう。それまではご無念も胸に畳んでおかれますように……」