成都鳴動

 
 宮殿の廂をこえて、月の光は玄徳の膝の辺まで映している。妃は、燭が消えているのに気づいて、侍女を呼んで明りをつけさせながら、
「どうなさいましたか」
 と、玄徳の側へ寄った。
「いや、几に倚って、独り書を読んでいたのだが……」
 と、玄徳は呟いたが、すぐ自分の言葉を自分で否定するように、
「何か、わしの唸き声でも聞いたか」
 と、反問した。
「ええ、うなされておいでになりました」
 と、妃は微笑んで、二度までも大きなお声がしたので、何事かと見にきたのですと云った。
「そうか。ではいつか居眠って、夢でもみていたのだろう」
 玄徳もようやくわれに返ったような笑顔を燭に見せた。そして和子たちを呼んで妃と共にしばらく興じていたが、やがて寝所に入った。
 ところがその夜の明け方、彼はまたも、宵にみた夢と同じ夢を見た。
 夢の中には、一痕の月があった。墨のごとき冷風は絶え間なく雲を戦がせ、その雲の声とも風の声ともつかない叫喚がやむと、寝所の帳のすそに、誰か平伏している者がある。
 愕然、夢の中で、玄徳はその者へ呶鳴った。
(や。わが義弟ではないか。――関羽関羽。こんな夜更けに、そも、何しに来たか)
 まさしくそれは関羽の影にちがいないのだが、いつもの関羽に似もやらず、容易に面もあげず、ただ凝然と涙を垂れている容子。――そして一言、
(桃園の縁もはかなき過去と成り果てました。家兄、はやく兵のご用意あって、義弟のうらみをそそぎ賜われ……)
 と、いったかと思うと、黙然一礼して、水の如く、帳の外へ出て行くのだった。
(待て、待て。義弟)
 玄徳は夢中にさけびながらその影を追って、前殿の廻廊まで走り出したが、そのとき宙天一痕の月が鞠のように飛んで西山へ落ちたと見えたので、あっと面をおおいながらそれへ倒れてしまった。
 夢は夢に過ぎなかったが、彼が前殿の廊で仆れていたのは事実であった。孔明はその朝、常より早めに軍師府へ姿を見せていたが、舎人から噂を聞いて、すぐ漢中王の内殿を訪れた。
「すこしお顔色がわるいようではございませんか。昨夜はよく御寝にならなかったのですか」
「オオ軍師か」と、玄徳は彼を待っていたように――「実はゆうべ二度まで同じ夢をみたので、ご辺を迎えにやろうかと思うていたところじゃ」と、ありのままを語った。
 孔明は笑って、
「それはわが君がつねに、遠くある関羽の身を、朝となく夜となくお思い遊ばしておられるので、いわゆる煩悩夢を為すで、御心の疲れに描かれた幻想に過ぎません。まず今日は、秋園の麗かな下へ玉歩を運ばれて、妃や若君たちと終日嬉々とお遊びになられたがよいでしょう」
 孔明はすぐ退がった。
 そして中門廊まで来ると、太傅の許靖が、彼方から色を変えて急いでくる。彼は呼び止めて、
「太傅、何事かある?」と、たずねた。
 許靖は早口に告げた。
荊州が破れました。――今暁の早打ちに依ると」
「なに。荊州が」
「呉の呂蒙に計られ、関羽荊州を奪われ、麦城へ落ちのびたとかで」
「……ウウム。恐らくは事実であろう。夜々、天文を観るに、荊州の天に、一抹の凶雲がただようているように思うていた。そうか。……だが太傅、まだその儀は、漢中王にご披露せぬがよかろう。にわかに驚かれると、或いはお体をそこねるやも知れぬ」
 すると、廊の角に、玄徳が姿を見せて、
「軍師、さばかりは案じるな。予は健康である。また荊州の破れも関羽の変も、あらましは案じて、もう覚悟は致しておる」と、遠くからいった。
 ところへ馬良伊籍が来て、またおのおのの口から、荊州陥落の悲報を伝えた。さらに、その日の午過ぎには関羽の幕下廖化が、まるで乞のような姿をして、はるか麦城からこれへたどりついた。
 
 
 廖化の到着によって、事態はいよいよ明瞭になった。玄徳の悲痛な色は、この時から憤りに変った。
 なぜならば、上庸にある劉封孟達が、荊州の破れを見ても、関羽の窮状を知っても、また廖化がそこへ援兵を頼みに行ってさえ、頑として援兵を出さず、この大事態を、傍観しているという真相を、親しく、廖化の口からいま聞いたからである。
「やわか、義弟の関羽を、見殺しになすべきぞ、旁〻憎むべき劉封孟達の輩。断じて、罪せねばならぬ」
 彼は、三軍に令し、自ら出陣せんといって、閬中にある張飛へ向けても、
「変あり。すぐ来り会せよ」
 と、早馬をやった。
 孔明は、彼の悲心と怒りを、極力なだめて、
「まずまず御心を静かに保ちたまえ。臣みずから一軍をひきいて、必ず孤立の関羽を救いだしましょう。劉封の君、孟達などのご処分は、後にして然るべきかと存じます」
 やがて張飛も駈けつけ、蜀中の兵馬も、続々と成都に入り、ここ両三日、三峡の密雲も風をはらみ、何となく物々しかった折も折、国中を悲嘆の底へつきおとすような大悲報は、遂に、最後の早馬によって、蜀宮の門に報じられた。
(一夜、関羽軍は、麦城を出て、蜀へ走らんとし、途中、臨沮という所で、とうとう呉の大将潘璋の身内の馬忠という者の手で捕われました。そして即日、呉陣において、父子とも御首を打たれ、敢なきご最期を遂げられて候う)という趣であった。
 それを聞くと、かねて期していたことながら、玄徳は愕然と叫びを発した。
「おおっ、関羽はついに、この世の人でなくなったか」
 と、慟哭のあまり、昏絶して、以来三日のあいだ、もとらず、臣下にも会わなかった。――が、孔明だけは、強いて帳内に入ることを乞い、まるで婦人のように悲嘆してのみいる玄徳を仰いで叱るが如く諫めた。
「死生命アリ富貴天ニアリ。桃園の誓いも約束なら、人の死や別離も当然な約束事ではありませんか。もしわが君までお体をそこねたら何といたしますか」
「軍師、嗤うてくれ。女々しいとは知りながら、凡情いかんともなし難い」
「お察し申しあげます。けれどお嘆きあるばかりで、ご無念の容子がないのは不思議です」
「無念やる方なければこそ、人に面を会わせずにいるのに、軍師にはなぜそのような咎めをなすか。見よ、誓って、呉と日月をともにせず、呉にこの報復を与えずにはおかん」
「その御心さえしかと肚にお据えなれば、いつまで綿々嫋々と、婦女子の涙を真似ている秋ではございますまい。――以後次々と、また今朝も、府内に早馬が新しい報をもたらして来ていますが、帳を閉して深くお籠り遊ばしているため、情報官もそれを御前へ披露に及ぶ由もなく、みな困っておりまする」
「悪かった。改めよう」
「今朝の情報では、呉は関羽の首を魏へ送り、魏ではそれを王侯の礼をもって国葬に附したということです」
「呉の意は何にあるのか」
「わが蜀の怨みを怖れ、魏へ禍いを転嫁して、蜀の鉾を魏へ向けさせんとする企みです」
「たれか、そのような、欺瞞に乗せられようぞ。予は速やかに出陣する。そして呉を討ち、関羽の霊をなぐさめよう」
「甚だよろしくありません」
「なぜだ? たった今、予の涙を、婦女子のようだと叱ったご辺が、そのことばを為すは、矛盾であろう」
「時を待つべきです。関羽がなお生存ならばどんな犠牲も厭うものではありませんが、もう焦心っても無益です。――この上はしばらく兵を収めてじっと時の移りを観、呉と魏のあいだに、何らかの不和を醸し、両者が争いの端を発したとき、蜀は初めて起つべきでしょう。それまではご無念も胸に畳んでおかれますように……」
 この日、漢中王の名をもって、蜀中に喪は発せられ、成都宮の南門には、関羽を祭る壇が築かれ、そして雪積む冬中も弔旗は寒天に凍っていた。
出師の巻 第11章
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