月落つ麦城
一
進まんか、前に荊州の呉軍がある。退かんか、後には魏の大軍がみちている。
眇々、敗軍の落ちてゆく野には、ただ悲風のみ腸を断つ。
「大将軍。試みに、呂蒙へお手紙を送ってみたら如何ですか。かつて呂蒙が陸口にいた時分は、よく彼のほうから密書をとどけ、時来らば提携して、呉を討ち、魏を亡ぼさんと、刎頸の交わりを求めてきたものです。或いは今もその気持をふかく抱いているやも知れません……」
家来の趙累がすすめた。
「そうも致してみるか」
暗夜行路にひとしい。一点の灯なと見つけようと思う。
関羽は書簡をしたためた。
聞き伝えて、荊州の領民は、わが子の消息はどうか、わが良人、わが親ども、わが弟、わが叔父、わが甥どもは、生きているやら、戦死したことやら、その後の様子を知らせてよと、使者のまわりへ群れ集まった。
「帰りに。帰りに」と、使者はなだめて、ようやく城中へ入った。
呂蒙は書簡を見て、
「関将軍のお立場は察し入る。また旧交も忘れていません。しかし交わりは私のこと。今日の事は国家の命である。おからだをお大切に、ただよろしく申したとお伝えあれ」
使者には充分な馳走をし、土産には金帛を送って、懇ろに城門へ送った。
帰る使者の姿を見ると、荊州の民は、かねて書いておいた手紙やら慰問品を手に手に持って、
「これを子に届けて給われ、これをわが良人へ」と、使者に托した。
そしてなお口々にいうには、
「わしらはみな、呂蒙様のご仁政のおかげで、以前に増して温く着、病む者には薬を下され、難に遭った者は救っていただくなど、少しも心配のない暮しをしておりまするで、そのことも、伜や良人に伝えてくだされ」
使者は辛かった。耳をふさいで逃げたかった。
あとは口を閉じて何もいわなかった。ただ眼底の一涙がきらと光ったのみである。
命令を出して、明日は野陣を払って立つときめた。ところが、夜が明けてみると、兵の大半はいつの間にか逃げ落ちてしまい、いよいよ残り少ない軍力となってしまった。
「ああしまった。こんなことになるなら、荊州の民に頼まれた手紙や品物や、また言伝なども兵に聞かすのではなかったものを」
使者に行った将は、ひそかに悔いたが、もう間にあわない。残っている兵の顔にも、慕郷や未練のかげが濃く、戦意はまったくあがらなかった。
「去る者は去れ。一人になっても我は荊州に入る」
関羽は断乎として進んだ。
けれど途中に、呉の蒋欽、周泰の二将が、嶮路を扼して待っていた。河辺にたたかい、野に喚きあい、闇夜の山にまた吠え合った。――しかもそこではさらに、呉の徐盛が、雷鼓して伏兵を起し、山上山下から襲ってきた。
「百万の敵も何かは」
日頃と変らない沈着の中に、関羽の武勇は疲れを知らなかった。けれど、山峡のあいだに、皎々として半月の冴える頃、こだまする人々の声を聞いては、さすがの彼も戦う力を失った。
「ああ。これも呂蒙の計か」
関羽は憮然として、月に竦み立っていた。
二
飛び去る鳥の群れは呼べども返らない。行く水は手をもて招いても振り向かない。およそ戦意を失い未練に駆られて離散逃亡し始めた兵の足を、ふたたび軍旗の下に呼び帰すことはどんな名将でもできないことである。もう手を拱いて見ているしかない。
「万事休す」
「何とかして活路を見出したいもの」
と、わずかな手勢をまとめては敵の囲みを奇襲し、ようやく一方の血路をひらいて、
「ひとまず、麦城まで落ちのびましょう」と、関羽を護って、麓へ走った。
「時にとって、五百の精霊が一体となって立てこもれば、これでも金城鉄壁といえないことはない」
「そうだとも。未練な弱兵はことごとく落ち失せて、ここに残った将士こそ篩にかけられた真の大丈夫ばかりである。一騎よく千騎に当る猛卒のみだ。兵力の寡少は問題でない」
と、あえて豪語した。
「ここから上庸の地はさして遠くありません。上庸の城には蜀の劉封、孟達などがおります。救いを求めて、彼の蜀軍を呼び、力を新たにして、魏を蹴散らすぶんには、荊州を奪りかえすことは十中九まで確信してよいかと思われますが」
「まさにその一策しかない」
関羽は顧みて云った。
「誰かよくこの重囲を破って上庸へ使いし得よう。出ればたちまち死の道だが」
聞くやいな廖化が答えた。
「誓って、それがしがお使いを果してみせます。もし能わぬときは、一死あるのみ。すぐ第二のご使者を出して下さい」
「さしもの関将軍もいまや麦城のうちに進退全くきわまっておられる。もし救いが遅延すれば関将軍は最期を遂げるしかありません。一日いや一刻も争うときです。すぐ援軍をお向けねがいたい」
と、一椀の水すら口にしないうちに極言した。
劉封はうなずいた。――が何と思ったか、
「ともかく孟達に相談してみるから」
と、彼を待たせておいて、にわかに孟達を呼びにやった。
やがて孟達は、べつな閣へ来ていた。劉封はそこへ行って、ただ二人きりで問題を凝議しだした。――何分この上庸でも今、各地の小戦争に兵を分散しているところであった。この上にも本城の自軍を割いて遠くへ送るなどということは、二人にとって決して好ましい問題ではない。
三
「断りましょう。折角だが、関羽の求めに応じるわけにはゆきません。なぜというまでもなく荊州九郡にはいますくなくも四十万の呉軍があり、江漢には曹操の魏軍がこれも四、五十万はうごいておる。――そこへわずか二千や三千の援軍を送ってみた所でどうなるものですか。かえって、この上庸をも危うくするものです」
孟達はその顔色を読んで、
「あなたは劉家のご養子ですから、本来、漢中王の太子たるに、それを邪げた者は関羽でした。始め、その儀について、漢中王が孔明に訊ねたところ、孔明は悧巧者ですから、一家の事は関羽か張飛にご相談なさい――と巧く逃げた。で、関羽へお訊ねが行ったところ関羽は――太子には庶子を立てないのが古今の定法である。劉封はもと螟蛉の子、山中の一城でも与えておかれればよいでしょう――と、まるであなたを芥のようにしか視ていない復命をしたものです」
「……とはいえ、いま関羽を見殺しにしたら、世の誹りは如何あろう?」
「誰が、一杯の水で薪車の炎を消し得なかったと咎めましょう」
「もしお援け下さらねば、関将軍は麦城に亡びますぞ。見殺しになさる気か」
と、痛哭した。
「――一杯ノ水、安ンゾ能ク薪車ノ火ヲ救ワン」
劉封はそう云い捨てて奥へ逃げてしまった。
廖化はさらに孟達へ面会を求めたが、仮病をつかってどうしても会わない。彼は地だんだ踏んで上庸を去った。そして罵り罵り馬に鞭打って、はるか成都へさして馳けた。千山万水、道はいかに遠くても、この上は漢中王へ直々に救いを仰ぐしかないと決意したからである。
× × ×
「きょうか、明日か」
と廖化の帰りを待ち、援軍の旗を待っていたが、折々、空をゆく渡り鳥の群れしか見えなかった。
糧も尽き、心も疲れ、人馬ともに生色なく、墓場にも似た古城の内にただ草ばかり伸びてゆく。
関羽は幽暗な一室に瞑目していた。趙累が前にひれ伏して、
「城中の運命はもうここ旦夕のうちです。如何にせばよいでしょうか」
「ただよく守れ。最後まで」
関羽は一言しかいわなかった。
「まことにお久し振りでした」
瑾は関羽に会うと、呉侯の胸として伝えた。
「時務を知るは名将の活眼。大勢はすでに決しました。荊州九郡の内、残るは麦城の一窟のみ、今やことごとく呉軍でないものはありません。しかも内に糧なく、外に救いなき以上、いかに将軍が節を持しても無駄ではありませんか。主人孫権はそれがしを差し向け、慇懃に将軍を迎えて来いと仰せられました。いかがです私と共に栄華長生の道へ、すなわち呉の陣門へ降りませんか」
関羽は肩で苦笑した。
「呉侯は人をみる明がない。懦夫に説くような甘言はよせ。窮したりといえど、関羽は武門の珠だ。砕けても光は失わず白きは変えぬ。不日、城を出て孫権といさぎよく一戦を決するであろう。立ち帰ってそう告げられよ」
「何故将軍はそのように好んで自滅を求め給うか」
そして瑾を城外へ追い返すと、関羽はふたたび寂として瞼をとじた。