荊州変貌
一
と、陸遜に問うた。
すると傍らの人がたちまち立って、
「その儀なれば、弓を張り、矢をつがえるにも及びません」
「虞翻、いかなる計やある。遠慮なくいえ」と、いった。
虞翻は一礼して、
「さればそれがしと傅士仁とは、幼少からの友だちです。かならずそれがしの説く利害には彼も耳をかしましょう。故に、公安の無血占領は信じて疑いません」
「おもしろい。行って説いてみろ」
しかし一方の傅士仁たるや、このところ戦々兢々たるものがあった。壕を深め城門を閉じ、物見を放って鋭敏になっていた。
「何、矢文が落ちたと。……どれ、どう云ってきたか?」
「そうだ、たとえここを守り通しても、いずれ関羽が帰れば、戦前の罪を問われ、罪と功が棒引きになるぐらいが上の部だ。もし呉軍に囲まれて、関羽の来援が間に合わなかったら、完全にここで自滅だ。虞翻の説くところは心から俺を思ってくれることばに違いない」
彼は駈け出して、卒に門をひらかせた。そして虞翻を迎え入れると、
「会いたかった」と、まず旧情を訴え、
「よろしく頼む」と、次に一切を委した。
「自分が来たからには、諸事安心し給え」
「汝の心底を見たからには決して旧臣とわけへだてはせぬ。立ち帰った上は、よく部下を諭し、呉に以後の忠誠を誓わせろ。そして前の通り公安の守将たることをゆるす」と寛度を示した。
「あれをあのまま、お帰しになるつもりですか」
「今さら、殺すわけにもゆかんではないか」
「手ぶらで帰してしまうことこそ、折角の人間をころしているというものです。なぜ、彼にこういう使命を背負わせておやりにならないので……」
そしてたちまち一問を発し、また命令した。
「はっ……。交わりがありますが」
「さっそく南都へ赴きましょう」
二
「たいへんな難役を背負ってしまった」
「どうも今になってみると、貴公のいうことをきいたのは、大きな過ちだったような気がする。呉侯の命に対して、――ご難題です。糜芳を説きつけるなんて無理です。ご免こうむりましょう、といったら、たちまち俺は二心ありと首にされ、公安の城はただ取りにされてしまうだろう。……といって、何しろ糜芳は、蜀のうちでも余人とちがい、玄徳が微賤をもって旗上げした頃からの宿将だ。俺の舌三寸でおめおめ降るわけはないし」
と、困惑を訴えると、虞翻はその小心を笑って、彼の背を一つ打った。
「おいっ、しっかりせい。自己の浮沈の岐れ目じゃないか。いかに糜芳でも石仏ではあるまい。いや彼の一族は元来、湖北の豪商で大金持であった。たまたまその退屈な財産家が、玄徳という風雲児の事業に興味をもち、そっと裏面から軍資金を貢いでやったのが因で、いつか糜竺、糜芳の兄弟とも、玄徳の帷幕に加わってしまった。――というのが彼の経歴ではないか。それをもって察すれば、糜芳の胸は、今とてかならず数字算用ははっきりと持っているに違いない。名も生命もいらんという人間では手におえぬが、利害の明瞭な人物ほど説きよいものだ。……まあ信念をもって、ひとつこう出て見たまえ」
「こう出てみろとは?」
「すなわち、こう出るのだ」
「あっ、そうか。なるほど」と、ひどく感心したかと思うと、たちまち勇気づいた様子で、
「では、行ってくる」と、立ち去った。
「いや……実はその、そのことで今日は、あなたへも相談に来たわけだが」
「相談とは、軍議について?」
「なに、それがしとて、忠義は知らぬわけではない、荊州が敗れては、もはや万事休すだ。いたずらに士卒を死なせ、百姓に苦しみをかけるよりはと深思して、実はすでに、呉へ降伏を誓った」
「えっ。降参したと」
「足下も旗を巻いて、それがしと共に、孫権に謁し給え。呉侯はまだ若くて将来があるし、しかもなかなか名君らしい」
「……だが」
「だまれ。多年、厚恩をうけた漢中王をこの期になって裏切るごとき自分ではない」
「通せ」
「樊川地方の大洪水のため、戦況は有利にすすんだなれど、兵粮の欠乏は言語に絶しており、全軍疲弊の極に達しておる。ついては、南都公安の両地方から至急、粮米十万石を調達され、関羽の陣まで輸送していただきたい。もし怠りあらば、成都に上申し、厳罰に処すべしとの令でござる」
「どうしたものであろう」
「――ぎゃッ!」
三
糜芳は喪心したように、蒼白になって顫いていたが、やがて、
「乱暴にも程がある。いったい貴公は、何故に、関羽の使者を斬り殺したのか……」
傅士仁も真っ青になっていう。
「ご辺の決断を促すためだ。またわれわれの生命を保つためだ。足下には関羽の心が読めないのか。関羽はその不可能を知りながら無理難題をいいつけて、後に荊州の敗因をわれらの怠慢にありとする肚黒い考えでおるのだ。――糜芳っ。さあ呉侯のもとへ行こう。いずくんぞ手を束ねて犬死せんやだ。さあ城を出よう!」
糜芳はなお迷っていた。多少の疑いをそれにも抱いたからである。ところがこの時、喊の声や鼓の音が地を震わすばかり聞えてきた――愕然、城壁の上に走り出て見ると、呉の大軍がはや城を囲んでいた。
「なぜ足下は、生きることを歓ばないのだ」
× × ×
魏の首府へ、呉の特使が情報を持って入った。
もちろん曹操は、この形勢を無為に見ているものではない。ただ呉の態度の確然とするまで機をうかがっていたものだ。
「心得て候」と、徐晃は直ちに、徐商と呂建の二隊に、自身の大将旗をかかげさせて正攻法をとらせ、彼自身は五百余騎の奇襲部隊を編制して、沔水のながれに沿い敵の中核と見られる偃城の後方へ迂廻した。
「陽陵坡の魏軍がにわかに活動を起しました。徐晃の大将旗をふりかざして」
偃城の兵はどよめき告げた。関平は手具脛ひいて、その近づくを待ち、
「徐晃みずから来るとあれば、敵にとって不足はない」と、精兵三千を引き具して城門を出、地の利をとって陣列を展開し、鼓をそろえて鉦を鳴らし、旌旗天を震うの概があった。
――が、魏の大将旗は、偽りである。その下から駈け出して来たのは、徐商であり呂建であった。ふたりは槍を揃え、
「帰さぬぞよ、小童」と、関平を挟撃した。
けれど関平の勇は、徐商を追い、呂建を斬り立て、かえって彼らをあわてさせた。そして遂に逃げ走る二人を追いかけ追いかけ、十余里も追撃した。
すると全く予測していなかった方面から、一彪の軍馬が旋風となって側面へかかって来た。そして一人の大将が、
それが真の徐晃であった。