袁紹本初

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袁紹(えんしょう)とは
袁紹後漢末期の群雄の一人で、冀州を支配し、河北四州を制圧した大勢力の覇者。名門袁氏の出であり、官僚としても武将としても高名であったが、曹操との争いに敗れて滅びた。
 
生涯
袁紹汝南汝陽の出身で、後漢四世三公と称される名門・汝南袁氏の一族であった。若い頃から名士として知られ、霊帝の時代には宦官を排除するための「党錮の禁」に連なる清流派の士人を支援した。
董卓が専横を振るうと、反董卓連合軍を結成して盟主となり、群雄を糾合する。しかし、実際の戦いでは決断力を欠き、董卓を打倒する機会を逃した。
その後は冀州を拠点に河北四州を支配し、最盛期には百万の兵を号した。だが、官渡の戦いで曹操と激突し、補給線の弱さから大敗。敗走後は病に倒れ、建安7年(202年)に病没した。
 
人物
袁紹は名門出身のプライドが高く、仁徳を装いながらも優柔不断で決断力に欠けると評された。人材を多く抱えていたものの、その意見をまとめきれず、内部の不和を生んだ。
また、敵に対しては残酷さを見せる一方で、身内や旧来の名士層には寛大で、政治的には旧来の士人社会の支持を得ていた。
 
関連する人物
袁術(異母弟。袁紹と対立し、勢力を二分した)
曹操(最大の宿敵。官渡の戦いで袁紹を破った)
劉備袁紹を頼った時期がある)
田豊沮授袁紹を支えた優れた参謀。だが意見を容れられず悲劇的な最期を迎える)
 
有名なエピソード
・反董卓連合軍の盟主となったこと
河北四州を支配し、当時最大級の勢力を誇ったこと
官渡の戦いで曹操に敗れ、没落したこと
田豊沮授の進言を退け、機会を逃したことが敗因となった
 
吉川英治三国志での扱われ方
吉川英治三国志』では、袁紹は「名門出の大望家」でありながら「煮えきらぬ人物」として描かれる。英雄としての条件を備えながらも、曹操の果断さと比べられることで、その優柔不断さが強調される。特に官渡の戦いでは、勝機を逃し続ける姿が曹操との鮮やかな対比として描かれ、物語の大きな転換点となっている。
「袁紹本初」の基本情報
総登場回数
549回
活動期間
9巻にわたって登場
初回登場
桃園の巻
最終登場
出師の巻
最も活躍した巻
孔明の巻 (149回登場)
「袁紹本初」登場回数
合計: 549回
0 37 74 111 149 37 桃園の巻 146 群星の巻 48 草莽の巻 126 臣道の巻 149 孔明の巻 13 赤壁の巻 25 望蜀の巻 2 図南の巻 3 出師の巻 0 五丈原の巻
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