一 酒宴のうちに、曹操は、陳登の人間を量り、陳登は、曹操の心をさぐっていた。 陳登は、曹操にささやいた。 「呂布は元来、豺狼のような性質で、武勇こそ立ち優っていますが、真実の提携はできない人物です。――こういったら丞相は...
一 黄河をわたり、河北の野遠く、袁紹の使いは、曹操から莫大な兵糧軍需品を、蜿蜒数百頭の馬輛に積載して帰って行った。 やがて、曹操の返書も、使者の手から、袁紹の手にとどいた。 袁紹のよろこび方は絶大なものだった。それも道...
一 秋七月。魏の曹真は、 「国家多事の秋。久しく病に伏して、ご軫念を煩わし奉りましたが、すでに身も健康に復しましたゆえ、ふたたび軍務を命ぜられたく存じます」 と、朝廷にその姿を見せ、また表を奉って、 ――秋すずしく...
一 魏では、その年の建安二十五年を、延康元年と改めた。 また夏の六月には、魏王曹丕の巡遊が実現された。亡父曹操の郷里、沛の譙県を訪れて、先祖の墳を祭らんと沙汰し、供には文武の百官を伴い、護衛には精兵三十万を従えた。 沿...
一 潁川の地へ行きついてみると、そこにはすでに官軍の一部隊しか残っていなかった。大将軍の朱雋も皇甫嵩も、賊軍を追いせばめて、遠く河南の曲陽や宛城方面へ移駐しているとのことであった。 「さしも旺だった黄巾賊の勢力も、洛陽の派遣軍...
一 一銭を盗めば賊といわれるが、一国を奪れば、英雄と称せられる。 当時、長安の中央政府もいいかげんなものに違いなかったが、世の中の毀誉褒貶もまたおかしなものである。 曹操は、自分の根城だった兗州を失地し、その上、いなご...
一 張郃の言葉を不服そうに聞いていた夏侯淵は、自分の決意はまげられぬというように、 「予がこの地を守り、陣をなすこと久しい。この度の決戦に、万一他の将に功を奪わるるが如きことあらば、なんの面目あって魏王に見えん。御身、よろしく...
一 街亭の大捷は、魏の強大をいよいよ誇らしめた。魏の国内では、その頃戦捷気分に拍車をかけて、 「この際、蜀へ攻め入って、禍根を断て」 という輿論さえ興ったほどである。司馬懿仲達は、帝がそれにうごかされんことをおそれて、 ...
一 顔良の疾駆するところ、草木もみな朱に伏した。 曹軍数万騎、猛者も多いが、ひとりとして当り得る者がない。 「見よ、見よ。すでに顔良一人のために、あのさまぞ。――だれか討ち取るものはいないか」 曹操は、本陣の高所に...
一 魏の勢力が、全面的に後退したあとは、当然、玄徳の蜀軍が、この地方を風靡した。 上庸も陥ち、金城も降った。 申耽、申儀などという旧漢中の豪将たちも、 「いまは誰のために戦わん」といって、みな蜀軍の麾下へ、降人とな...
一 馬謖は云った。 「なぜか、司馬懿仲達という者は、あの才略を抱いて、久しく魏に仕えながら、魏では重く用いられていません。彼が曹操に侍いて、その図書寮に勤めていたのは、弱冠二十歳前後のことだと聞いています。曹操、曹丕、曹叡、三...
一 蔡瑁と蔡夫人の調略は、その後もやまなかった。一度の失敗は、却ってそれをつのらせた傾きさえある。 「どうしても、玄徳を除かなければ――」と、躍起になって考えた。 けれども肝腎な劉表がそれを許さない。同じ漢室の裔ではある...
一 進まんか、前に荊州の呉軍がある。退かんか、後には魏の大軍がみちている。 眇々、敗軍の落ちてゆく野には、ただ悲風のみ腸を断つ。 「大将軍。試みに、呂蒙へお手紙を送ってみたら如何ですか。かつて呂蒙が陸口にいた時分は、よく...
一 「ここに一計がないでもありません」 と、孔明は声をはばかって、ささやいた。 「国主の劉表は病重く、近頃の容態はどうやら危篤のようです。これは天が君に幸いするものでなくてなんでしょう。よろしく荊州を借りて、万策をお計りあ...
一 いま漢中は掌のうちに収めたものの、曹操が本来の意慾は、多年南方に向って旺であったことはいうまでもない。 いわんや、呉といえば、あの赤壁の恨みが勃然とわいてくるにおいてはである。 「漢中の守りは、張郃、夏侯淵の両名で事...
一 蜀魏両国の消耗をよろこんで、その大戦のいよいよ長くいよいよ酷烈になるのを希っていたのは、いうまでもなく呉であった。 この時に当って、呉王孫権は、宿年の野望をついに表面にした。すなわち彼もまた、魏や蜀にならって、皇帝を僭称...
一 樊城の包囲は完成した。水も漏らさぬ布陣である。関羽はその中軍に坐し、夜中ひんぴんと報じてくる注進を聞いていた。 曰く、 魏の援軍数万騎と。 曰く、 大将于禁、副将龐徳、さらに魏王直属の七手組七人の大将も...
一 一夜、司馬懿は、天文を観て、愕然とし、また歓喜してさけんだ。 「――孔明は死んだ!」 彼はすぐ左右の将にも、ふたりの息子にも、昂奮して語った。 「いま、北斗を見るに、大なる一星は、昏々と光をかくし、七星の座は崩れ...
一 長安に還ると、司馬懿は、帝曹叡にまみえて、直ちに奏した。 「隴西諸郡の敵はことごとく掃討しましたが、蜀の兵馬はなお漢中に留っています。必ずしもこれで魏の安泰が確保されたものとはいえません。故にもし臣をして、さらにそれを期せ...
一 彗星のごとく現われて彗星のようにかき失せた馬超は、そも、どこへ落ちて行ったろうか。 ともあれ、隴西の州郡は、ほっとしてもとの治安をとりもどした。 夏侯淵は、その治安の任を、姜叙に託すとともに、 「君はこのたびの...
一 呉を興した英主孫策を失って、呉は一たん喪色の底に沈んだが、そのため却って、若い孫権を中心に輔佐の人材があつまり、国防内政ともに、いちじるしく強化された。 国策の大方針として、まず河北の袁紹とは絶縁することになった。 ...
一 夏侯淵の首を獲たことは、なんといっても老黄忠が一代の誉れといってよい。 彼はそれを携えて葭萌関にある玄徳にまみえ、さすがに喜悦の色をつつみきれず、 「ご一見を」と、見参に供えた。 玄徳がその功を称揚してやまない...
一 孔明還る、丞相還る。 成都の上下は、沸き返るような歓呼だった。後主劉禅にも、その日、鸞駕に召されて、宮門三十里の外まで、孔明と三軍を迎えに出られた。 帝の鸞駕を拝すや、孔明は車から跳びおりて、 「畏れ多い」と、...
一 蜀呉の同盟はここしばらく何の変更も見せていない。 孔明が南蛮に遠征する以前、魏の曹丕が大船艦を建造して呉への侵寇を企てた以前において、かの鄧芝を使いとして、呉に修交を求め、呉も張蘊を答礼によこして、それを機会にむすばれた...
一 瑾の使いは失敗に帰した。ほうほうの態で呉へ帰り、ありのままを孫権に復命した。 「推参なる長髯獣め。われに荊州を奪るの力なしと見くびったか」 孫権は、荊州攻略の大兵をうごかさんとして、その建業城の大閣に、群臣の参集を求...