皇甫嵩(こうほすう)とは 皇甫嵩は、後漢末期の武将であり、黄巾の乱を平定した名将のひとりとして知られる。三国志の正史(陳寿『三国志』)にも記録され、吉川英治『三国志』や『三国志演義』でも登場する。 生涯 皇甫嵩は扶風...
盧植(ろしょく)とは 盧植は、後漢末期の儒学者であり、政治家・武将でもあった人物である。三国志においては、劉備の師として知られ、彼の若き日々に大きな影響を与えたことで重要な存在となっている。 生涯 盧植(紀元?〜19...
龔景(きょうけい)とは 龔景は、後漢末期の人物で、吉川英治『三国志』や『三国志演義』に登場する。史実における記録は少ないが、小説では黄巾の乱に際して登場し、朝廷側の武将として描かれる。 生涯 龔景は後漢の官吏・武将で...
鄧茂(とうも)とは 鄧茂は、後漢末期の黄巾の乱において張角の弟である張梁の部下として登場する人物である。『三国志演義』や吉川英治『三国志』に登場するが、正史の『三国志』(陳寿著)にはほとんど記録がない。 生涯 鄧茂は...
鄒靖(すうせい)とは 鄒靖は、後漢末期に黄巾賊討伐に派遣された将軍の一人である。正史『三国志』にも登場する歴史上の人物で、吉川英治『三国志』でも劉備の若き頃のエピソードで描かれている。 生涯 鄒靖は後漢の将軍で、黄巾...
張世平(ちょうせいへい)とは 張世平は『三国志演義』や吉川英治『三国志』に登場する人物で、劉備の初期を支えた豪商のひとりである。酒や塩の取引を生業とする富豪で、劉備の人柄に感銘を受けて資金を援助したことから、劉備が義勇軍を組織...
蘇双(そそう)とは 蘇双は、吉川英治『三国志』や『三国志演義』に登場する人物で、劉備が黄巾賊討伐のため義勇兵を募った際に名乗り出た若者の一人として描かれる。史実の『三国志』(陳寿著)にはほとんど記録が見られず、文学的創作によっ...
ここは、吉川英治の三国志を多くの人が読みやすくすることを目的としたサイトです。まだ2025/08/14時点では開発中ですが、この後だれでも登録して投稿できるサイトにする予定です。 人名や地名にハイパーリンクをつけて解説をつけるなどし...
楼桑村(ろうそうそん)とは 楼桑村は、三国志の物語の冒頭に登場する村で、重要な場面の舞台となります。この地は、後に魏・呉・蜀と割拠する英雄たちが台頭する激動の時代、まだ世の中が平穏だった初期の田舎村のひとつです。 三国志でこの村が...
李定(りてい)は、吉川英治の三国志に登場する人物です。彼の通称は「羊仙(ようせん)」とも呼ばれています。その正体は、山羊を連れて各地を放浪し酒に酔う、どこか市井の仙人のような風貌の老人です。魯のつまり魯国の出身で、故郷にはとどまらず、...
琅玕(ろうかん)とはは主に宝石や美しい玉を指す古い言葉です。現代日本語ではあまり馴染みがありませんが、琅玕は翡翠(ひすい)や高価な美玉を表現する際に用いられてきました。特に古代中国においては、宝玉は高貴なもの、美しさ、気高さの象徴とさ...
荊州(けいしゅう)とは、中国の古代行政区画のひとつであり、三国志の舞台となる重要な地域です。 荊州は、中国中南部の長江流域に広がる広大な地域で、現在の湖北省・湖南省・広東北部・江西西部などに相当します。地形としては長江が貫流し肥沃な...
建寧(けんねい)とは、中国・後漢時代の元号のひとつです。 建寧は、後漢の第12代皇帝・霊帝(れいてい)の時代の元号で、西暦168年から172年までの期間を指します。霊帝は、宦官政治が横行し、政治の腐敗が極まった時代の皇帝であり、この...
一 曹操はまだ若い人だ。にわかに、彼の存在は近ごろ大きなものとなったが、その年歯風采はなお、白面の一青年でしかない。 年二十で、初めて洛陽の北都尉に任じられてから、数年のうちにその才幹は認められ、朝廷の少壮武官に列して、禁中...
涿県(たくけん)とは、中国の河北省中南部に位置する歴史的な地名である。三国志の物語が始まる重要な舞台となった場所であり、特に劉備玄徳の出生地として有名である。劉備はこの涿県の楼桑村で代々農を営む家に生まれ、その出自には諸葛亮の後に語る...
一 一銭を盗めば賊といわれるが、一国を奪れば、英雄と称せられる。 当時、長安の中央政府もいいかげんなものに違いなかったが、世の中の毀誉褒貶もまたおかしなものである。 曹操は、自分の根城だった兗州を失地し、その上、いなご...
孔子(こうし)とは、春秋時代の中国に実在した思想家・教育者。本名は孔丘(こうきゅう)、字は仲尼(ちゅうじ)。魯国に生まれ、儒家の始祖として知られ、後の中国はもちろん東アジアの思想・政治・文化に大きな影響を与えた。 三国志の時代(後漢...
一 今は施すすべもない。なにをかえりみているいとまもない。業火と叫喚と。 そして味方の混乱が、否応もなく、玄徳を城の西門から押し出していた。 火の粉と共に、われがちに、逃げ散る兵の眼には、主君の姿も見えないらしい。 ...
青州(せいしゅう)とは、中国の三国志時代に登場する古代中国の地域名です。 青州は現在の山東省北部付近を中心に位置していました。この地は漢王朝時代から州として置かれ、三国時代においてもその名がしばしば登場します。経済的には豊かな穀倉地...
劉備(りゅうび)とは 劉備は、中国三国時代の蜀(しょく、蜀漢)の初代皇帝となった人物です。三国志の物語世界において最も親しまれている英雄の一人であり、その生き様は現代に至るまで多くの読者の共感を呼び続けています。 生涯 劉備は...
劉焉(りゅうえん)とは、中国後漢末期の武将・政治家。漢王朝の皇族の一員であり、三国志の序盤で蜀の地(益州)を支配したことで知られる。 生涯 劉焉は、もとは朝廷で活躍した文官で、のちに天下が乱れた時代、漢王朝の内部抗争を逃れる...
一 この日、曹操は景山の上から、軍の情勢をながめていたが、ふいに指さして、 「曹洪、曹洪。あれは誰だ。まるで無人の境を行くように、わが陣地を駆け破って通る不敵者は?」 と、早口に訊ねた。 曹洪を始め、そのほか群将も...
一 魏の兵が大勢して仔馬のごとく草原に寝ころんでいた。 一年中で一番季節のよい涼秋八月の夜を楽しんでいるのだった。 そのうちに一人の兵が不意に、あっといった。 「やっ。何だろう?」 また、ひとりが指さし、その...
馬元義(ばげんぎ)とは、三国志の物語の序盤、黄巾の乱に関連して名の出てくる人物です。 彼は張角(ちょうかく)の配下として活動した教団の一員で、黄巾党内部では重要な役割を担っていました。物語のはじめ、黄巾党の大規模な反乱が起ころうとす...
一 顔良の疾駆するところ、草木もみな朱に伏した。 曹軍数万騎、猛者も多いが、ひとりとして当り得る者がない。 「見よ、見よ。すでに顔良一人のために、あのさまぞ。――だれか討ち取るものはいないか」 曹操は、本陣の高所に...