中山靖王
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血縁
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史実との違い
母は、子を叱るために励ましているわれとわが声に泣いてしまって、袍の袖を、老いの眼に当てた。「……お忘れかえ、阿備。おまえのお父様も、お祖父様も、おまえのように沓を作り蓆を織り、土民の中に埋もれたままお果てなされてはいるけれど、もっともっと先のご先祖をたずねれば、漢の中山靖王劉勝の正しい血すじなのですよ。おまえはまぎれもなく景帝の玄孫なのです。この支那をひとたびは統一した帝王の血がおまえの体にながれているのです。
……では」 。「風にも耳、水にも眼、大事は路傍では語れません。けれど自分は何をつつもう、漢の中山靖王劉勝の後胤で、景帝の玄孫にあたるものです。……なにをか好んで、沓を作り蓆を織って、黄荒の末季を心なしに見ておりましょうや」と、声は小さく語韻はささやく如くであったが、凛たるものをうちに潜めていい、そしてにこと笑ってみせた。「豪傑。
二。 大将玄徳に会ってみるとまだ年も二十歳台の青年であるが、寡言沈厚のうちに、どこか大器の風さえうかがえるので、太守劉焉は、大いに好遇に努めた。 なお、素姓を問えば、漢室の宗親にして、中山靖王の裔孫とのことに、 。「さもあらん」と、劉焉はうなずくことしきりでなおさら、親しみを改め、左右の関、張両将をあわせて、心から敬いもした。 折ふし。
「尉玄徳。いったい卿は、当所の出身の者か、他県から赴任してきたのか」 。「されば、自分の郷家は涿県で、家系は、中山靖王の後胤であります。久しく土民の中にひそんでいましたが、この度ようやく、黄巾の乱に小功あって、当県の尉に叙せられた者であります」 。 と、いうと、 。
恋のささやきも一ときの間だ。すぐわれに返る。中山靖王の後裔劉備玄徳というわれに返る。寒村の田夫から身を起し、義旗をひるがえしてからすでに両三年、戦野の屍となりつるか、洛陽の府にさまよえるか、と故郷には今なお、わが子の我を待ち給う老母もいる。なんで大志を失おうや。
「はい」 。「そこらの豪傑たちが、乱世に乗じて、一州一郡を伐取りするような小さい望みとは違うはずです。漢の宗室の末孫、中山靖王の裔であるおまえが、万民のために、剣をとって起ったのですよ」 。「はい」 。「千億の民の幸いを思いなさい。
玄徳は襟を正し、謹んでそれに答えた。「いま、御勅問に接し、おぼえず感傷のこころをうごかしました。――という仔細は、臣が祖先は中山靖王の後胤、景帝の玄孫にあたり、劉雄が孫、劉弘の子こそ、不肖玄徳でありまする。中興の祖劉貞は、ひとたびは、涿県の陸城亭侯に封ぜられましたが、家運つたなく、以後流落して、臣の代にいたりましては、さらに、祖先の名を辱めるのみであります。……それ故、身のふがいなさと、勅問のかたじけなさに思わず落涙を催した次第でありまする。