漢室
冒頭
概要
吉川英治『三国志』では、漢室は単なる王朝名ではなく、天子を中心とする朝廷の権威、宗廟や系譜に支えられた国家秩序として扱われます。献帝が董承を伴って大廟に入り、漢家歴代の祖宗を祀る場で皇統の由来を確かめようとする場面は、漢室が宗廟と系譜によって自らを正当化してきたことを示します。
歴史
物語上の漢室は、霊帝崩御以後、宦官や外戚の対立、群雄の台頭によって「末期相」が露呈し、瓦崩の兆しが進む王朝として描かれます。 その後、都が洛陽から長安、さらに許昌へと遷り、天子は戦乱の中でたびたび存亡の淵を経る一方、許都では曹操の威勢が振るわれ、宮廷は荒廃して朝廷の式微が進んだとされます。
意味
漢室の「正統」は、誰が天子を奉じ、誰が漢朝を晦くするかという政治的争点になります。献帝は、劉備を「漢室の宗親」とし、曹操を「漢室を晦うしている」者として糾弾し、討つべき相手の選択を迫ります。 また、劉備が景帝の子孫であることを朝廷の系譜で確かめ、献帝が皇叔として遇する筋立ては、漢室の血統が政権構想の根拠になることを示します。
関連人物
献帝は漢室の当主として存続を願い、董承・馬騰などの「忠節」を頼み、曹操の専横下で密詔を用いるなどして挽回を図ります。 曹操は実権者として天子を奉じながらも朝廷を制し、魏臣が「漢朝の運気は尽きた」と禅譲を迫る局面へつながっていきます。
史実との違い