木門道

 
 永安城李厳は、増産や運輸の任に当って、もっぱら戦争の後方経営に努め、いわゆる軍需相ともいうべき要職にある蜀の大官だった。
 今その李厳から来た書簡を見ると、次のようなことが急告してある。
 
近ゴロ聞ク東呉、人ヲシテ洛陽ニ入ラシム。魏ト連和シ、呉ヲシテ蜀ヲ取ラシメント。幸イニ呉イマダ兵ヲ起サズ、今厳哨シテ消息ヲ知ル。伏シテ望ムラクハ、丞相ノ謀リ遠キヲ慮リテ、早ク良図ヲ施シテ怠リヲ欲スルコトナカランコトヲ。
 
 孔明は大きな衝撃をうけた。事実、この書面に見えるような兆候があるとすればこれは真に重大である。魏に対しての蜀の強味は何といっても、一面に蜀呉相侵すことなき盟約下にあることが基幹をなしているのに、その呉が今、寝返りを打って、魏と連和するような事態でも起るとしたら、これは根本的に蜀の致命とならざるを得ない。
「決して遅疑逡巡している問題ではない」
 ここにおいて、彼は、大英断を以て、直ちに全戦線の総退却を決意した。
「まず、すみやかに祁山を退くべきである」
 と鹵城から使いを急派して、祁山に残して来た王平、張嶷、呉班、呉懿の輩に宛てて、
「自分がここにあるうちは、魏も迂濶には追うまい。乱れず、躁がず、順次退陣して、ひとまず漢中に帰れ」と、命を封じて云い送った。
 一面、孔明はまた、楊儀、馬忠の二手を、剣閣の木門道へ急がせ、後、鹵城には擬旗を植え並べ、柴を積んで煙をあげ、あたかも、人のおるように見せておいて、急速に、彼とその麾下もことごとく木門道さして引き退いた。
 渭水の張郃は、馬を打って、上※へやって来た。司馬懿に諮るためである。
「何か起ったにちがいない。蜀軍の退陣、ただ事ではありません。今こそ急追殲滅を喰らわす時機ではないでしょうか」
「いや待て、孔明のことだ。迂濶には深入りできぬ」
「大都督にはどうしてそう孔明を虎の如く恐れ給うか、天下の笑い種になろうに」
 時に、一兵が来て、鹵城の変を告げた。司馬懿は張郃を伴って、高きに登り、鹵城の旗や煙をややしばし眺めていたが、突然、哄笑して、
「何様、旗も煙も、たしかに擬勢だ。鹵城は今や空城にちがいない。いざ追い撃たん」
 と、彼も今は疑う余地もなしと、にわかに、上※から奔軍を駆って急進した。
 すでに木門道に近づくと、張郃はまた、司馬懿に云った。
「かかる大兵の行軍では、どうしても遅鈍ならざるを得ません。それがしが軽騎数千をひっさげて先駆し、まず敵を捉えて喰い下っておりますから、都督の本軍は後からおいで下さい」
「いや、軍の速度の遅いのは、大兵なるゆえばかりではない。孔明の詭計を慎重に打診しながら進んでいるせいにもよるのだ」
「またしてもそのように孔明を恐れ恐れ進んでいられるのですか。それでは追撃する意義は失くなってしまう」
「大なる禍いに陥るよりはましである。もし貴公のごとく功を急がば、必ず悔いを求めるだろう」
「身を捨てて国家に報ずる時、大丈夫たる者、死すとも何の悔いがありましょうや」
「いや、貴公は性火の燃ゆるごときものあって、意気はまことに旺ではあるが、また非常に危険でもある。深く慎み給え」
「なんの、孝はまさに力をつくすべし、忠はまさに命を捨つべし。この期に当って、顧みることはありません。ただ、孔明を撃つあるのみです。ぜひおゆるし願いたい」
「それほどにいうならば、ご辺は五千騎をもってまず急げ。別に賈翔、魏平に二万騎を附けて後から続かせる」
 張郃はよろこび勇んで、手兵五千騎、みな軽捷を旨とし、飛ぶが如く、敵を追った。
 行くこと七十里。たちまち一叢の林のうちから、鼓鉦、喊の声があがって、
「賊将、どこへ急ぐか、蜀の魏延ならばここにおるぞ」
 と、呼ばわる声がした。
 
 
 天性火の如しという定評のある張郃だった。その張郃が、火そのものとなって、
孔明の首級を見るはいまにある)
 と誓い、畢生の勇猛をふるって、無二無三猪突してきた矢先である。
「何をっ――」と一声、喚き返すや否、魏延の兵を追い散らした。魏延はちょっと出て、槍を合わせたが、すぐ偽り負けて逃げ奔った。
「口ほどもない木っ端ども」
 と、張郃は眼尻で嘲りつつ、また先へ急いだ。そして約二十里ほど来ると、一山の上から蜀の関興と名乗って駈け下ってきた軍馬がある。
 張郃は憤怒して迎えた。
「かねて聞く関羽の小伜。汝また非業の死を亡父に倣うか」
 関興はその勢いに恐れたかの如く逃げ出した。張郃は追い巻して行ったが、一方に密林が見えたので、ふと万一を思い、
「伏兵があるかも知れぬ。そこの林を掻き捜せ」
 と、兵に下知して、しばし息をついでいた。
 すると先に隠れた魏延が後ろから襲ってきた。魏延に当って力戦していると、関興が引っ返してきて鼓躁した。或いは逃げ、或いは挑み、こうして張郃を翻弄して疲れしめながら、魏延はついに目的どおり張郃を木門道の谷口まで強引に誘い込んできた。
 地形の険隘に気づいて、張郃もここまで来ると、盲進するなく、一応軍勢をととのえていたが、魏延はその暇を与えず、絶えず戦いを挑んできては彼を辱めた。
「張郃張郃。初めの勢いもなく早や臆病風におそわれたか。帰り途を案じているのか」
 張郃はまた火となって、
「逃げ上手め。そこを去るな」
「逃げるのではない。我は漢の名将、汝は逆門の鼠賊。刃の穢れを辱じるのだ」
「うぬ。その吠面にベソ掻くな」
 遂に彼は司馬懿の戒めもわすれて、木門道の谷まで駈け込んでしまった。
 しかも時はようやく薄暮に迫って、西山の肩に茜を見るほか谷の内はすでに仄暗い。魏の将士は口々に後ろから、
「将軍、帰り給え。将軍、引っ返し給え」と呼んでいたが、張郃は、憎き魏延を打ちとめぬうちはと、奔馬の足にまかせて鞭打つ敵を追っていた。
「卑怯者っ。恥知らず、最前の口をわすれたか」
 早や手も届かん間近にある魏延の背へ向って張郃は罵りやまず、いきなり馬上から槍を投げつけた。
 魏延は馬のたてがみに首をうつ伏せ、槍は彼の盔の錣を射抜いて彼方へ飛んだ。
「あっ、将軍」
 味方の声に、思わず振り向くと、張郃の先途を案じて、慕ってきた百余騎の将が、一斉に山を指さして叫んだ。
「怪し火が見えますぞ。あの山頂に」
「何かの合図やも知れません」
「夜に入ってはいよいよ大事、早々、あとへお帰りあって、明日を期せられたほうがよいでしょう」
 けれどこれらの忠告すらすでに遅きに失していた。
 突然、虚空に大風が起った。それは万弩の箭うなりである。たちまち絶壁は叫び、谷の岩盤はみな吼えた。それは敵の降らしてくる巨木大石の轟きである。
「や、や。さては」
 気づいた時は、彼方此方に火が起っていた。低い灌木も高い木も焼け始めた。張郃は、狂い廻る馬にまかせて谷口を探したが、そこの隘路もすでにふさがれていた。
 性火の如しといわれていた張郃は、遂に炎の中に身をも焼いてしまった。
 孔明は、木門道の外廓をなす一峰に姿を現わして、うろたえ迷う魏の兵にこういった。
「きょうの狩猟に、我は、馬を得んとして、猪を獲た。次の狩猟には、仲達という稀代な獣を生擒るだろう。汝ら帰って司馬懿に告げよ。兵法の学びは少しは進んでおるかと」
 張郃を亡った魏兵は、我先に逃げ帰って、その実状を司馬懿に告げた。
 
 
 張郃の戦死は惜しまれた。彼が魏でも屈指の良将軍たることは誰も認めていたし、実戦の閲歴も豊かで、曹操に仕えて以来の武勲もまた数えきれない程である。
「彼を討死させたのは、実に予の過ちであった。あくまでも彼の深入りを許さなければよかったのだ」
 こう痛嘆して、誰よりもその責めを感じていたのは、勿論、司馬懿その人だった。
 同時に司馬懿は、孔明の作戦が何を狙っていたものかを、今は明瞭に覚ることもできた。
 ――敵を嶮に誘い、味方を不敗の地に拠らせ、而して、計をうごかし、変を以て、これを充分に捕捉滅尽する。
 ここに孔明の根本作戦があるものと観破した。
 そう考えてくると、渭水から※城、※城からこの剣閣へと、いつか自分も次第に誘い出されて、危険極まる蜀山蜀水のうちに踏み入りかけていることも顧みられた。
「――危うい哉。知らず知らずに自分も彼の誘導作戦にかかっている」
 司馬懿は急に兵を返して、要所要所に諸将を配し、ただよく守れと境を厳にして、自身はやがて洛陽へ上った。
 戦況奏上のためだった。魏帝も張郃の死をかなしみ、群臣もみな落胆して、
「敵国のまだ亡ばぬうちに、われは国の棟梁を失った。前途の難を如何にすべき」
 と、嘆きの声と、沈滅の色は、魏宮中を一時沈衰の底へ落した。
 時に、諫議大夫の辛毘が、帝にも奏し、群臣にもいった。
武祖文皇二代を経、今帝また龍のごとく世に興り給い、わが大魏の国家は、強大天下に比なく、文武の良臣また雨の如し。何ぞ、一張郃の戦死をさまで久しく悲しまるるか。――家人の死は一家の情を以て嘆くもよし惜しむもよろしいが、国民の死は国家の大を以てこれを悠久に崇め、これを盛葬し、これを称えて、全土の人士を振わすべきではありませんか」
「まことに、辛諫議のことばは当っておる」
 やがて木門道から取り上げてきた屍に対して、帝は厚き礼を賜い、洛陽を人と弔旗に埋むるの大葬を執り行って、いよいよ、討蜀の敵愾心を振起させた。
 一方、孔明は、軍を収めて、漢中の営に帰ると、すぐ諸方へ人を派して、魏呉両国間の機微をさぐらせていたが、そこへ成都から尚書費褘が来て、率直に朝廷の意をつたえた。
「何の理由もなく漢中へ兵をおかえしなされたのは何故ですか。帝もご不審を抱いておられますぞ」
「近頃、呉と魏との間に、秘密条約が結ばれた形跡ありとのことに、万一、呉が矛を逆しまにして、蜀境を衝くような事態でも起っては重大であると思うて、急遽、祁山を捨てて万全を期したまでであるが」
「おかしいですな。兵糧運輸の線は、充分に活動しておりましたか」
「とかく後方からの運送はとどこおりがちで、ために、持久を保ち、糧を獲るためにも、種々、作戦以外の作戦と経営をなさねばならなかった」
「それでは、李厳のはなしと、まるであべこべです。李厳の申すには、このたびこそ兵糧にも困らぬほど、後方からの運輸も充分に行っているのに、孔明が突然退軍したのはいぶかしいことであるとしきりに申し触らしています」
「それは言語道断」
 と、孔明もちょっと呆れ顔をして――
「魏呉両国間に、秘密外交のうごきが見ゆると、われへ報らせてきた者は、その李厳であるのに」
「ははあ。それで読めました。李厳の督しておる軍需増産の実績がここ甚だあがらないので、科を丞相に転嫁せんとしたものでしょう」
「もってのほかのことだ。もし事実とすれば、李厳たりとも、免してはおかれない」
 孔明は赫怒した。
 このため、彼は成都へ還って、厳密な調査を府員へ命じた。李厳の弄策は事実とわかった。
「本来、首を刎ねても足らない大罪であるが、李厳もまた、先帝が孤をお託し遊ばした重臣のひとりだ。官職を剥いで、一命だけは助けおく。――即日、庶人へ落して、梓滝郡へ遠流せよ」
 孔明はかく断じたが、その子の李豊は留めて、長史劉琰などと共に、兵糧増産などの役に用いていた。
五丈原の巻 第22章
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