荊州争奪 地名 冒頭 荊州争奪(けいしゅうそうだつ)とは、赤壁の戦い後から関羽の敗死に至るまで、長江中流域の要地荊州をめぐって、主に蜀と呉が領有権と軍事的主導権を争った一連の外交交渉と軍事行動の総称です。 概要 荊州は魏呉蜀の境目に位置し、北の中原と西の蜀、南の江東を結ぶ交通の結節点でもあるため、同盟関係にあった勢力間でも帰属が最大級の懸案となりました。吉川三国志では、赤壁の勝利で呉が「戦果として荊州は当然、呉に属す」と主張する一方、孔明は「荊州は荊州の主権のもの」として呉の当然視を退け、対立の構図が明確化します。 背景 赤壁直後、呉の周瑜は南郡をはじめ荊州方面の確保を急ぎますが、孔明の策により趙雲が南郡、張飛が荊州、関羽が襄陽を押さえ、三城が「血もみずに」劉備方の掌中に入った、と描かれます。 主な争点と推移 争点は、荊州を呉の戦果とみるか、劉表の旧領として劉備が継承する建付けとみるか、という正統性の争いでした。 その後、荊州の「領土貸借問題」が両国国交の長期的懸案となり、伊籍の交渉を経て、蜀が一部を呉へ渡す形の調整が行われ、魯粛が接収のため派遣されます。 終局として、建安二十四年、荊州を預かる関羽の死と荊州喪失が蜀の大きな転機として位置づけられ、魏呉の外交的接近によって呉が荊州へ圧力をかけ得た事情も述べられます。 関連人物 周瑜は赤壁の主将として戦費と犠牲を理由に荊州の帰属を強硬に求め、魯粛は対蜀交渉の窓口となります。 諸葛亮は兵符を利用して三城を先取する策を主導し、関羽は後年まで荊州の軍事的要として配置されます。 史実との違い 吉川三国志では、赤壁直後の三城確保が孔明の策で一挙に進む形に整理され、荊州をめぐる蜀呉の対立が「貸借問題」として一貫した軸で描かれる点に特徴があります。 「荊州争奪」登場回数 合計: 0回 0 0 0 0 0 0 桃園の巻 0 群星の巻 0 草莽の巻 0 臣道の巻 0 孔明の巻 0 赤壁の巻 0 望蜀の巻 0 図南の巻 0 出師の巻 0 五丈原の巻