ネジ
一
「張虎と楽綝か。早速見えて大儀だった。まあ、腰かけてくれ」
「懿都督。何事ですか」
「いやまだ目撃しません」
「そうだそうです」
「承知しました。ご命令はそれだけですか」
「ほかに戦果を望まんでもよい。急に行ってくれ」
「お易いことです」
三日ほど経つと、楽綝、張虎は目的の輸送機を奪って帰ってきた。
司馬懿はそれを解体してことごとく図面に写し取らせ、陣中の工匠を呼んで模造させた。
尺寸長短、機動性能、すこしも違わないものが製作された。で、これを基本に数千の工匠を集め、夜を日に継いで増産させたので、たちまち、魏にも数千台の木牛流馬が備わった。
孔明はこれを聞くと、むしろ歓んで、
「それはわが思うつぼである。近日のうちに、大量の兵糧が魏から蜀へ贈り物にされて来よう」
と、いった。
七日ほど後、蜀の斥候が、一報をもたらした。
「仲達のなすことは、やはり、我が思うところを出ていないものであった」
孔明はすぐ王平を呼んだ。そしていうには、
「汝の持つ千騎の兵を、ことごとく魏の勢に変装させ、直ちに、北原を通って隴西の道すじへ向え。今から行けば、北原へかかるのは、ちょうど夜中になろう。さしずめ、北原を守る魏将が、何者の手勢ぞと、誰何するにちがいない。その時は、魏の兵糧方の者と答えれば難なく通過できよう。――そして、魏の木牛流馬隊を待ち伏せ、それを殲滅して、ただ千余輛の器械のみを曳いて、ふたたび北原へ引っ返せ。――北原には、魏の大将郭淮の城もあることゆえ、今度は見のがさず邀撃して来るに相違ない」
「さて、その時は、木牛流馬の口をひらき、舌に仕掛けてあるネジを回転して、皆そこへ捨て去ればよい。敵はそれを奪りかえしたことによって、長追いもして来まい。――以後の作戦はなおべつの者に命じておくから」
と云いふくめた。王平はそう聞くと充分確信を得たもののように出て行った。次に呼ばれたのは張嶷であった。張嶷に対しては、こういう奇策が授けられた。
「汝は、五百の兵をもって、六丁六甲の鬼神軍に仕立て兵にはみな鬼頭を冠らせ、面を塗って妖しく彩らせよ。そしておのおの黒衣素足、手に牙剣をひっさげ旗を捧げ、腰には葫芦をかけて内に硫黄煙硝をつめこみ、山陰にかくれていて、郭淮の部下がわが王平軍を追いちらし、木牛流馬を曳いてかえらんとする刹那に彼を襲え。必定敵は狼狽驚愕、すべてを捨てて逃げ去るにきまっている。で、その後に、全部の木牛流馬の口腔のネジを左にまわし、わが祁山へさして曳いてこい」
すでにその日も暮れ、北原の彼方、重畳たる山々は、星の下に、黒々と更けて行った。
すると、途中でいぶかしい一軍に出会った。蜀の牙門将軍王平隊なのである。けれどこの兵はみな魏勢に変装していたので、夜目ではちょっと判断がつかなかった。
二
岑威の軍は怪しんで、まず大声でたずねた。
「そこへ来た部隊は、どこの何者の手勢か」と。
すると、王平の偽装隊は、なおのろく近づいてきながら、ようやくすぐ側へ来ると口々にいった。
「輸送方の者ですよ」
「輸送方とは即ちわれわれのことだ。汝らはどこの輸送方だ」
「きまっている。蜀の諸葛丞相の命をうけて運搬に来た者だ」
「何っ。蜀勢だと?」
仰天して立ち直ったが、そのとき魚の泳ぐように馬をはやめて部隊の真ん中へ跳びこんで行った王平が、
「おれは蜀の牙門王平だ。岑威の首と、木牛流馬は残らず貰いうけたからそう思え」
と、ひときわ目立つ魏の大将へ斬ってかかった。
彼が目がけた者は誤りなく敵将の岑威だった。岑威は狼狽して全隊へ何か号令を下していたが、王平と聞いて、さらに胆をつぶし、得物を揮って抗戦したが、たちまち王平の一撃に遭って、馬上から斬って落された。
不意であり、闇夜である。
ことに、戦闘力に弱点のある輜重隊なので、指揮官たる岑威が討たれると、魏兵は四分五裂して、逃げ散った。王平はすぐ、「それっ。流馬を曳け、木牛を推せ」と部下を督した。千余輛の木牛流馬を分捕り、道を急いで、以前の北原へ引っ返して行った。
王平は、そこまで来ると、
「ネジをまわして逃げろ」と、予定の退却を命じた。
兵は一斉に、木牛流馬の口中にある螺旋仕掛けのネジを右へ転じて逃げ去った。
郭淮は、兵糧の満載してある千余輛のそれを奪回して、まずよしと、城塁へ曳かせて帰ろうとしたが、もとより木牛流馬の構造や操作の法を知らないので、舌根のネジ仕掛けに気がつかず、ただ押してみたり曳っぱっているので、いくらどう試みても一歩も動き出さないのであった。
「はて。これはどうしたものだろう?」と、ただ怪しみ疑っていると、たちまち一方の山陰から殷々たる鼓角が鳴りひびき妖しげな扮装をした鬼神軍が飛ぶように馳けてきた。
「すわやまた、孔明が神異を現わしたぞ」
「安からぬことよ」と、急に軍勢を催して、自身救援に赴いた。
ところがその途中には、蜀の廖化や張翼などが、手具脛ひいて待ち伏せていた。ためにその途中、彼の軍は手痛く不意を衝かれ、前後の旗本も散々に打ち滅ぼされてしまった。そして司馬懿はついにただ一騎となってしまい、闇夜を鞭打って方角も見さだめず、無我夢中で逃げ奔っていた。
廖化が見つけた。
「わが運の尽きは今か」と、身の毛をよだたせた。
三
「残念」
廖化は地だんだを踏んだ。そしてようやく刀を抜きはずすと、再び、
「この機を逸して、いつの日か仲達の首を見ん」
と、なお諦めかねつ、その馬を乗りつぶすまで、司馬懿の行方を追いかけた。
けれど、仲達の姿は、ついにまた見ることができなかった。
ただ、途中、林の岐れ途で、一個の盔を拾った。黄金作りの美々しいもので、紛れもなく敵の大都督の戦冠である。
これは仲達がわざと落して行ったもので、とうとうまたなきこの機会を空しく取り逃がしてしまったのは、彼のためにも、蜀軍のためにも、実に惜しいことをしたものというほかはない。
(盔を、東の道へ落したのは、かえって、西の道こそ疑わしい)
となして、その方角へ、敵を追求して行ったとしたら、全戦局は一変して、後の蜀も魏の歴史もまったくあのように遺されて来なかったであろう。
しかし、歴史のあとを、大きく眺めるときは、いつの時代でも、いかなる場合にも、これを必然なる力と、人力を超えた或るものの力――いわゆる天運、または偶然とよぶようなものとの二つに大別できると思う。
魏国の国運というものや、仲達個人の運勢も強かったことは、このときの一事を見ても、何となく卜し得るものがあった。それにひきかえて、蜀の運気はとかく揮わず、孔明の神謀も、必殺の作戦も、些細なことからいつも喰いちがって、大概の功は収め得ても、決定的な致命を魏に与え得なかったというのは、何としても、すでに人智人力以外の、何ものかの運行に依るものであるとしか考えられない。
「これは、よくよく考えると、孔明の計に乗るというよりは、毎度、自分の心に惑って、自ら計を作っては、その計に乗っているようなものだ。孔明に致されまいとするなら、まず自分の心に変化や惑いを生じないように努めるに限る」と、まったく自戒の内に閉じ籠って、ひたすら守勢を取り、鉄壁に鉄壁をかさねて、攻勢主義の敵に、手も足も出せないような策を立てた。
一面、蜀軍のほうは、
「戦えばいつもこの通りだ」
「かくの通り、彼が盔を捨てて逃げ惑うほど、追いつめ追いつめ、こッぴどく懲らしめてくれました」
と、大いに功を誇れば、姜維、張嶷、王平なども、それぞれその夜の功を称えて、
「そうか。よくこそ」と孔明は、それから各自の者へ向って、賞辞と宥りを惜しまなかった。けれど彼の心中には、拭いきれない一抹のさびしさがあった。
いまもしここの陣に、関羽の如きものがいたら、こんな小戦果を以て、誇りとするのはおろか、到底、満足はしなかったろう。かえって、
(丞相からこれほどの神謀を授かりながら、肝腎な司馬懿を取り逃がしたことは、なんとも無念であります、申し訳もありません)
慙愧叩頭して、その罪を詫びて止まないに違いない。
口には出さないが、孔明の胸裡にある一点の寂寥というのは実にそれであった。彼には科学的な創造力も尽きざる作戦構想もあった。それを以て必勝の信ともしていたのである、けれど唯、蜀陣営の人材の欠乏だけは、いかんともこれを補うことができなかった。