三公
三公(さんこう)とは
役割
三公は皇帝を補佐する最高位の大臣であり、国家の政治・軍事・行政を分担して担った。
・太尉:軍事全般を統括する。
・司徒:民政を担当する。
・司空:土木・建設や公共事業を司る。
三国志での文脈
後漢末、霊帝・献帝の時代には黄琬(司徒)、楊彪(司空)、張温(太尉)などが「三公」として登場する。しかし董卓が朝廷を掌握すると、彼ら三公も権勢に押されて無力化され、実際の政治は董卓の独裁に委ねられてしまった。
驢車から蹴落すとともに、董卓の武士たちは伍俘の全身に無数の刃と槍を加えて、塩辛のようにしてしまった。 × × × 。 都を落ちて、遠く渤海郡(河北省)の太守に封じられた袁紹はその後、洛陽の情勢を聞くにつけ、鬱勃としていたが、遂に矢も楯もたまらなくなって、在京の同志で三公の重職にある司徒王允へ、ひそかに書を飛ばし、激越な辞句で奮起を促してきた。 だが、王允は、その書簡を手にしてからも、日夜心で苦しむだけで、董相国を討つ計はなにも持たなかった。三。
「袁紹はどうであろう」 。 と、指名した。「袁紹は元来、漢の名将の後胤であるのみでなく、父祖四代にわたって、三公の重職に昇り、門下にはまた、四方に良い吏人が多い。その名望地位から見ても、袁紹こそ盟主として恥かしくない人物ではあるまいか」 。 彼のことばに、 。
不日、この曹操がかならず生捕ってみせる」 。「では、河北の袁紹があげられましょう。家系は四代三公の位にのぼり、門下には有数な官吏が多く出ております。そして今、冀州に虎踞して謀士勇将は数を知らずといわれ、前途の大計は、臆測をゆるしません。まず彼など、時代の英雄とゆるしてもいいのではありますまいか」 。
彼は、龐統がそう云い出したのを幸いに、 。「いちど呉へかえって、同志を語らい、ひそかに計をほどこして給わらぬか。もし成功なせば、貴下を三公に封ずるであろう」と、いった。
まんまと詐りおおせたと心をゆるしていると、案外、曹操はなお――間ぎわにいたるまで、こっちの肚を探ろうとしているかも知れない――と気づいたからである。 で、彼は、曹操が、 。(成功の上は、貴下を三公に封ずべし)というのを、言下に、顔を横に振って見せながら、 。「思し召はありがとうございますが、私はかかる務めを、目前の利益や未来の栄達のためにするのではありません。ただ民の苦患をすくわんがためです。
年の頃まだ二十四、五歳。神貌清白、眉ほそく、眼すずやかである。これなん弘農の人で、一門から六相三公を出している名家楊震の孫で、楊修、字は徳祖という。いま曹操に仕えて、楊郎中といわれ、内外倉庫の主簿を勤めていた。「外国の使臣といえ、黙って聞いておれば、怪しからんことをいう。
「主は従容として、時には枕を高うし、心を広くもち、よく身を養い、内外を見ておればよいのであります。決してそれは、奴婢鶏犬に及ばないからではなく、主の分を破り家の法に背くからです。――坐シテ道ヲ論ズ之ヲ三公ト言イ、作ッテ之ヲ行ウヲ士大夫ト謂ウ――と古人が申したのもその理ではございますまいか」 。「…………」孔明は瞑目して聞いていた。「然るに、丞相のご日常をうかがっておりますと、細やかな指示にも、余人に命じておけばよいことも、大小となく自ら遊ばして、終日汗をたたえられ、真に涼やかに身神をお休め...