長沙の乱 用語 長沙の乱(ちょうさのらん)とは 長沙の乱は、後漢末期の黄巾の乱に呼応して、荊州の南部(現在の湖南省付近)で起こった反乱のことを指す。黄巾の余波として各地に波及した地方反乱の一つである。 歴史的背景 184年に張角が率いた黄巾の乱が勃発すると、その思想と呼応は全国に広がり、後漢王朝の各地で同調蜂起が起きた。荊州南部の長沙郡においても賊徒が武装蜂起し、朝廷の統制が揺らいだ。 この乱は「荊州黄巾」とも呼ばれ、江南や南中の地方でも波及的に騒乱を引き起こした。 三国志での関わり 長沙の乱は、黄巾の乱の主要戦線(冀州・兗州・青州)に比べると規模は小さかったが、後漢の支配体制が南部においても大きく揺らいでいたことを示す。荊州は後に劉表が支配し、さらに劉備・孫権ら三国が争奪する戦略拠点となるため、この地域の動乱は後の三国時代の舞台形成に影響した。 関連する人物 孫堅(長沙太守に任じられ、黄巾賊討伐で名を上げた) 劉表(後に荊州を掌握し、長沙を含む地を支配した) 吉川英治の三国志での扱われ方 吉川英治『三国志』では、長沙の乱は黄巾の余波の一つとして触れられる程度であるが、孫堅が南方で武功を立てるきっかけとして描かれる。ここでの功績が、孫堅の後の台頭(孫呉の基盤形成)につながる伏線となっている。 「長沙の乱」登場回数 合計: 1回 0 0 0 0 1 1 桃園の巻 0 群星の巻 0 草莽の巻 0 臣道の巻 0 孔明の巻 0 赤壁の巻 0 望蜀の巻 0 図南の巻 0 出師の巻 0 五丈原の巻 「長沙の乱」が登場する場面 1件 乱兆 十常侍の輩は、口をあわせて、いつもそんなふうにしか、奏上していなかった。 だが。 長沙の乱へは、孫堅を向わせて、平定に努めていた。 また劉焉を益州の牧に封じ、劉虞を幽州に封じて、四川や漁陽方面の賊を討伐させていた。 その頃。 三国志 本文 桃園の巻 「長沙の乱」を全て検索