穆順(ぼくじゅん)とは 吉川英治『三国志』に登場する同名の人物で、宮中に仕える忠実な宦官(あるいは近臣)と、張楊配下の名槍手という二人がいる。前者は伏皇后と献帝に近侍し、後者は戦場で呂布に挑んで敗れたことで名が記される 。 生...
広宗(こうそう)とは、後漢末の冀州・鉅鹿郡に属した城邑・県の名であり、黄巾の乱における決定的会戦の舞台として、三国志世界の入口を開く地です。 歴史 黄巾の乱の最終局面で、広宗は張角の弟・張梁、そして天公将軍張角に代わる実戦指揮官...
袁術(えんじゅつ)公路(こうろ)とは 後漢末の群雄の一人。字(あざな)は公路。名門・汝南袁氏の出身で、袁紹の異母弟にあたる。 生涯 宦官や外戚が権力をふるう宮廷の混乱の中で頭角を現し、初めは後漢王朝の将軍として各地で...
橋玄(きょうげん)とは 後漢末の名士で、字は公祖(こうそ)。名望の高い人物で、若き日の曹操を見抜き評価したことで知られる。 生涯 橋玄は冀州安平の出身。学識と人格に優れ、地方官や朝廷の役職を歴任した。特に清廉で正義感...
曹嵩(そうすう)とは 後漢末の武将・政治家曹操の父。字は巨高(きょこう)。もともとは宦官の養子であり、曹操の家柄をめぐって後世にさまざまな評価が残っている。 生涯 曹嵩は後漢の宦官・曹騰(そうとう)の養子となり、その...
三公(さんこう)とは 中国古代の高官の称号で、国家の最高位にある三つの官職を総称した呼び方。後漢期では「太尉」「司徒」「司空」を指す。 役割 三公は皇帝を補佐する最高位の大臣であり、国家の政治・軍事・行政を分担して担...
楊彪(ようひょう)とは 後漢末の政治家で、司空を務めた高官。字は文先(ぶんせん)。楊震を祖とする名門楊氏の出身で、楊修の父にあたる。 生涯 霊帝の時代に仕え、三公のひとつである司空に任じられた。名家の出で清廉な人物と...
黄琬(こうえん)とは 後漢末の政治家で、司徒を務めた高官。字は子琰(しえん)。名門の出であり、清廉な士として知られる。 生涯 黄琬は名門・潁川黄氏の出身で、若くして学識と人徳で知られた。後漢末、霊帝の時代に司徒に任じ...
荀爽(じゅんそう)とは 後漢末の名士で、儒学者。字は慈明(じめい)。荀彧・荀攸らを輩出した荀氏一族の長老格にあたり、後世の三国志世界において名門荀氏の基盤を築いた人物である。 生涯 荀爽は頴川(えいせん)の名門に生ま...
献帝(けんてい)とは 後漢の最後の皇帝、名は劉協(りゅうきょう)。霊帝の子として生まれ、在位は189年から220年まで。形式的には皇帝でありながら、実権を握れず群雄に翻弄された悲劇の君主である。 生涯 幼くして父・霊...
尚書丁管(しょうしょ ていかん)とは 後漢末の官僚で、尚書(中央の詔勅や政務を扱う官職)を務めた人物。名は丁管。三国志正史や『後漢書』にも登場するが、記録は少なく、宦官勢力との関わりで名が残っている。 生涯 丁管は尚...
蔡邕(さいよう)とは 後漢末の学者・文人・政治家。字は伯喈(はくかい)。文章や音楽、書法にすぐれ、後漢末を代表する文化人のひとりとして知られる。 生涯 陳留郡の出身。若いころから博学多才で知られ、特に文章と音楽に秀で...
周毖(しゅうひ)とは 後漢末の官僚で、黄門侍郎を務めた人物。何進と宦官の争い、董卓の入京といった政変の中で登場する。 生涯 霊帝の崩御後、外戚の何進が宦官を誅そうとした際、周毖はこの策に反対した。宦官勢力を一気に排除...
袁隗(えんかい)とは 後漢末の名族・袁氏の一人で、袁紹や袁術の大叔父にあたる人物。後漢末期の混乱期に司空などの高官を歴任した。 生涯 袁隗は四世三公(四代にわたり三公を輩出した名門)として知られる汝南袁氏の出身。霊帝...
前漢(ぜんかん)とは 紀元前202年に劉邦(高祖)が建国した漢王朝の前期で、都を長安に置いたため「西漢」とも呼ばれる。紀元前8年に王莽が「新」を建てるまで続いた。 歴史 ・劉邦(高祖)が楚漢戦争に勝利し皇帝に即位、中...
漢朝(かんちょう)とは 紀元前202年に劉邦(高祖)が建てた王朝で、中国史における最も重要な時代のひとつ。前漢(西漢)と後漢(東漢)の二期に分かれ、約400年にわたり続いた。 歴史 ・前漢(西漢):劉邦が楚漢戦争に勝...
桃園の巻(とうえんのまき)とは 吉川英治『三国志』の第一巻であり、物語全体の出発点となる巻。タイトルの「桃園」は劉備・関羽・張飛の三人が義兄弟の契りを結んだ「桃園結義」を象徴している。 あらすじ 後漢末、帝室の衰えと...
何太后(かたいこう)とは 何太后は後漢霊帝の皇后であり、少帝劉弁の生母。名は伝わっていないが、「何皇后」「何太后」として歴史に名を残す。外戚として兄の何進と共に権力を握ったが、やがて董卓により廃されて悲劇的な最期を遂げた。 ...
董太后(とうたいこう)とは 董太后は後漢霊帝の母で、桓帝の後宮出身。霊帝の即位により太后となり、後宮や政治に大きな影響を持った人物。宦官勢力と結びつき、後漢の政治腐敗の象徴的存在とされる。 生涯 董氏は桓帝の妃の一人...
鄭泰(ていたい)とは 鄭泰は後漢末期の官僚・名士で、字は公業(こうぎょう)。劉備と同郷で、黄巾の乱や董卓の専横の時代に清廉な人物として知られた。 生涯 鄭泰は幽州涿郡の出身で、劉備と同郷であった。若くして学識と人物を...
何顒(かぎょう)とは 何顒は後漢末期の学者・官僚で、清流派の名士として知られた人物。字は伯求(はくきゅう)。学問と人格に優れ、同時代の士人から高く評価された。 生涯 何顒は潁川出身で、若くして経学に通じ、名声を博した...
袁紹(えんしょう)とは 袁紹は後漢末期の群雄の一人で、冀州を支配し、河北四州を制圧した大勢力の覇者。名門袁氏の出であり、官僚としても武将としても高名であったが、曹操との争いに敗れて滅びた。 生涯 袁紹は汝南汝陽の出身...
劉虞(りゅうぐ)とは 劉虞は、後漢末期の名士で、幽州牧として知られる人物。名門の出で、清廉で温厚な人柄によって北方の民に慕われたが、群雄割拠の中で悲劇的な最期を遂げた。 生涯 劉虞は後漢宗室の一員で、若くしてその人徳...
何后(かこう)とは 何后は後漢霊帝の皇后で、名は伝わっていないが「何皇后」として知られる。霊帝の寵愛を受けて皇后となり、後に外戚として権力を握ったが、やがて宮中の権力抗争の中で悲劇的な最期を遂げた。 生涯 何后は屠夫...
何進(かしん)とは 何進は、後漢末期の大将軍で、霊帝の皇后である何皇后の兄。もとは屠殺業を営む庶民の出であったが、妹が皇后となったことで急速に出世し、やがて宦官討伐を試みたが逆に殺害された。 生涯 何進はもとは屠夫で...