十常侍の乱
冒頭
十常侍の乱(じょうじょうじのらん)とは、後漢末の洛陽宮廷で権勢をふるった宦官集団十常侍が、外戚の何進と対立して殺害・粛清され、その過程で皇帝らが宮中から連れ去られるなど宮城と都が大混乱に陥った政変です。
概要
十常侍は霊帝の側近として政務を左右し、功臣への賄賂の要求や讒言による官職剥奪などを通じて勢力を拡大したとされます。 霊帝崩御後、宦官側は協皇子擁立などを含む策動を進め、何進側も宦官一掃を企図して対立が先鋭化しました。
背景
経過
何進は召されて入宮したところ、張譲ら十常侍一派に包囲されて殺害されます。 これに対し袁紹・呉匡らが禁中へ乱入し、「十常侍をみなごろしにしろ」と宦官狩りが行われ、趙忠・郭勝らも討たれたとされます。 一方で張譲・段珪は新帝と陳留王(協皇子)、何太后を伴って北宮から離脱を図り、盧植が何太后を引き留め、曹操も消火・追跡に関与します。 逃走の末、張譲は投身し、段珪も追討される経過が示されます。
影響
政変は禁門内外を「修羅地獄」とするほどの混乱を生み、都の統制は大きく損なわれました。 この権力空白と治安悪化は、以後の軍閥の台頭と中央権力の解体へつながる前提となります。
史実との違い