西涼軍
冒頭
西涼軍(せいりょうぐん)とは、後漢末に西方の辺境である西涼を基盤として動いた軍勢、およびその系譜に連なる武装集団を指す呼称です。吉川英治『三国志』では、董卓が西涼刺史として二十万の兵を擁したことが、西涼軍の出発点として示されます 。
概要
西涼は現在の甘粛方面に当たり、西方諸族との接触地帯でもあるため、中央の軍より荒々しく機動力に富む兵として語られやすい性格を持ちます。作中でも「西涼の胡夷どもは、寒さに強い」といった形で、辺境兵の強靭さが軍略上の前提として置かれています 。
歴史
西涼軍は、まず董卓の軍閥的基盤として登場し 、董卓死後も旧臣の李傕・郭汜らが西涼方面へ兵を集め直し、長安へ向かう勢力として再編されます 。さらに時期が下ると、西涼の太守馬騰と韓遂が合軍して長安へ迫る大軍として語られ 、馬超が韓遂と結んで潼関・渭水方面で曹操軍と対峙する局面では、馬超・龐徳・馬岱らを中核とする軍として「西涼軍」が反復されます 。
使われ方と軍事的特徴
吉川三国志では、西涼軍は中央の政権軍に対する「関中・西方から来る大兵」の総称として用いられ、渭水を挟んだ攻防では焼討ちや油弾などを用いた強攻で曹操側を悩ませる軍として描写されます 。また、長安攻略では龐徳の内応による西門開放を契機に、馬超・韓遂の大軍が一夜で長安全城を掌握するなど、急進的な突破力も要点となります 。