増長冠
一
もちろん、街道の交通は止まっている。野にも部落にも兵が満ちていた。
――けれど陳大夫は平然と通って行った。
白い羊を引いて。
そして、疎髯を風になびかせながら行く。
「なんだろ、あの爺は」と、指さしても、咎める兵はなかった。
咎めるには、あまりに平和なすがたである。戦場のなかを歩いていながら少しも危険を意識していない。そういうものにはつい警戒の眼を怠る。
「もうほど近いな」
陳大夫は、山にかかると、時折、岩に腰かけた。この山には、清水がない。羊の乳を器にしぼって、わずかに渇と飢えをしのいだ。
時は、真夏である。
「おやじ。どこへ行く」
中軍の門ではさすがに咎められた。陳大夫は、羊を指さしていった。
「韓将軍へ、献上に来たのです」
「村の者か、おまえは」
「いいや、徐州の者だよ」
「なに、徐州から来たと」
「陳珪という老爺が、羊をたずさえて訪ねてきたと、将軍に取次いでもらいたい」
より驚いたのは、取次からそれを聞いた大将の韓暹である。
「何はともあれ会ってみよう」と、堂に迎え、慇懃にもてなした。
そのうち日が暮れると、
「今夜は月がよいらしい。室内はむし暑いから、ひとつあの松の木の下で、貴公と二人きりで、心のまま話したいものだが」と、陳大夫は望んだ。
「老人は呂布の客将。いったい何の用で、敵のそれがしを、突然訪ねてこられたか」
韓暹が、そう口を切ると、老人は初めて態度を正した。
それから老人は急に雄弁になりだした。諸州の英雄をあげ、時局を談じ、また風雲の帰するところを指して、
「尊公の如きは、実に惜しいものである」と、嘆いた。
「ご老体。何故、そのように此方のためにお嘆きあるか。願わくは教え給え」
「されば、それを告げんがために、わざわざ参ったことゆえ、申さずにはおられん。――思い給え、尊公はかつて、天子が長安から還幸の途次、御輦を護って、忠勤を励んだ清徳な国士ではなかったか。しかるに今日、偽帝袁術をたすけ、不忠不義の名を求めんとしておる。――しかも偽帝の運命のごときは、尊公一代のうちにも滅亡崩壊するにきまっている。一年か二年の衣食のため、君は生涯の運命を売り、万世までの悪名を辞さない気でおられるのか。もしそうだとしたら、君のために嘆く者は、ひとりこの老人のみではあるまい」
二
「以上、申しあげた儀は、それがしの一存のみでなく、呂布の意中でもあること。仔細はこの書面に――」と、披見を促した。
「いや、実を申せば、自分も常々、袁術の増長ぶりには、あいそも尽き、漢室に帰参したいものと考えていたものの、何せん、よい手蔓もなかったので――」と、本心を吐いた。
ここまでくれば、もう掌上の小鳥。陳大夫は心にほくそ笑みながら、
「第七軍の楊奉と尊公とは、常から深いお交わりであろうが。――楊将軍を誘って、共に合図をおとり召されては如何」
「合図をとれとは?」
韓暹は、小声のうちにも、息をはずませた。ここ生涯の浮沈とばかり、心中波立っている容子が明らかであった。
陳大夫も、声をひそめて、
「よし。誓って――」と、韓暹は月を見た。夜は更けて松のしずくが梢に白い。陣中、誰のすさびか笙を吹き鳴らしている者がある。兵も、暑いので眠られないとみえる。
短い夏の夜は明ける。
七路の七軍は一斉にうごきだした。雲は低く、おどろおどろ遠雷が鳴りはためいている。
徐州城は近づいた。
一天晦瞑、墨をながしたような空に、青白い電光がひらめく度に、城壁の一角がぱっと明滅して見える。
ぽつ! ぽつ! と大つぶの雨と共に、雷鳴もいよいよ烈しい。戦は開始された。
七路に迫る寄手は喊声をあげてきた。呂布ももちろん、防ぎに出ていた。――驟雨は沛然として天地を洗った。
夜になったが、戦況はわからない。そのうちにどうしたのか、寄手の陣形は乱脈に陥り、流言、同士討ち、退却、督戦、また混乱、まったく収まりがつかなくなってしまった。
「裏切りが起った」
――と知った呂布は、
「今だっ」と、勢いを得て、敵の中央に備え立てている紀霊、雷薄、陳紀などの諸陣を突破して、またたくまに本営に迫った。
「匹夫呂布、自ら死地をさがしに来たるかっ」
「――あっ?」
三
「おうっ、われ今そこへ行かん。対面して、返辞をしよう。うごくな袁術っ」
馬をすすめて、中軍の前備えを一気に蹴やぶり、峰ふところへ躍り入ると、
「呂布だぞ」
「近づけるな」
「邪魔するな」
呂布は、馬首を高く立て楽就の駒を横へ泳がせ、画桿の方天戟をふりかぶったかと思うと、人馬もろとも、楽就は一抹の血けむりとなって後ろに仆れていた。
「卑怯っ」
逃ぐるを追って、梁紀の背へ迫ってゆくと、横あいから、
「呂布、待て」と、敵の大将李豊、捨身に槍をしごいて、突ッかけてくる。
「呂布を討て」と、喚き合った。
「虎は罠にかかったぞ」
袁術も、山を降りて、味方のうしろから督戦に努め、
「呂布の首も、今こそ、わが手の物」と、小気味よげに、指揮をつづけていた。
――もう一息!
すると、またも。
高原の彼方に、一朶の雲かと見えたのが、近づくに従って、一颷の軍馬と化し、敵か味方かと怪しみ見ているいとまもなく、その中から馳けあらわれた一人の大将は漆艶のように光る真っ黒な駿馬にうちまたがり、手に八十二斤の大青龍刀をひっさげ、袁術のまえに立ちふさがって、
「これは予州の太守劉玄徳が義弟の関羽字は雲長なり、家兄玄徳の仰せをうけて、義のため、呂布を扶けに馳けつけて参った。――それへ渡らせられるは、近ごろ自ら皇帝と僭称して、天をおそれぬ増長慢の賊、袁術とはおぼえたり。いで、関羽が誅罰をうけよ」と、名乗りかけた。
袁術は、仰天して、逃げ争う大将旗下のなかに包まれたまま、馬に鞭打った。
「その首、貰ッた」
と、横なぐりに、払ったが、わずかに、馬のたてがみへ、袁術が首をちぢめたため、刃はその盔にしか触れなかった。
しかし、自称皇帝の増長の冠は、ために、彼の頭を離れ、いびつになったまま素ッ飛んだ。
「こんどの戦で、かくわれをして幸いせしめたものは、第一に陳珪父子の功労である。第二には、韓暹、楊奉の内応の功である。――それからまた、予州の玄徳が、以前の誼みをわすれず、かつての旧怨もすてて、わが急使に対し、速やかに、愛臣関羽に手勢をつけて、救援に馳けつけてくれたことである。そのほか、わが将士の力戦をふかく感謝する」
と、呂布はその席で、こう演舌して、一斉に、勝鬨をあわせ、また、杯をあげた。
四
祝賀のあとでは、当然恩賞が行われた。
と、今日もたずねた。
陳珪は、答えていった。
「将軍の座右には、すでに人材が整うています。一羽の馴れない鶏を入れたために、鶏舎の群鶏がみな躁狂して傷つく例もありますから、よほど考えものです。むしろ二人を山東へやって、山東の地盤を強固ならしめたら、一、二年の間に大いに効果があがるでしょう」
「実にも」と、呂布はうなずいた。
老人の子息陳登は、そのよしを聞いて、不平に思ったのか、或る時、ひそかに父の料簡をただした。
「生意気をいうようですが、すこし父上のお考えと私の計画とはちがっていたようですね。私は、あの二人を留め置いて、いざという時、われわれの牙として、大事に協力させようと思っていたのに」
皆まで聞かず、陳大夫は、若い息子のことばを打消して、そっとささやいた。
「その手は巧くゆかんよ。なぜなら、いくら手なずけても、元来彼らは卑しい心性しかない。わしら父子に与すよりは、日のたつほど呂布に諂い、呂布の走狗となってゆくに違いない。さすれば却って、虎に翼を添えてやるようなものだ。呂布を殺す時の邪魔者になる……」
梧桐は落ちはじめた。夏去り、秋は近くなる。
淮南の一水にも、秋色は澄み、赤い蜻蛉が、冴えた空に群れをなして舞う。
袁術皇帝は、この秋、すこぶる御気色うるわしくない。
「呂布め。裏切者どもめ」
いかにして先頃の恥をそそごうかと、おごそかな帝座に在って、時々、爪を噛んでいた。
こういう時、思い出されるのは、かつて自分の手もとにいた孫策である。
その孫策はいつのまにか、大江を隔てて呉の沃土をひろく領し、江東の小覇王といわれて、大きな存在となっているが、袁術は彼の少年頃から手もとに養っていたせいか、いつでも、自分のいうことなら、嫌とはいわないような気がする――
そこで彼は、孫策のところへ、使いを立てた。
蔭ながら御身の成功をよろこんでおる。
御身もまた我との誼みをわすれはしまい。
近ごろ御身の呉国はいよいよ隆昌に向い、文武の大将も旗下に多いと聞く。この際、我と力をあわせ、呂布を討って、彼の領を処理し、さらに、呉に勢威を加えてはどうか。
それは、御身のため、長久の計でもあろう。
と、いうような書翰だった。
孫策はすぐ返辞を書いて、
「委細はこのうち」と、軽く使者を追い返した。
袁術は、その返書をひらいてみると、こう書いてあった。
老君、予の玉璽を返さず、帝位を僭して、さらに世を紊す。
予、天下に謝すの途を知る。
いつの日か、必ずまみえん。
乞う、首をあろうて待て。
「豎子っ。よくも朕をかく辱めたな」
袁術は、書面を引裂いて、直ちに呉へ出兵せよといったが、群臣の諫めに、ようやく怒りをおさえて時を待つことにした。