総兵之印
一
蜀魏両国の消耗をよろこんで、その大戦のいよいよ長くいよいよ酷烈になるのを希っていたのは、いうまでもなく呉であった。
という四文字を書いた。
けだし、それは、諸葛瑾の顔が、人いちばい長面なので、それを揶揄して笑ったのである。だが、君公の戯れなので、当人も頭をかいて共に苦笑していた。
すると父のそばにいたまだ六歳の諸葛恪が、いきなり筆を持って庭へとび降り、驢の前に背伸びして、その面の四文字の下へ、また二字を書き加えた。
人々が見ると、すなわち、
と、読まれた。見事、からかわれている父の辱をそそいだのである。現今中国人のあいだでよくいわれる「面子」なることばの語源がこの故事からきているものか否かは知らない。
かくて魏蜀戦えば戦うほど、呉の強大と国力は日を趁うて優位になるばかりなので、宿老張昭はかたく、兵をいましめ、産業を興し、学校を創て、農を励まし、馬を養って、ひたすら、他日にそなえながら、一面、特使を蜀へ派して、なおなお善戦を慫慂していた。
また、その特使の使命には、
「このたび、わが呉においても、前王孫権が登極して、皇帝の位に即かれました」
という発表を伝えて、国際的にこれを承認させる副意義もあったこと、もちろんである。
その特使は、成都へも、漢中の孔明の所へも同様に臨んだ。孔明は心のうちに安からぬものを抱いたにちがいない。なぜといえば、彼の理想は、漢朝の統一にあるからである。天に二つの日なしという信念が、彼の天下観だからである。しかし今はそれを唱えていられない時であった。ひとたび呉が離脱せんか、魏と結ぶことは必然である。かくては永遠に蜀の興隆はない。蜀亡ぶときは、彼の理想もついに行い得ないことになる。
「それは実に慶祝にたえない。いよいよ呉蜀両帝国の共栄を確約するものです」
そして、ついでに、
「いま貴国の強兵を以て魏を攻めらるれば、魏は必ず崩壊を兆すであろう。わが蜀軍が不断に彼を打ち叩いて、疲弊に導きつつあるは申すまでもありません」
と呉へ申し入れ、また朝野に向って、時は今なることを、大いに鼓欣宣伝させた。
「どうしたものだろう、蜀の要請は」
「そうありたいのだ」
孫権はこころよげに笑った。
二
「それでは遅い。奏上はあとでするから、ご辺はすぐ向え」
と、張郃に三千騎を附して、すぐ陳倉城へ援けに向わせた。
どうしてこう迅速だったかといえば、しきりに孔明の来襲を伝えたものは、実は姜維、魏延などの一軍で、その本軍は疾くひそかに漢中を発し、間道をとって、世上の耳目も気づかぬうちに、陳倉城の搦手に迫り、夜中、乱波を放って、城内に火をかけ、混乱に乗じて、雪崩れ入ったものだった。
だから味方の姜維や魏延が城中へ来たときですらすでに落城のあとだった。いかに魏の張郃が急いで救援に来たところで、とうてい、間にあうわけはなかったのである。
「丞相の神算は、つねに畏服しているところですが、かかる電撃的な行動は、われらも初めて見るところでした」
「この人は敵ながら、その忠魂は見上げたものだ。死すとも朽ちさすべき人ではない」
と、兵を用いて手篤く弔えと命じた。
孔明はまた、二人へむかい、
関は手薄だった。
ために難なく乗っ取ることを得たが、蜀旗を掲げてわずか半日ともたたないうちに、士気すこぶる旺な魏軍が、えいえいと武者声あわせて襲せ返してきた。
「すわや、丞相の先見あやまたず、魏の大軍がはや来たとみえる」
望楼にのぼって、これを望み見るに、軍中あざやかに、魏にその人ありとかねて聞く「左将軍張郃」の旗が戦気を孕んでひらめいていた。
しかし、これまで来てみると、すでに散関すら蜀軍に奪られていたので、いたく失望したものであろう、やがて張郃の軍は、にわかに後へかえってゆく様子だった。
「追い崩せ」
蜀勢は、関を出て、これを追った。ために張郃の勢は、若干の損害をうけたのみならず、むなしく長安へ潰走した。
「この方面の態勢は、まず定まりました」
孔明は、この報らせをつかむと、
ここは二度の旧戦場だ。しかもその両度とも蜀軍は戦い利あらず、退却のやむなきを見ているのである。孔明にとっては実に痛恨の深い地であるにちがいない。彼は、帷幕の将星をあつめて告げた。
「魏は二度の勝利に味をしめて、このたびも旧時の例にならい、我かならず雍・郿の二郡をうかがうであろうとなして、そこを防ぎ固めるにちがいない。……ゆえに我は、鉾を転じて陰平、武都の二郡を急襲せん」
孔明の作戦は、その陰、武二郡を取って、敵の勢力をその方面へ分散させようとするにあったらしい。しかし敵の兵力を分けさせるためには、自己もまた兵力を分けねばならなかった。それにさし向けた蜀軍の兵力は、王平の一万騎と、姜維の一万騎、あわせて二万の数だった。
三
「さもあらば、蜀勢はまた雍・郿の二郡へ攻めかかるだろう。張郃、足下はこの長安を守れ、われは郿城を固め、雍城へは孫礼をやって防がせよう」
即座に彼は、兵を分けて、その方面へ急行した。
「大兵と軍馬を、ぞくぞく下し給え、さもなくば、事態予測をゆるさず」と、要請した。
魏朝廷の狼狽はただならぬものがあった。何となれば、この時すでに、呉の孫権の帝位登極のことが伝わっていたし、続いて、蜀呉の特使交換やら、さらには蜀の要請に従って、武昌の陸遜が、大兵力をととのえ、今にも魏へ攻め入ろうとする空気が濃厚にみなぎっているなどという――魏にとって不気味きわまる情報がやたらに入っているからであった。
蜀も強敵。呉もいうまでもなく大敵。こうなるといずれに重点をおいてよいのか。魏廷の軍政方針は紛々議論のみに終って、その実策を見失っているのであった。
「司馬懿に問うしかない」
重将宿将多しといえども魏帝もついにはひとりの仲達に恃みを帰するしかなかった。
「いそぎ参朝せよ」と、召せばいつでも、素直に出てくる司馬懿であったが、闕下に伏しても、この頃の風雲にはまるで聾のような顔をしていた。
けれど、帝が下問すると、
「そんなことは、深くお迷いになるまでもないことかと思います」
と、その定見を、するすると糸を吐くように述べた。
「孔明が呉をけしかけたのは当り前な考えです。呉がこれに応じるのもまず修交上当然といえましょう。けれど呉には陸遜という偉物が軍をにぎっています。また、呉が率先挺身しなければ、条約に違うという理由はありませんから、攻めんといい、攻めるぞとみせ、実は軍備ばかりしていて、容易にうごかず、蜀の戦いと、魏の防ぎを、睨み合わせて、ひたすら機を測っているものにちがいありません。――故に、呉の態勢は虚です。蜀の襲攻は実です。まずもって、実に全力をそそぎ、後、虚を始末すればよろしいでしょう」
「なるほど、実にも、そうであった」
いわれてみると、こんな分りきっていることを、なんで迷っていたのかと魏帝は膝を打って嘆じた。
「卿はまことに大将軍の才だ。卿をおいては孔明を破るものはない」
嘆賞のあまり魏帝はその場で彼を大都督に封じ、あわせて、総兵之印をも取り上げて、汝にさずけんと詔りした。
「勅を以て取り上げらるるはお気の毒の限りですし、それでは当人の面子もありませんから私が参ってみずから頂戴しましょう」
「えっ。そんな事態ですか」
――曹真は愕然として、
「何しろ、この病体なので、誰もほんとのことを知らしてくれない」と、痛涙にむせんだ。
「からだにお毒ですよ」
と仲達はなぐさめて――
「それがしがお扶けしますから帷幕のことはあまりご痛心なさらぬがよい」といった。
「いや、いや、この病身では、ついに国家の大危局を救う力など到底わしにはない。どうかご辺がこれを譲りうけて、この大艱難に当ってくれい」
「朝廷へは、わしから後に奏聞しておく。決して、卿に咎はかけない」
といって、どうしても肯かないのである。仲達も断りあぐねた態をなして、それでは一応お預かりしておくと答えて受け取った。