一帆呉へ下る
一
玄徳の生涯のうちでも、この時の敗戦行は、大難中の大難であったといえるであろう。
曹操も初めのうちは、部下の大将に追撃させておいたが、
と荀彧らにも励まされてか、俄然数万騎を増派して、みずから下知に当り、
「どこまでも」と、その急追をゆるめないのであった。
「わが運命もこれまで――」と、観念するしかないような状態に陥っていた。
「ああまだ天は玄徳を見捨て給わぬか」
こうなると人間はただ運命にまかせているしかない。一喜一憂、九死一生、まるで怒濤と暴風の荒海を、行くても知れずただよっているような心地だった。
と、彼らしくもない愚痴をこぼすのを、玄徳はなだめて、
「いや、あの時は、天下のために、乱を醸すまいと思い、また曹操の人物を惜しんで止めたのだが――もし天が正しきを助けるものなら、いつか一度は自分の志もつらぬく時節がくるだろう」
と、いった。
するとその時、江上一面に、喊の声や鼓の音が起って、河波をあげながらそれは徐々に近づいてくる様子だった。
見れば彼方から蟻のような船列が順風に帆を張って来る。先頭の一艘はわけても巨大である。程なく近々と白波をわけて進んでくるのを見ると、その船上には、白い戦袍へ銀の甲鎧を扮装ったすがすがしい若武者が立っていて、しきりと此方へ向って手を打ち振っている。
「叔父、叔父。ご無事ですか。さきにお別れしたきり小姪の疎遠、その罪まことに軽くありません。ただ今、お目にかかってお詫び申すつもりです」
「よくこそ、私の危急に、馳けつけて下すった」と、涙にくれた。
「およそこの辺にいたら、各〻と落合えるであろうかと、夏口の兵を少し募って、お待ちしていただけです」と、あまり多くを語らなかった。
二
しかし、それをつぶさに語るとなると、自分の口から自分の功を誇るようなものになるので、孔明は、
「さし当って、次の策こそ肝腎です。夏口(漢口附近)の地は要害で水利の便もありますから、ひとまず彼処の城にお入りあって、曹操の大軍に対し、堅守して時節を待たれ、また劉琦君にも江夏の城へお帰りあって、わが君と首尾相助けながら、共に武具兵船の再軍備にお励みあるが万全の計でしょう」と、まず将来の方針を示した。
劉琦は、同意したが、
「それよりも、もっと安全なのは、ひとまず玄徳どのを、私の江夏城へおつれして、充分に装備をしてから、夏口へお渡りあっては如何ですか。――いきなり夏口へ入られるよりもそのほうが危険がないと思われますが」と、一応自分の考えも述べた。
「もはや誰のために戦おう」と、城門をひらいてことごとく曹操に降服してしまった。
――呉を如何にするか。
これは多年の懸案である。しかもこの対策に成功しなければ、絶対に統一の覇業は完成しないのである。
「檄文を作れ」
荀攸に命じて、檄を書かせた。もちろんそれは呉へ送るものである。
いま、玄徳、孔明の輩は、その余命をわずかに江夏、夏口に拠せて、なお不逞な乱を企ておる。予、三軍をひきいて、疾くこれに游漁す。君も呉軍をひきいて、この快游を共にし給わずや。漁網の魚は、これを採って一盞の卓にのぼせ、地は割譲て、ながく好誼をむすぶ引出物としようではないか。
という意味のものだった。
ただし曹操としても、こんな一片の文書だけで、呉が降参してこようなどとは決して期待していない。いかなる外交もその外交辞令の手もとに、
(これがお嫌なら、またべつなご挨拶を以て)といえる「実力」が要る。彼は呉へ檄を送ると同時に、その実力を水陸から南方へ展開した。
総勢八十三万の兵を、号して百万ととなえ、西は荊陜から東は※黄にわたる三百里のあいだ、烟火連々と陣線をひいて、呉の境を威圧した。
三
「……そして?」
「いや、ちがいます。玄徳の勢いが衰退したので、曹操はたちまち呉へ大軍を転じて来たものです。故に、玄徳が強力となれば、背後の憂いがありますから、曹操は決して、思い切った侵攻を呉へ試みることはできません」
魯粛は、なお説いて、
と、いった。
「呉は遠く、曹は近く、結局われわれの抱く天下三分の理想――すなわち三国鼎立の実現を期するには、あくまで遠い呉をして近い曹操と争わせなければなりません。両大国を相搏たせて、その力を相殺させ、わが内容を拡充する。真の大策を行うのはそれからでしょう」
と、至極、穏当な論を述べていた。
「だが、そううまく、こちらの望みどおりにゆけばよいが?」
と、これは、玄徳だけの懐疑ではない。誰しも一応はそう考える。
これに対して、孔明は、
「ごらんなさい。今にきっと呉から使者が来るにちがいありません。然るときは、わたくし自身、一帆の風にまかせて、呉国へ下り、三寸不爛の舌をふるって、孫権と曹操を戦わせ、しかも江夏の味方は、そのいずれにも拠らず、一方のやぶれるのを見てから、遠大にしてなお万全な大計の道をおとりになるようにして見せます。――戦わば必ず勝つ戦いを戦うこと、三歳の児童も知る兵法の初学です」
――こう聞いても、人々はなお釈然となれなかった。むしろ不安にさえなった。
「孔明は何か非常な奇蹟でもあらわれるのをそらだのみにして、あんな言を吐いているのではないか」
そう思われる節がないでもないからである。
ところが、その奇蹟は、数日の後、ほんとうに江夏を訪れて来た。
「どうして軍師には、この事あるを、ああはやくからお分りになっておられたのか?」
ざわめく人々の問いに、孔明は、
「いかに強大な呉国でも、常勝軍と誇る曹兵百万が、南下するに会っては、戦慄せざるを得ないにきまっている。加うるに呉は富強ではあるが実戦の体験が少ない。境外の兵備の進歩やその実力をはかり知っておらぬ。――で、ひとまずは、使者を派して、君玄徳を説きつけ、あくまで曹操の背後を衝かせておくの策を考えるものと私は観た」と語り――また劉琦をかえりみて、呉の孫策が死んだ時、荊州から弔問の使者が会葬に行ったか否かをたずねて、琦がその事なしと答えると、
「それごらんなさい。呉と荊州とは、累代の仇。今それをも捨てて使者をよこしたのは、喪を弔うの使いではなく、実は虚実をさぐるための公然たる密命大使であることが、その一事でも明らかでしょう」と、笑って説明した。
四
「呉主孫権からも、くれぐれよろしく申されました」
と、まずは型の如き使節ぶりを見せた。
後、後堂で酒宴となり、こんどは玄徳から遠来の労をねぎらった。
「あなたは年来、曹操から眼の仇にされて、彼と戦いをくり返しておいでだから、よくご存じであろうが――いったい曹操という者は、天下統一の大野心を抱いているのでしょうか、それとも慾心はただ自己の繁栄に止まっている程度でありましょうか」
「さあ? ……どうであろう」
「彼の帷幕ではいま、誰と誰とが、もっとも曹操に用いられておりましょうな」
「よく知らぬが」
「では――」と、魯粛はたたみかけて、
「曹操の持つ総兵力というものは、実際のところ、どのくらいでしょう」
「その辺も、よくわきまえぬ」
魯粛は少し色をなして、
「諸葛亮はどこにおられますか」
「いま呼んでおひきあわせ致そうと考えていたところだ。誰か、孔明を召し連れてこい」
「亮先生。――自分は先生の実兄とは、年来の親友ですが」と魯粛は、個人的な親しさを示しながら、彼に話しかけた。
「……ほ。兄の瑾をよくご存じですか」と、孔明もなつかしげに瞳を細めた。
「されば、このたびの門出にも、お会いしてきました。何やらお言伝でも承って参りたいと存じたが、公のお使い、わざと差し控えてきましたが」
「さあ、重大ですな」
「自惚れではありませんが、呉もまたわれわれと結ばなければ、存立にかかわりましょう。もしわが主玄徳が、一朝に意気地を捨てて、曹操につけば、これ自己の保身としては、最善でしょうが、呉にとっては脅威でしょう。南下の圧力は倍加するわけですから」
「では、脈があるというわけですな」
「まあ、そうです。幸い、亮先生の兄上は、呉の参謀であり、主君のご信頼もふかいお方ですから、ひとつ先生自身、呉へ使いされたらどうかと思いますが」
孔明は、なだめて、
「事すでに急を要します。信念をもって行ってきます。どうかお命じください」