呉の外交
一
――それより前に。
「蜀軍七十余万が、近く呉に向って襲せてきます。一刻もはやく国境へ大兵をお送りにならないことには、玄徳以下、積年のうらみに燃ゆる蜀の輩、堤を切った怒濤のごとく、この江南、江東を席巻してしまうでしょう」と、声を大にして告げた。
聞く者みな色を失った。孫権も寝耳に水であったから、即日、衆臣をあつめて、
彼の言は終っても、座中しばらく答える者がなかった。敵の決死的の意気の容易ならないものであることが誰にも戦慄をもって想像されたからである。
すると諸葛瑾が、
「一命を賭して、私が和睦の使いに参りましょう」と、云った。
人々は冷笑の眼をもって彼をながめた。およそ諸葛瑾が行って使命に成功したためしはないからだ。けれど、たとい不成功に終るにせよ、その間に逸る敵の鋭気をなだめ、味方の軍備を万全となす効力はある。孫権はゆるした。
「そうだ、まず、和睦を試みろ」
とき、章武元年の秋八月であった。
「お会い遊ばさずに追い返してはかえって敵に狭量と見られましょう。むしろ彼を通して、こちらの云い分を、思うさま告げてお返しあれば、戦の名分も明らかに、またご威光もさらに振うというものではございますまいか」
と、会見をすすめたので、さらばと、瑾を面前に通した。瑾は、伏して云った。
「簡単に聞こう。使いの主旨は、どういうことか」
「まずご諒解を仰ぎたい儀は、関羽将軍の死であります。呉はもとより蜀にたいし何のうらみもありません。荊州の問題も、さきに主人孫権の妹君を陛下の室にお娶わせしてからは、陛下の兵に依って治められるならば呉の領地も同じようなものだとまで、呉では超然とあきらめておりましたが、そこの守りたる関羽将軍には、呉の出先の呂蒙と事ごとに不和を醸し、平地に波瀾をまねいて、ついにあんな事に立ち到ってしまいました。実にこの事は主人孫権も、遺憾としておるところで、もし魏の圧迫さえなかったら、決して、関羽どのを討たすではなかったにと、その後も常に繰り返しているほどであります」
帝は目をふさいで、一語も発しない。諸葛瑾は、なお語をつづけて、
「関羽将軍の死も、蜀呉の葛藤も、つき詰めてみれば、みな魏の策略におどらされているに過ぎない。両大国が戦って、魏に漁夫の利を占めさせるなどは、実に愚の骨頂というものである。どうか、矛を収めて、以前の親善を呼びもどし、呉に帰っている呉妹夫人を、もういちど蜀の後宮へ容れられて、長く唇歯の国交を継続していただきたい。主人孫権の望みはそれ以外の何ものでもありません――」と、弁をふるって説きつづけた。
二
「陛下にも夙に、ご承知でありましょう。魏の曹丕の悪事を。――ついに漢帝を廃し、自身、帝位に昇って、億民を悲憤に哭かしめているではありませんか。いま、漢室の裔たる陛下が、仇を討つなら、魏をこそ討つべきで、その簒逆の罪も正し給わず、呉へ戦いを向けられては、大義を知らず、小義に逸る君かなと、一世のもの笑いにもなりましょう。そこをも深くご賢慮遊ばして……」
ここで玄徳は、くわっと眼をひらいて、瑾の能弁を手をもって制した。
「呉使、大儀であった。もうよい。席を退がって呉へ立ち帰れ。そして孫権にかたく告げおけよ。朕ちかって近日まみえん。頸を洗うて待ちうけよと」
「……はっ」
と、威にうたれて、瑾は頭をさげた。
沓音があらく玉座に鳴った。面をあげてみると、もう玄徳はそこにいなかった。
温厚仁慈、むしろ引っ込み思案のひとといわれている玄徳が、かくまでの壮語を敵国の使者へ云い放ったためしはない。瑾も、ここまで努力してみたが、とたんに心中で、
彼の帰国に依って、呉はさらに大きな衝撃を感じた。
対戦一途。未曾有の決戦。そうした空気が急激にみなぎった。
すでに江水また山野から、前線に出る兵馬は続々送られていた。そのあわただしい中を、中大夫趙咨という者が魏へ向って出発していた。
もちろんこれも呉の使節として赴いたものである。精馬強兵は北国の伝統であり、外交才能の優は南方人たる呉の得意とするところだ。いかなる変に臨んでも機に応じてまず側面の外交を試みる熱と粘りは怠らない。
「なに。呉の国が使節をもって、朕に表を捧げてきたとか」
大魏皇帝曹丕は、にやりと笑ってその表をざっと読んだ。
近頃、閑暇に富んでいるとみえ、曹丕は、使者の趙咨に謁見を与えた後、なおいろいろなことを訊ねた。半ばからかい半分に、半ば呉の人物や内情を、談笑のうちに探ろうとするような、口吻だった。
「使節に問うが、汝の主人孫権は、ひと口にいうと、どんな人物か」
趙咨は鼻のひしげた小男であったが、毅然として、
「聡明仁智勇略のお方です」
と答え、それから臆面もなく、曹丕を正視して、眼をぱちぱちさせながら、
「陛下、何をくすくすお笑い遊ばしますか」と、反問した。
「されば、朕は笑うまいとするに苦しむ。なぜなれば、自分の主君というものは、そんなにも過大に見えるかと思うたからだ」
「これは心外な仰せを」
「なぜ心外か」
「てまえにすれば、陛下の御前なので、甚だ遠慮して申し上げたつもりなのです。遠慮なくそのわけを述べよと仰っしゃって下されば、陛下がお笑い遊ばさないようにお話しできると思います」
「申してみよ、存分に、孫権の豪さを」
「呉の大才魯粛を凡人の中から抜いたのは、その聡です。呂蒙を士卒から抜擢したのはその明です。于禁をとらえて殺さず、その仁です。荊州を取るに一兵も損ぜなかったのは、その智です。三江に拠って天下を虎視す、その雄です。身を屈して魏にしたがう、その略です。……豈、聡明智仁勇略の君といわずして何といいましょうか」
曹丕は笑いを収めて、この鼻曲りの小男を見直した。――身を屈して魏に従うこれ略なり、とはよくも思いきっていえたもの哉と、魏の群臣もその不敵さに皆あきれていた。
三
曹丕はくわっと眼をこらして彼を見くだしていた。大魏皇帝たる威厳を侵されたように感じたものとみえる。
やがて曹丕は、趙咨にむかって、あえてこういう言葉を弄した。
「朕はいま、心のうちに、呉を伐たんかと考えておる。汝はどう思うか」
趙咨は額をたたいて答えた。
「や。それも結構でしょう。大国に外征をする勢力があれば、小国にもまた守禦あり機略あり、何ぞ、ただ畏怖しておりましょうや」
「ふーむ。呉人はつねにも魏を怖れておらないというか」
「過大に恐れてもいませんが、過大に莫迦にしてもおりません。わが精兵百万、艦船数百隻、三江の嶮を池として、呉はただ呉を信じているだけであります」
曹丕は内心舌を巻いて、
「呉の国には、汝のような人物は、どれほどおるか」と、また訊ねた。
すると趙咨は腹をかかえて笑い出し、
「それがし程度の人間なら桝で量って車にのせるほどあります」と、いった。
ついに曹丕は三嘆してこの使者を賞めちぎった。
「四方ニ使シテ君命ヲ辱メズというのは実にこの男のためにできていることばのようだ。うい奴、うい奴、酒をとらせよ」
趙咨はすっかり男を上げた。たいへんな歓待をうけたばかりでなく、彼の与えた好印象と呉の国威とは深く曹丕の心をとらえたとみえて、外交的にも予想以上の成功を収めた。
すなわち、大魏皇帝は、使者の帰国に際して将来の援助を確約し、また呉侯孫権にたいしては、
(封じて呉王となす)
と、九錫の栄誉を加え、臣下の太常卿邢貞にその印綬をもたせて、趙咨とともに呉へ赴かせた。
皇帝みずから定められたので、魏の朝臣はどうすることもできなかったが、呉使が都を去るや否、疑義嘆声、こもごもに起って、
「あの小男めに一杯くわされたかたちだ」
となす者が多かった。
劉曄の如きは、面を冒して、皇帝に諫奏し、
「いま呉と蜀とが相戦うのは、実に天が彼らを滅ぼすようなもので、もし陛下の軍が呉蜀のあいだに進んで、内に呉を破り、外に蜀を攻めるなら、両国もたち所に崩壊を現すでしょう。それを余りにはっきりと呉に援けを約されたのは、この千載一遇の好機を可惜、逃がしたようなものかと存ぜられます。このうえは、呉へ味方すると称して呉の内部から攪乱し、一面、蜀を伐つ計を急速おめぐらし遊ばしますように」
「否々。それはいかん。信を天下に失うであろう」
「とはいえ今、呉の譎詐に乗ぜられて、彼に呉王の位を贈り給い、また九錫の重きをお加え遊ばしたのは、わざわざ虎に翼をそえてやったようなもので、ほうっておいたら呉は急激に強大となり、将来事を醸したときはもう如何とも手がつけられなくなるでしょう」
「すでに彼は、朕に臣礼をとっておる。叛かぬ者を伐つ名分はない」
「それはまだ孫権の官位も軽く、驃騎将軍南昌侯という身分に過ぎないからでした。けれどもこれからは呉王と称して、陛下ともわずか一階を隔つる身になってくれば、自然心は驕り、勢威はつき、何を云い出してくるかわかりません。そのとき陛下が逆鱗あそばして討伐の軍を発せられましょうとも、世人はそれを見て、魏は江南の富や美女を掠めんとするものであると口を揃えて非を鳴らすでしょう」
「否とよ。まあしばらく黙って見ておれ。朕は、蜀もたすけず、呉も救わず、ただ正統にいて、両者が戦って力の尽きるのを待っておる考えじゃ。多くをいうな」
そこまでの深慮遠謀があってのことなら、何をかいわんやと、劉曄は慙愧して、魏帝の前を退いた。
四
やがて、魏の勅使邢貞が船で着いたと聞えた。到着の日を待ちかねていた孫権は、
「お迎えに出なければ悪かろう」と、あわてて支度しかけた。
邢貞は上国の勅使というのですこぶる傲然とそれへ臨んだ。しかも彼はあえて車を降りずに城門を通ろうとした。すると呉の宿将張昭は、甚だしく怒って、
「待て。車上の人間は、礼を知らぬ野人か、偽使者か。或いは呉に人なしと思うての無礼か、呉に剣なしと侮っての所業か」と、大喝を加えた。
すると、堵列の群臣も、声をあわせて、
「呉国三代、まだ他国に屈したことはない。しかるに、この非礼なる使者を迎えて、わが君に、他人の官爵をいただかせることの口惜しさよ、無念さよ!」
中には、激して、哭き声を発する者さえあった。
邢貞はあわてて車からとび降りて詫びた。そして堵列の将士にむかい、
「いま、哭き声で叫んだのは、誰でしたか」と、たずねた。
すると、言下に、
「それは、此方だが、何とした?」
と、名乗って出た大将がある。見れば偏将軍徐盛だった。
「……あなたか」
邢貞はもう一ぺんその者に非礼を謝して通った。そして心ひそかに、
(呉、侮るべからず)と、痛感したようであった。
「ありがたく拝受いたします」
と、心からよろこんで受け、また即日、建業城中にこれを告げて、文武百官の拝賀をもうけた。
「どうかお持ち帰りください」と、披露した。
大魏の宮中にいて豪華に馴れている邢貞も、その土産物の莫大なのに思わず目をまろくしたほどだった。
「魏帝はきっと思い上がりましょうよ。いくら何でも、あのような礼物は余りに過大です。媚態すぎました」
孫権は軽く笑った。
「いやいや、慾には飽くことを知らないのが人間だ。先に取ってはさほど過大とは思わないだろう。要するに、彼とは利を以て結ぶしかない。だが後には、あんな礼物はみな石瓦に過ぎんさ」
「なるほど」
張昭は急に顔を解いてうれしそうにうなずいた。呉三代の主君に仕えてきた宿老として、とかく幼稚に思われてならなかった孫権がいつのまにかかくの如き大腹中の人となってきたことが、涙のこぼれるほど有難かったに違いない。
並居るほかの臣下も皆、孫権の深慮に嘆服した。