仲秋荒天
一
「袁術先生、予のてがみを読んで、どんな顔をしたろう」
しかし、また一方、
「かならず怒り立って、攻め襲うて来るにちがいない」
とも思われたので、大江の沿岸一帯に兵船をうかべ、いつでもござんなれとばかり備えていた。
いやそれは朝命としてであった。
という命令である。
もとより拒むところでない。玉璽をあずけた一半の責任もある。孫策は、
「畏まりて候」と、勅に答えた。
許都の使いが帰った日である。
「唯々とご承諾になったようですが、何といっても淮南は豊饒の地、袁一族は名望と伝統のある古い家柄です。先ごろ呂布と一戦してやぶれたりといえども、決して軽々しく見ることはできません。――それにひきかえ、わが呉は、新興の国です。鋭気や若さはありますが、財力、軍の結束などまだ足りません」
「やめろというのか」
「勅を拝して、今さら命に背けば、異心ありとみなされます」
「では、どうする?」
「如かず、この際は――あなたから曹操へ急書を発し、こちらは江を渡って袁術の側面を衝くゆえ、許都から大軍を下し、彼の正面に当り給え――と、もっぱら曹操の軍に主戦をやらせるのです。そしてご当家はあくまでも、援兵というお立場をおとりなさい」
「なるほど」
「や、ありがとう。長史のことばは、近頃の名言だ。その通りに計らおう」
彼の発した書簡は、日ならずして、許都の相府に着いた。
この秋、相府の人々は、
「丞相は近ごろ、愚に返ったんじゃないか」
と、憂いあうほど、曹操はすこしぼんやりしていた。
この春、張繍を討つべく遠征して、かえって惨敗を負って帰ったので、彼の絶大な自信にゆるぎがきたのか、また多情多恨な彼のこととて、今なお、芙蓉帳裡の明眸や、晩春の夜の胡弓の奏でが忘れ得ないのか――とにかく、この秋の彼の姿は、いつになく淋しい。
「否、否。――丞相はそれほど甘い煩悩児でもないよ」
と、相府のある者は、彼のすがたをよく新しい祠堂の道に見るといって、人々の愚かな臆測をうち消した。
そこへ、呉の孫策から急書がとどいた。曹操は、一議におよばず承知のむねを返辞して、即日三十余万の大兵を動員した。一面は痴児のごとく、めそめそ悲しむくせがあるかと思えば、たちまち果断邁進、三軍を叱咤するの一面を示す彼であった。
大軍は、続々都を立った。
二
南征の師は、号して三十万とはいうが、実数は約十万の歩兵と、四万の騎兵隊と、千余車の輜重とで編制されていた。
秋天将にたかし。
われ淮水に向って南下す。
乞う途上に会同せられよ。
曹操は、彼を見ると、晴々と、
「いつもながら信義に篤い足下の早速な会同を満足におもう」と、いった。
盟軍の旗と旗とは交歓され、その下にしばし休息しながら、両雄は睦まじそうに語らっていた。
関羽の手で、そこへ差出されたのは、二顆の首級だった。
驚いて、曹操は、
「何者の首か?」と眼をみはった。
玄徳は答えて、
「そうです。その後の両名は、沂都、瑯琊の両県に来て吏庁にのぞんでいましたが、たちまち苛税を課し良民を苦しめ、部下に命じて掠奪を行わしめ、婦女子をとらえて姦するなど、人心を険悪にすること一通りでありません。依って、人民の乞いをいれ、また、吏道を正す意味で、ひそかに関羽、張飛に命じ、両名を酒宴に招いて殺させました」
「ほう。そうか」
「ついては、丞相の命を待たずに行ったことですから、今日はご処罰を仰ぐつもりでおります――独断をもって、両名を誅伐した罪、どうかお糺しください」
「何をいう。君のしたことは、吏道を粛正し、良民の害をのぞいたので、私怨私闘とはちがう。その功を、賞めこそすれ、咎める点はない」
「おゆるし給わるか」
「もちろん、呂布へは、自分からも、よきように云っておこう。ご安堵あるがよい」
ここ数日、秋の空はよく澄んで、日中は暑いくらいだった。
しかし、南下するに従って、行軍は道に悩んだ。
ために、諸所の河川は氾濫し、崖はくずれ、野には無数の大小の湖ができてしまい、馬も人も、輜重の車も、泥濘に行きなやむこと一通りでなかった。
「やあ、難行軍だったでしょう」
如才ない曹操は、
「このたびの南征には、大いに君の力を借りねばならんが、ついては、自分から朝廷に奏して、君を左将軍に封じておいた。――印綬は、いずれ戦後、改めて下賜されよう」と、告げた。
呂布はもとよりそういう好意に対しては過大によろこぶ漢である。
「犬馬の労も惜しまず」と、ばかり意気ごむ。
ここに、曹、玄、呂の三軍は一体となって、続々、南進をつづけ、陣容は完く成った。
三
「すわ!」
国境で哨兵は狼火をあげた。
「一大事」とばかり伝騎は飛ぶ。
「曹、玄、呂、三手の軍勢が一体となって――」
と聞くと、さすがの袁術も、もってのほかに驚倒した。
「とりあえず橋甤まいれ」と、防戦に立たせ、袁術は即刻大軍議をひらいたが、とやかく論議しているまにも、頻々として、
「敵は早くも、国境を破り、なだれ入って候ぞ」との警報である。
「先鋒の味方あやうし」
という敗報がすでに聞え渡ってきた。
と、思うに、
「味方の先鋒の大将橋甤は、惜しくも敵方の先手の大将夏侯惇とわたりあい、乱軍のなかにおいて、馬上より槍にて突き伏せられました」
と、またもや、おもしろくない注進であった。
「あれあれ、あの馬けむりは、敵の大軍が近づいてきたのではないか」
ひるみ立った士気には、「退くな」と必死に督戦する中軍の令も行われず、全軍、目ざましい抗戦もせず総退却してしまった。
「この上は、城地を守って、遠征の敵の疲れを待とう」と、長期戦を決意した。
寄手は、浸々と、寿春へつめよせる。
寿春の上下は色を失い、城中の諸大将も、評議にばかり暮しているところへ、またまた、西南の方面から、霹靂のような一報がひびいてきた。
曰く、
西南の急報を聞いて、
彼は、先頃その孫策からうけた無礼な返書を思いあわせて、身を震わせた。
「恩知らず。忘恩の賊子め」
しかし、いくら罵ってみても事態はうごかない。
睡眠不足になった袁術皇帝をかこんで、きょうも諸大将は陰々滅々たる会議に暮らしていたが、時に、楊大将がいった。