白羽扇
一
「ここでよい気になってはならぬ――」と、大いに自分を慎んだ。
「亮先生」
「何ですか」
「労せずして取った物は、また去ることも易しとか。三ヵ所の城は、先生の計一つで、余りにやすやすとわが手に落ちたが、それだけに長久の策を思わねばならんと考えるが」
「ごもっとものお言葉には似ておりますが、決して然らずです。三ヵ所の城が一挙にお手に入ったのも、実にわが君が多年の辛苦から生れたもので、やすやすと転げこんで来たのではありません」
「でも、一戦も交えず、一兵も損せずに、この中央にわが所を得たのは、余りに好運すぎる」
「ご謙遜です。みな君の御徳と、積年の労苦がここに結集したものです。はやい話が、君にその積徳とご努力が過去になかったら、この孔明ひとりでも、今日、お味方の内にはいなかったでしょう」
「では先生、どうかさらに、玄徳が労苦をかさね、徳を積んでゆく長久の計をさずけて欲しい」
「人です。すべては人にあります。領地を拡大されるごとに、さらにそれを要としましょう」
「荊、襄の地に、なお遺賢がいるだろうか」
「召したら来るだろうか」
「そうしよう」
馬良はやがて城へ来た。雪を置いたように眉の白い人であった。馬氏の五常、白眉を良しと、世間に評があった。
玄徳は、彼にたずねた。
「御身はこの地方の国情には詳しかろう。わしは近頃、三城を占めて、ここに君臨したものだが、この先の計は、どうしたが最も良いか」
「やはり劉琦君をお立てになることでしょう。ご病体ですからこの荊州の城に置かれて、旧臣をよび迎え、また都へ表を上せて、琦君を荊州の刺史に封じておあげなさい。人心はみな、あなたのご仁徳と公明なご処置に随喜して懐きます。――それを強味に、それを根本に持って、あなたは南の四郡を伐り取ったがよろしいかと思われます」
「その四郡の現状は」
「――武陵には太守金旋があり、長沙には韓玄、桂陽には趙範、零陵には劉度などが、おのおの地盤を占めております。この地方は総じて、魚米の運輸よろしく、地も中原に似て、肥沃です。もって長久を計るに足りましょう」
「それへ攻め入るには」
「湘江の西、零陵(湖南省・零陵)から手をつけるのが順序でしょう。次に桂陽、武陵と取って、長沙へ進攻するのが自然かと思います。要するに、兵の進路は流れる水です。水の行くところ、自然の兵路といえるでしょう」
賢者の言は、みな一つだった。玄徳は自信を得た。味方の誰にも異論はなかった。
建安十三年の冬、彼の部下一万五千は、南四郡の征途に上った。
趙雲は後陣につく。
二
「いかに玄徳を防ぐか」を、相談した。
父の顔色には怯えが見えている。劉延は切歯して、
「邢道栄ならそれに当り得るだろうか」
「彼ならば、関羽、張飛の首を取るのも、さしたる難事ではありますまい。つねに重さ六十斤の大鉞を自由に使うという無双な豪傑ですし、胸中の武芸もまた、いにしえの廉頗、李牧に優るとも劣るものではありません。日頃から豪勇の士を何のために養っておかれるのですか」
玄軍一万五千は、すでにこの辺まで殺到した。漠々の戦塵はここに揚り、刻一刻、その領域は侵された。
「反国の賊、流離の暴軍、なにゆえ、わが境を侵すか」
乱軍の中へ馬を出し、邢道栄は大音に云って迫った。有名なる彼の大鉞は、すでに鮮血に塗られていた。
すると、彼の前に、一輛の四輪車が、埃をあげて押し出されて来た。見ればその上に、年まだ二十八、九としか思われぬ端麗な人物が、頭に綸巾をいただき、身には鶴氅を着、手に白羽扇を持って、悠然と乗っている。――何かしらぎょッとしたものを受けたらしく、邢道栄が悍馬の脚を不意に止めると、車上の人は、手の白羽扇をあげてさしまねきながら、
「それへ来たのは、鉞をよく振るとかいう零陵の小人か。われはこれ南陽の諸葛亮孔明である。聞きも及ばずや、さきに曹操が百万の軍勢も、この孔明が少しばかりの計を用うるや、たちまち生きて帰る者はひとりもない有様であった。汝ら、湖南の草民ずれが、何するものぞ。すみやかに降参して、民の難を少なくし、身の生命をひろえ」
「わははは。聞き及ぶ孔明とかいう小利巧者は貴様だったか。青二才の分際で、戦場に四輪車を用うるなどという容態振りからして嘔吐が出る。赤壁で曹操を破ったものは、呉の周瑜の智とその兵力だ。小賢しいわれこそ顔、片腹いたい」
喚き返すやいな、大鉞を頭上にふりかぶり、悍馬の足を、ぱっと躍らせてきた。
孔明の四輪車は、たちまち、ぐわらぐわらッと一廻転した。後ろを見せて、逃げだしたのである。進むにも退くにも、それは大勢の力者が押し、そして無数の刀槍でまわりを守り固めて行く。
「待てッ」
邢道栄は、追いかけた。
車は渦巻く味方をかき分けて深く逃げこみ、やがて柵門の中へ駈け入ってしまった。
邢道栄はあきらめない。大波を割るように、鉞の下に、敵兵を睥睨し、いつか柵門もこえて、なお彼方此方、四輪車の行方をさがしていた。すると、山の腰に黄旗を群れ立てて、じっとしていた一部隊が、むくむくと此方へうごいてきた。その真先に馬を躍らしてきた一人の大将は、偉大な矛を横たえて、
と、雷のようにかかって来た。
「何をっ。――この鉞が目に見えぬか」
「かなわん」と、見きりをつけて、大鉞は逃げ出した。ところが、その先へ迫って、また一名の強敵が、彼の道へ立ちふさがった。
三
邢道栄は、馬を下りた。馬を下りることは、降参を意味する。
趙雲はすぐ彼を縛りあげて、本陣へ引っ立てた。
玄徳は、ひと目見て、
「どうだ、汝の手で、劉延を生捕ってくれば、助命はもちろん、重く用いてつかわすが」
「いと易いこと。この縄目を解いて、それがしを放ち帰して下さるならば――」
「しかし、どういう方法で、劉延を生捕るか」
傍らで玄徳は聞いていたが、彼の口うらの軽々しいのを察して、
「詐言はおのずから色にあらわれる。軍師、こんな者を用いるのは無用である。早く首を刎ねられよ」と、重ねていった。
孔明はなお、そのことばに反いて、顔を横に振りながら、
「いやいや、私が観るに、邢道栄の言に嘘はないようです。人物にも観どころがある。有能はこれを惜しみ、努めてこれを生かすことが、真の大将たるものの任です。よろしく彼の計にしたがい、今夜のことを決行しましょう」
即座に、その縄を解いて、彼は邢道栄を放してやった。
「今夜が決戦の分れ目に相成ろう」と、仔細を告げた。
陣中の柵内には、旗ばかり立てて、兵はみなほかに埋伏していた。そして夜も二更の頃になると果たして、一団の軍勢が、手に手に炬火をもち、喊声をあげ、近づくやいな陣屋陣屋などへ火をかけた。
「来たぞ。引っ包め」
寄手の兵は、隊を崩して、どっと逃げ退く。
――だが、案外、逃げた兵数は薄いのに気がついた。いくら追っても、それだけの兵で、後続も側面もなく、いわゆる軍の厚みがない。
「深入りすな」
「陣屋の火も消さねばならん。これだけ勝てば、まず充分。この辺で引揚げよう」
と、取って返した。その帰り途である。
「や、や。さては敵にも、何か計があったか」
あわてふためいて、彼らは自陣へ逃げこもうとした。すると、その火はもうあらかた消されていたが、その余燼の内から、
四
桂陽へ攻め寄せる日。
「たれがまず先陣するか」と、玄徳が諸将を見わたした。
「それがしが!」と、一人が手を挙げたとたんにすぐ、張飛もおどり出て、
「願わくは此方を!」と、希望した。
「趙雲の答えが少し早かった。早いほうに命ぜられては」
「返事の早いか遅いかで決めるなど、前例がありません。何故、てまえをお用いなされぬか」
「争うな」
孔明は、仕方なく前のことばを撤回した。そして、
「さらば、鬮をひけ」と責任をのがれた。
「冥加、冥加」
「未練というものだぞ」と、玄徳に叱られて、ようやく陣列へすがたを退いた。
「それで足りるか」
と念を押されて、
「もし敗戦したら軍罰をこうむりましょう」と、豪語した。
「いま、玄徳の軍を見てからでは、もう防塁を築くことも、強馬精兵を作る日のいとまもない。しかず、早く降参して、せめて旧領の安泰を縋ろうではないか」
太守の趙範は、すこぶる弱気だった。それを叱咤して、
「かいなきことを宣うな。藩中に人なきものならいざ知らず――」
と、強硬に突っ張っていたのは前に掲げた鮑龍、陳応の二将であった。
「敵の劉玄徳は、天子の皇叔なりなどと僭称していますが、事実は辺土の小民、その生い立ちは履売りの子に過ぎません。――関羽、張飛、また不逞の暴勇のみ、何を恐れて、桂城の誇りを、自ら彼らの足もとへ放擲なさろうとしますか」
非常な自信である。
「破れるものなら破ってみよ」と、強烈な抗戦意志を示した。
寄手は近づいた。
陳応はあざ笑って、
「われわれが主と仰ぐは、曹丞相よりほかはない。汝らはなぜ許都へ行って、丞相のお履でも揃えないか」と、からかった。
五
この陳応という者は、飛叉と称する武器を良く使う。二股の大鎌槍とでもいうような凄い打ち物である。
だが、趙雲に向っては、その大道具も児戯に見えた。
馬と馬を駈け合わせて戦うこと十数合。もう陳応は逃げ出していた。
「返すぞ」と、とっさに投げ返した。
「およそ喧嘩をするにも、相手を見てするがいい。汝らのたのむ兵力と、劉皇叔の精鋭とは、ちょうど今日のおれと貴様との闘いみたいなものだ。今日のところは、放してやるから、城中へ戻って、よく太守趙範にも告げるがいい。何も求めて滅亡するにはあたるまい」
と陳応は野鼠のように城へ逃げ帰った。
太守の趙範は、
趙雲は満足して、この従順な降将へ、上賓の礼を与え、さらに酒など出してもてなした。
趙範は、途方もなく喜悦して、
「将軍とてまえとは、同じ趙氏ですな。同姓であるからには、先祖はきっと一家の者だったにちがいない。どうか長く一族の好誼をむすんで下さい」
と、兄弟の盃を乞い、なお生れ年をたずねたりした。
「じゃあ、貴方が兄だ」
と、もう独りぎめに決めて、嬉しいずくめに包まれたような顔して帰った。
次の日、書簡が来た。
実に美辞麗句で埋っている。
そんな物をよこさなくても、趙雲は堂々入城する予定であったから、部下五十余騎を引率して、城内へ向った。
「四門に札を揚げい」と命じた。
四民に対して、政令を示すことだった。これは、一城市を占領すると、例外なく行われることである。
終ると、趙範は、自ら迎えて、彼を招宴の席に導いた。
そこで降参の城将が、この後の従順を誓う。
趙子龍は大いに酔った。
「席をかえましょう。興もあらたまりますから」
後堂へ請じて、また佳肴芳盞をならべた。後堂の客は、家庭の客である。下へもおかないもてなしとはこの事だった。
だいぶ酩酊して、
「もう帰る」と、趙子龍が云い出した頃である。まあまあと引き止めているところへ、ぷーんと異薫が流れて来た。
「おや?」と、趙子龍が振り向いてみると、雪のような素絹をまとった美人が楚々と入ってきて、
「お呼び遊ばしましたか」と、趙範へいった。
趙範はうなずいて、
「ああ。こちらは、子龍将軍でいらっしゃる。しかもわが家と同じ趙姓だ。おちかづきをねがって、何かとおもてなしするがいい」と、席へ倚らせた。
趙子龍は改まって、
「こちらはどなたですか」
と、その美貌に、眼を醒ましたように、趙範をかえりみて訊ねた。
六
「私の嫂です」
と、趙範はにやにや紹介した。
すると、趙子龍は、容をあらためて、ことばも丁寧に、
「それは知らなかった。召使いと思うて、つい」と、失礼を詫びた。
趙範は、傍らからその美人へ向って、お酌をせいとか、そこの隣りへ坐れとか、しきりに世話を焼きだしたが、趙子龍が、「無用、無用」と、疫病神でも払うように手を振ってばかりいるので、せっかくの美人もつまらなそうに、立ち去ってしまった。
「何だって嫂ともあるお方を、侍婢かなんぞのように、軽々しく、客席へ出されるのか」
「いや、――実はこうです。そのわけというのは、彼女はまだ若いのですが、てまえの兄にあたる良人に死別れ、寡となってから三年になります。もうしかるべき聟をとったらどうだと、それがしはすすめていますが、嫂には、三つの希望があるのです。一つは、世に高名を取り、二つには先夫と氏姓の同じな者、三つには文武の才ある人という贅沢なのぞみなので」
「うーむ」
趙雲は、失笑をもらした。
けれど趙範は熱心に、
「いかがでしょう。将軍」
「なにがだ」
「嫂の日頃の希望は、さながら将軍の世にあるを予知して、これへ見えられる日を待っていたように、将軍のご人格とぴったり合っています。ねがわくは妻として将軍の室に入れて下さらんか」
聞くと、趙雲は、眼をいからして、いきなり拳をふりあげ、
「不埓者っ」
ぐわんと、趙範の横顔を、なぐりつけた。
趙範は、顔をかかえて、わっと、転がりながら、
「何をするのだ。無態な」と、喚いた。
趙雲は起ち上がって、
「無態もくそもあるか。汝のような者を蛆虫というのだ」
と、もう一つ蹴とばした。
「蛆虫とな。け、けしからんことを。――慇懃に、かくの如く、礼を厚うしているそれがしに、蛆虫とは」
「人倫の道を知らぬやつは蛆虫にちがいなかろう。嫂をもって、客席へ侍らすさえ、言語道断だ。それをなお、此方の妻にすすめるとは女衒にも劣る畜生根性。――貴様の背骨はよほど曲がっているな」と、さらに、趙範をぎゅうぎゅう踏みつけて、ぷいと、そこを出てしまった。
「いまいましい趙子龍めが、何処へ行ったか」と、肩で息してみせた。
二人は口を揃えて、
「ここを出るや、馬に飛び乗って城外へ馳けて行きました」と、告げた。そしてまた、「こうなったら徹底的に勝敗で事を決めるしかありますまい。われわれ両名は、詐って、これから子龍の陣へ行き、彼をなだめておりますから、太守には夜陰を待って、急に襲撃して下さい。さすれば、われわれ両名が、陣の中から呼応して彼奴の首を掻き取ってみせます」
しめし合わせて、二人は城外へ出て行った。
一隊の兵に、美酒財宝を持たせ、やがて趙子龍の陣所へ訪れた。そして地上に拝伏して、
「どうか、主人の無礼は、幾重にもおゆるし下さい。まったく悪気で申しあげたわけではないと云っておりますから」と、額を叩いて詫び入った。
趙子龍は、彼らの詐術であることを看破していたが、わざと面をやわらげ、土産の酒壺を開かせて、「きょうは、せっかくの所を、酔い損ねてしまった。大いに酔い直そう」といって、使いの二人にも、大杯をすすめた。
七
趙雲は、頃をはかって、至極簡単に二人の首を斬り落した。そして彼の部下らにも酒を振舞い、引出物を与えなどしておいて、
「此方の手勢について働けばよし、さもなくば、陳応、鮑龍のようにするがどうだ」
と、首を示して説いた。
「首尾はどうだった?」と、味方の五百人へ訊ねた。
すると、その後から、趙子龍以下、千余の軍勢がなだれこんで来たので、仰天したが、もう間に合わなかった。
趙範は、哀訴して、
「もともとてまえは本心から降参してご麾下に加わることを光栄としていたのです。ところが、てまえの嫂を子龍将軍に献じようと申したのが、なぜか将軍の怒りにふれて、再度城を攻撃され、それがしまで、このような縄目にかけられた次第でして、何ゆえの罪科をもってこんな目に遭うのか諒解に苦しみます」
「美人といえば、愛さぬ人はないのに、御身はなぜ怒ったのか」と、訊いてみた。
趙子龍はそれに答えた。
「そうです。私も美人は嫌いではありません。けれど、趙範の兄とは、遠い以前、故郷で一面識があるものです。今、それがしがその人の妻をもって妻としたら、世の人に唾されましょう。また、その婦人がふたたび嫁ぐときは、その婦人は貞節の美徳を失います。次にはそれを拙者にすすめた趙範の意中もただ真偽のほどは知れず、さらに考えさせられたことは、わが君が、この荊州を領せられても、まだ日は浅いということでした。新占領治下の民心は決してまだ安らかではありません。しかるにその翼臣たるそれがし輩が、いち早く驕りを示し人民の範たることを打ち忘れ、政治を怠りなどしていたら、せっかく、わが君の大業もここに挫折するやも知れません。すくなくも、ここに民望をつなぎ得ることはできません。――以上の諸点を考えては、いくら好きな美人であろうとそれがしの意をとらえるには足りません」
「――しかし、今はもうこの城も、わが旗の下に、確乎と占領されたのだから、その美人を娶って、溺れない程度に、そちの妻としても誰も非難するものはないだろう。玄徳が媒人してとらせようか」
「いや、お断りします。天下の美人、豈、一人に限りましょうや。それがしは、唯それがしの武名が、髪の毛ほどでも、天下に名分が立たないようなことがあってはならん――と、それのみを怕れとします。何で妻子がないからといって、武人たるものが、憂愁を抱きましょう」