臨戦第一課
一
(事あれば、いつでも)という、いわゆる臨戦態勢をととのえていた。
一日、南方の形勢について、軍議のあった時、その夏侯惇は、進んでこう献議した。
諸大将のうちには、異論を抱くらしい顔色も見えたが、曹操がすぐ、
「その儀、よろしかろう」といったので、即座に、玄徳討伐のことは、決定を見てしまった。
「――聞説、孔明というものは、尋常一様な軍師ではないようです。かたがた、いま軽々しく、玄徳に当ることは、勝っても、利は少なく、敗れれば、中央の威厳を陥し、失うところが大きいでしょう。よくよくここはお考えあっては如何ですか」
夏侯惇は、そばで笑った。
「いやいや、将軍、決して玄徳は侮れませんぞ」
「其方と較べれば……?」
「それがしなどは、較べものになりません。それがしを蛍とすれば孔明は月のようなものでしょう」
「それほどか」
「いかで彼に及びましょう」
「孔明も人間は人間であろう。そう大きな違いがあってたまるものではない。総じて、凡人と非凡人との差も、紙一重というくらいなものだ。この夏侯惇の眼から見れば若輩孔明のごときは、芥にひとしい。第一、あの黄口児はまだ実戦の体験すら持たないではないか。もしこの一陣で、彼を生捕ってこなかったら、夏侯惇はこの首を自ら丞相の台下に献じる」
曹操は、彼のことばを壮なりとして、欣然、出陣の日は、自身、府門に馬を立てて、十万の将士を見送った。
二
「若輩の孔明を、譜代の臣の上席にすえ、それに師礼をとらるるのみか、主君には、彼と起居を共にし、寝ては牀を同じゅうして睦み、起きては卓を一つにして箸を取っておるなど、ご寵用も度が過ぎる」という一般の嫉視であった。
「いったいあの孔明に、どれほどな才があるのですか。家兄には少し人に惚れこみ過ぎる癖がありはしませんか」
「否、否」
玄徳は、ふっくらと笑いをふくんで、
「わしが、孔明を得たことは、魚が水を得たようなものだ」と、いった。
「水が来た。水が流れてゆく」
などと嘲った。
まことに、孔明は水の如くであった。城中にいても、いるのかいないのか分らない、常に物静かである。
或る時、彼はふと、玄徳の結髪を見て、その静かな眉をひそめ、
「何ですか、それは」と、訊ねた。
「これか。……これは犁牛の尾だよ。たいへん珍しい物だそうだ。襄陽のさる富豪から贈ってよこしたので、帽にして結わせてみた。おかしいかな」
「よくお似合いになります。――が、悲しいではありませんか」
「なぜ」
「婦女子の如く、容姿の好みを遊ばして、それがなんとなりますか。君には大志がないしるしです」
「なんで、本心でこんな真似をしよう。一時の憂さを忘れるために過ぎぬ」と、彼も顔容を正した。
孔明は、なおいった。
「君と劉表とを比べてみたらどうでしょう?」
「自分は劉表に及ばない」
「曹操と比べては」
「及ばぬことさらに遠い」
「すでに、わが君には、この二人にも及ばないのに、ここに抱えている兵力はわずか数千に過ぎますまい。もし曹操が、明日にでも攻めてきたら、何をもって防ぎますか」
「……それ故に、わしは常に憂いておる」
「憂いは単なる憂いにとどめていてはなにもなりません。実策を講じなければ」
「乞う、善策を示したまえ」
「明日から、かかりましょう」
次の日から、彼はみずから教官となって、三千余人の農民兵を調練しはじめた。歩走、飛伏、一進一退、陣法の節を教え、克己の精神をたたき込み、刺撃、用剣の術まで、習わせた。
ふた月も経つと、三千の農兵は、よく節を守り、孔明の手足のごとく動くようになった。
「十万の大兵とある。如何にして防ぐがよいか」
「たいへんな野火ですな。水を向けて消したらいいでしょう」
と、こんな時とばかり、苦々しげに面当てをいった。
三
些末な感情などにとらわれている場合ではない。玄徳は二人へいった。
「智は孔明をたのみ、勇は二人の力にたのむぞ。よいか。くれぐれも」
「ご心配は無用です」
孔明はまずそういってから、
「実に困ったものだ。それにはどうしたらいいだろう」
「おそれながら、わが君の剣と印とを孔明にお貸しください」
「易いこと、それでよいか」
「諸将をお召しください」
「ここ新野を去る九十里外に、博望坡の嶮がある。左に山あり、予山という。右に林あり、安林という。――各〻ここを戦場と心得られよ」と、まず地の理を指摘して、「――関羽は千五百をひきいて予山にひそみ、敵軍の通過、半ばなるとき、後陣を討って、敵の輜重を襲い、火をかけて焚殺せられよ。張飛は、同じく千五百の兵を、安林に入れて、後ろの谷間へかくれ、南にあたって、火のあがるを見るや、無二、無三、敵の中軍先鋒へ当ってそれを粉砕し給え。――また、関平と劉封とは各五百人を率して、硫黄焔硝をたずさえ、博望坡の両面より、火を放って敵を火中につつめ」
次に、趙雲を指命して、
「ご辺には先手を命じる」と、いった。
「ただし、一箇の功名は、きっと慎み、ただ詐り負けて逃げてこられよ。勝つことをもって能とせず、敵を深く誘いこむのが貴公の任である。ゆめ、全軍の戦機をあやまり給うな」と、さとした。
「いや、軍師のおさしず、いちいちよく相分った。ところで一応伺っておきたいが、軍師自身は、いずれの方面に向い給うか」
「わが君には、一軍をひきい、先手の趙雲と、首尾のかたちをとって、すなわち敵の進路に立ちふさがる――」
「だまれ、わが君のことではない。ご辺みずからは、どこで合戦をする覚悟かと訊いておるのだ」
張飛は、大口あいて、不遠慮に笑いながら、
「わははは、あははは。さてこそさてこそ、この者の智慧のほどこそ知られけり――だ、聞いたか、方々」と、手をうって、
「主君をはじめ、われわれにも、遠く本城を出て戦えと命じながら自分は新野を守るといっておる、――安坐して、おのれの無事だけを守ろうとは……うわ、は、は、は。笑えや、各〻」
孔明は、その爆笑を一喝に打ち消して、涼然、こう叱りつけた。
「剣印ここにあるを、見ぬか。命にそむく者は、斬るぞっ。軍紀をみだす者も同じである!」
四
「とにかく、孔明の計があたるか否か、試みに、こんどだけは、下知に従っていようではないか」
と、いった程度であった。
土地の案内者をよんで、所の名をたずねると、
「うしろは羅口川、左右は予山、安林。前はすなわち博望坡です」と、答えた。
そしてまず、軽騎の将数十をつれて、敵の陣容を一眄すべく、高地へ馳けのぼって行ったが、
「ははあ。あれか。わははは」と、夏侯惇は、馬上で大いに笑った。
「何がそんなにおかしいので」と、諸将がたずねると、
「さきに徐庶が、丞相のご前で、孔明の才をたたえ、まるで神通力でもあるようなことをいったが、今、彼の布陣を、この眼に見て、その愚劣を知ったからだ。――こんな貧弱な兵力と愚陣を配して、われに向わんとは、犬羊をケシかけて虎豹と闘わせようとするようなもの――」
すでに敵を呑んだ夏侯惇は、先手の兵にむかって、一気に衝き崩せと号令をかけ、自身も一陣に馳けだした。
「何をっ」
趙雲は、まっしぐらに、鎗を舞わしてかかってくる。丁々十数戟、いつわって、たちまち逃げ出すと、
「待てっ、怯夫っ」と、夏侯惇は、勝ち誇って、あくまで追いかけて行った。
「深入りは危険です。趙雲の逃げぶりを見ると、取って返して誘い、誘ってはまた逃げだす様子、伏兵があるにちがいありません」
「何を、ばかな」
夏侯惇は一笑に付して、
「伏勢があれば伏勢を蹴ちらすまでだ、これしきの敵、たとえ十面埋伏の中を行くとも、なんの恐るるに足るものか。――ただ追い詰め追い詰め討ちくずせ」
かくて、いつか彼は博望の坡を踏んでいた。
「これがすなわち、敵の伏勢というものだろう。小ざかしき虫けらども、いでひと破りに」
と、云い放って、その奮迅に拍車をかけた。
気負いぬいた彼の麾下は、その夜のうちにも新野へ迫って、一挙に敵の本拠を抜いてしまうばかりな勢いだった。
五
いつか陽は没して、霧のような蒸雲のうえに、月の光がかすかだった。
「おうーいっ、于禁。おういっ――しばらく待て」
うしろで呼ばわる声に、馬に鞭打って先へ急いでいた于禁は、
「李典か。何事だ」と、大汗を拭いながら振向いた。
李典も、あえぎあえぎ、追いついてきて、
「夏侯都督には、如何なされたか」
「気早の御大将、何かは猶予のあるべき。悍馬にまかせて真っ先に進まれ、もうわれらは二里の余もうしろに捨てられている」
「危ういぞ。図に乗っては」
「どうして」
「あまりに盲進しすぎる」
「蹴ちらすに足らぬ敵勢、こう進路のはかどるのは、味方の強いばかりでなく、敵が微弱すぎるのだ。それを、何とて、びくびくするのか」
「いや、びくびくはせぬが、兵法の初学にも――難道行くに従って狭く、山川相せまって草木の茂れるは、敵に火計ありとして備うべし――。ふと、それを今、ここで思い出したのだ」
「むむ。そういわれてみると、この辺の地勢は……それに当っている」
と、于禁も急に足をすくめた。
彼は、多くの兵を、押しとどめて、李典にいった。
「ご辺はここに、後陣を固め、しばらく四方に備えてい給え。……どうも少し地勢が怪しい。拙者は大将に追いついて、自重するよう報じてくる」
「しまったっ。少し深入りしたかたちがある。なぜもっと早くいわなかったのだ」
そのとき――一陣の殺気というか、兵気というものか、多年、戦場を往来していた夏侯惇なので、なにか、ぞくと総身の毛あなのよだつようなものに襲われた。
「――それっ、引っ返せ」
馬を立て直しているまもない。四山の沢べりや峰の樹かげ樹かげに、チラチラと火の粉が光った。
すると、たちまち真っ黒な狂風を誘って、火は万山の梢に這い、渓の水は銅のように沸き立った。
「伏兵だっ」
「火攻め!」
と、道にうろたえだした人馬が、互いに踏み合い転げあって、阿鼻叫喚をあげていたときは、すでに天地は喊の声にふさがり、四面金鼓のひびきに満ちていた。
「夏侯惇は、いずれにあるか。昼の大言は、置き忘れてきたか」
「馬に頼るな。馬を捨てて、水に従って逃げ落ちよ」
と、味方に教えながら、自身も徒歩となって、身一つを遁れだすのがようやくであった。
後陣にいた李典は、
「さてこそ」
と前方の火光を見て、急に救いに出ようとしたが、突如、前に関羽の一軍があって道をふさぎ、退いて、博望坡の兵糧隊を守ろうとすれば、そこにはすでに、玄徳の麾下張飛が迫って、輜重をことごとく焼き払ったあげく、
「火の網の中にある敵、一匹ものがすな」と、後方から挟撃してきた。
六
戦は暁になってやんだ。
「敵の死骸は、三万をこえている。この分では無事に逃げた兵は、半分もないだろう」
「まず、全滅に近い」
「幸先よしだ。兵糧その他、戦利品も莫大な数にのぼろう。かかる大捷を博したのも、日頃の鍛錬があればこそ――やはり平常が大事だな」
「この作戦は、一に孔明の指揮に出たものであるから、彼の功は否みがたい」
「むむ。……計は、図にあたった。彼奴も、ちょっぴり、味をやりおる」
やがて、戦場をうしろに、新野のほうへ引きあげて行くと、彼方から一輌の車をおし、簇擁として、騎馬軍旗など、五百余の兵が近づいてくる。
「誰か?」
「オオ、これは」
「軍師か」
「わが君の御徳と、各〻の忠誠なる武勇によるところ。同慶の至りである。」
孔明は車上から鷹揚にそういって、大将たちをねぎらった。自分よりはるかに年上な猛将たちを眼の下に見て、そういえるだけでも、年まだ二十八歳の弱冠とは見えなかった。
「ご無事で」
「めでたく」
「しかも、大捷を占めてのご帰城――」と、人々はよろこび勇んで、新野へ凱旋した。旗幡翻々と道を埋め、土民はそれを迎えて拝舞雀躍した。
孫乾は、留守していたので、城下の父老をひきいて、郭門に出迎えていた。その老人たちは、口をそろえて、
しかし孔明は誇らなかった。
城中に入って、数日の後、玄徳が彼に向って、あらゆる歓びと称讃を呈しても、
「いやいや、まだ決して、安心はなりません」と、眉をひらく風もなかった。
「かならず参ります。故に、備えておかなければなりますまい。それにはこの新野は領堺も狭く、しかも城の要害は薄弱で、たのむには足りません」
「でも、新野を退いては」
「新野を退いて拠るべき堅固は……」
と、孔明は云いかけて、そっとあたりを見まわした。