白馬将軍
一
さて、その後。
――焦土の洛陽に止まるも是非なしと、諸侯の兵も、ぞくぞく本国へ帰った。
「兵の給食も、極力、節約を計っていますが、このぶんでゆくと、今に乱暴を始め出して、民家へ掠奪に奔るかもしれません。さすれば将軍の兵馬は、たちまち土匪と変じます。昨日の義軍の総帥もまた、土匪の頭目と人民から見られてしまうでしょう」
兵糧方の部将は、それを憂いて幾たびも、袁紹へ、対策を促した。
袁紹も、今は、見栄を張っていられなくなったので、
と、書状を書きかけた。
すると、逢紀という侍大将のひとりが、そっと、進言した。
「大鵬は天地に縦横すべしです。なんで区々たる窮策を告げて、人の資などおたのみになるのでござるか」
「ありますとも。冀州は富饒の地で、粮米といわず金銀五穀の豊富な地です。よろしく、この国土を奪取して、将来の地盤となさるべきではありますまいか」
「それはもとより望むところだが、どういう計をもってこれを奪るか」
「むム」
「必ずや、公孫瓚も食指をうごかすでしょう。そうきたら、将軍はまた、一方韓馥へも内通して、力とならんといっておやりなさい。臆病者の韓馥は、きっと将軍にすがります。――その後の仕事は掌にありというものでしょう」
という忠言だった。
「この忠言をしてくれた袁紹は、先に十八ヵ国の軍にのぞんで総帥たる人。また、智勇衆望も高い名門の人物。よろしくこの人のお力を頼んで、慇懃、冀州へお迎えあるがしかるべきでございましょう。――袁紹お味方と聞えなば、公孫瓚たりといえども、よも手出しはできますまい」
群臣の重なる者は、みなその意見だった。
韓馥も、また、「それはよからん」と、同意した。
ひとり長史耿武は、憤然と、その非をあげて諫めた。
けれど、彼の直言は、用いられなかった。評定は紛論におちいり、耿武の力説を正しとして、席を蹴って去る者三十人に及んだ。
耿武も遂に、用いられないことを知って、
「やんぬる哉!」と、即日、官をすてて姿をかくした。
二
耿武は、身を挺して、袁紹を途上に刺し殺し、そして君国の危殆を救う覚悟だった。
すでに袁紹の列は目の前にさしかかった。
耿武は、剣を躍らせて、
「汝、この国に入るなかれ」
と、さけんで、やにわに、袁紹の馬前へ近づきかけた。
「狼藉者っ」
侍臣たちは、立騒いで防ぎ止めた。大将顔良は、耿武のうしろへ廻って、
「無礼者っ」と、一喝して斬りさげた。
耿武は、天を睨んで、
「無念」と云いざま、剣を、袁紹のすがたへ向って投げた。
剣は、袁紹を貫かずに、彼方の楊柳の幹へ突刺さった。
袁紹は、城府に居すわると、
「まず、政を正すことが、国の強大を計る一歩である」
と、太守韓馥を、奮武将軍に封じて、態よく、自身が藩政を執り、もっぱら人気取りの政治を布いて、田豊、沮授、逢紀などという自己の腹心を、それぞれ重要な地位へつかせたので、韓馥の存在というものはまったく薄らいでしまった。
韓馥は、臍を噛んで、
「ああ、われ過てり。――今にして初めて、耿武の忠諫が思いあたる」
一方。
「約定のごとく、冀州は二分して、一半の領土を当方へ譲られたい」
と、申込むと、袁紹は、
「よろしい。しかし、国を分つことは重大な問題だから、公孫瓚自身参られるがよい。必ず、約束を履行するであろう」と、答えた。
公孫越は満足して、帰路についたが、途中、森林のうちから雨霰の如き矢攻めに遭って、無残にも、立往生のまま射殺されてしまった。
公孫瓚は、橋上に馬をすすませて、大音に、
「不義、破廉恥、云いようもなき人非人の袁紹、いずこにあるぞ。――恥を知らば出でよ」
と、いった。
「何を」と、袁紹も、馬を躍らせて来て、共に盤河橋を踏まえ、
「おのれよくも雑言を。――誰かある、彼奴を生擒って、あの舌の根を抜き取れ」
三
身丈七尺をこえ、面は蟹のごとく赤黒かった。
大将袁紹の命に、
「おうっ」
と、答えながら、橋上へ馬を飛ばして来るなり、公孫瓚へ馳け向って戦を挑んで来た。
「下郎、推参」
――これは敵わじ。
と思うと、公孫瓚は、橋東の味方のうちへ、馬を打って逃げこんでしまった。
「汚し」と文醜は、敵の中軍へ割って入り、どこまでも、追撃を思い止まらなかった。
「遮れ」
「おそろしい奴だ」
公孫瓚は、胆を冷やして、潰走する味方とも離れて、ただ一騎、山間の道を逃げ走ってきた。
すると後ろで、
「生命おしくば、馬を降りて、降伏しろ。今のうちなら、生命だけは助けてくれよう」
またも文醜の声がした。
公孫瓚は、手の弓矢もかなぐり捨てて、生きた心地もなく、馬の尻を打った。馬はあまりに駆けたため、岩につまずいて、前脚を折ってしまった。
当然、彼は落馬した。
文醜はすぐ眼の前へ来た。
「やられた!」
観念の眼をふさぎながら、剣を抜いて起きなおろうとした時、何者か、上の崖から飛下りた一個の壮漢が、文醜の前へ立ちふさがるなり、物もいわず七、八十合も槍を合わせて猛戦し始めたので、「天の扶け」とばかり公孫瓚は、その間に、山の方へ這い上がって、からくも危うい一命を拾った。
「きょう不思議にも、自分の危ういところを助けてくれた者は、一体どこの何人か」
と、部将に問うて、各〻の隊を調べさせた。
やがて、その人物は、公孫瓚の前にあらわれた。しかし、味方の隊にいた者ではなく、まったくただの旅人だということが知れた。
「ご辺は、どこへ帰ろうとする旅人か」
公孫瓚の問いに、
眉濃く、眼光は大に、見るからに堂々たる偉丈夫だった。
「ともかく、止まって、微力を尽してみましょう」と、約した。
四
「やあ、なかなか偉観だな」
対岸にある袁紹は、河ごしに、小手をかざして、敵陣をながめながら云った。
「はっ」
「ふたりは、左右ふた手にわかれて、両翼の備えをなせ。また、屈強の射手千余騎に、麹義を大将として、射陣を布け」
「心得ました」
命じておいて、袁紹は旗下一千余騎、弩弓手五百、槍戟の歩兵八百余に、幡、旒旗、大旆などまんまるになって中軍を固めた。
大河をはさんで、戦機はようやく熟して来る。東岸の公孫瓚は、敵のうごきを見て、部下の大将厳綱を先手とし、帥の字を金線で繍った紅の旗をたて、
「いでや」と、ばかり河畔へひたひたと寄りつめた。
両軍対陣のまま、辰の刻から巳の刻の頃おいまで、ただひたひたと河波の音を聞くばかりで、戦端はひらかれなかった。
公孫瓚は、味方をかえりみて、「果てしもない懸引き、思うに、敵の備えは虚勢とみえる。一息に射つぶして、盤河橋をふみ渡れ」と、号令した。
たちまち、飛箭は、敵の陣へ降りそそいだ。
時分はよしと、東岸の兵は、厳綱を真っ先にして、橋をこえ、敵の先陣、麹義の備えへどっと当って行った。
公孫瓚は、焦心だって、
「退くなっ」
と、自身、白馬を躍らして、防ぎ戦ったが、麹義の猛勢に当るべくもなかった。のみならず、顔良、文醜の二将が、「あれこそ、公孫瓚」と目をつけて、厳綱と同じように、ふくろづつみに巻いて来たので、公孫瓚は、歯がみをしながら、またも、崩れ立つ味方にまじって逃げ退いた。
さんざんなのは、公孫瓚の軍だった。一陣破れ、二陣潰え、中軍は四走し、まったく支離滅裂にふみにじられてしまったが、ここに不可思議な一備えが、後詰にあって、林のごとく、動かず騒がず、森としていた。
なんの気もなく、
「あれ踏みつぶせ」と、麹義は、手兵をひいて、その陣へかかったところ、突如、五百の兵は、あたかも蓮花の開くように、さっと、陣形を展げたかと見るまに、掌に物を握るごとく、敵をつつんで、八方から射浴びせ突き殺し、あわてて駒を返そうとする麹義を見かけるなり、趙子龍は、白馬を飛ばして、馬上から一気に彼を槍で突き殺した。
五
盤河橋をこえて、陣を進め、旗下三百余騎に射手百人を左右に備え立て、大将田豊と駒をならべて、
「そうですな」
「白馬二千を並べたところは、天下の偉観であったが、ぶッつけてみると一たまりもない。旗を河へ捨て、大将の厳綱を打たれ、なんたる無能な将軍か。おれは今まで彼を少し買いかぶっておったよ」
云っているところへ、俄雨のように、彼の身のまわりへ敵の矢が集まって来た。
「や、や、やっ」
袁紹は、あわてて、
「何処にいる敵が射てくるのか」と、急に備えを退いて、楯囲いの中へかけ込もうとすると、
「袁紹を討って取れ」
とばかり、趙雲の手勢五百が、地から湧いたように、前後から攻めかかった。
田豊は、防ぐに遑もなく、あまりに迅速な敵の迫力にふるい恐れて、
「太守太守、ここにいては、流れ矢にあたるか、生擒られるか、滅亡をまぬかれません。――あれなる盤河橋の崖の下まで退いて、しばらくお潜みあるがよいでしょう」
袁紹は、後ろを見たが、後ろも敵であった。しかも、敵の矢道は、縦横に飛び交っているので、
「今は」と、絶体絶命を観念したが、いつになく奮然と、着たる鎧を地に脱ぎ捨て、
「大丈夫たるもの、戦場で死ぬのは本望だ。物陰にかくれて流れ矢になどあたったらよい物笑い。なんぞ、この期に、生きるを望まん」と、叫んだ。
身軽となって真っ先に、決死の馬を敵中へ突き進ませ、
「死ねや、者ども」
とばかり力闘したので、田豊もそれに従い、他の士卒もみな獅子奮迅して戦った。
かかるところへ逃げ崩れて来た顔良、文醜の二将が、袁紹と合体して、ここを先途としのぎを削ったので、さしも乱れた大勢を、ふたたび盛り返して、四囲の敵を追い、さらに勢いに乗って、公孫瓚の本陣まで迫って行った。
この日。
両軍の接戦は、実に、一勝一敗、打ちつ打たれつ、死屍は野を埋め、血は大河を赤くするばかりの激戦で、夜明け方から午過ぐる頃まで、いずれが勝ったとも敗れたとも、乱闘混戦を繰返して、見定めもつかないほどだった。
今しも。
趙雲の働きによって、味方の旗色は優勢と――公孫瓚の本陣では、ほっと一息していたところへ、怒濤のように、袁紹を真っ先として、田豊、顔良、文醜などが一斉に突入して来たので、公孫瓚は、馬をとばして、逃げるしか策を知らなかった。
その時。
轟然と、一発の狼煙は、天地をゆすぶった。
彼は生きたそらもなかった。
二里――三里――無我夢中で逃げ走った。
袁紹は勢いに乗じて急追撃に移ったが、五里余りも来たかと思うと、突如、山峡の間から、一彪の軍馬が打って出て、
と、名乗る後から、
「速やかに降参せよ」
「死を取るや、降伏を選ぶや」
袁紹は、仰天して、
「すわや、例の玄徳か」と、われがちに逃げ戻り、人馬互いに踏み合って、後には、折れた旗、刀の鞘、兜、槍など、道に満ち散っていた。
六
闘い終って。
「きょうの危機に、一命を拾い得たのは、まったくご辺のお蔭であった」
と、深く謝して、また、「先にも、自分の危ういところを、折よく救ってくれた一偉丈夫がある。ご辺とはきっと心も合うだろう」と、趙子龍を迎えにやった。
子龍はすぐ来て、
「何か御用ですか」と、いった。
公孫瓚は、
子龍は、大いに羞恥って、
「太守、それがしを召しおいて、知らぬ人の前なのに、そうおからかいになるものではありません。穴でもあらば、隠れたくなります」と、謙遜した。
星眸濶面の見るからに威容堂々たる偉丈夫にも、童心のような羞恥のあるのをながめて、玄徳は思わずほほ笑んだ。
その笑みを見て、趙子龍も、
「やあ」
ニコと、笑った。
玄徳の和やかな眸。
彼の秋霜のような眼光。
それが、初めて相見て、笑みを交わしたのであった。
「こちらが、劉備玄徳といって、きょう平原から馳けつけて、自分を扶けてくれた恩人だ。以前から誼みを持って、お互いに扶け合ってきた友人ではあるが」
と、姓名を告げると、趙子龍は、非常に驚いて、
と、機縁をよろこんで、
と、辞を低うして、慇懃なあいさつをした。
玄徳も、
「いや、ご丁寧に、恐縮なごあいさつです。自分とてもまだ飄々たる風雲の一槍夫。一片の丹心あるほかは、半国の土地も持たない若年者です。私のほうからこそ、よろしくご好誼をねがいます」
玄徳は、ひそかに、
(これはよい人物らしい。尋常の武骨ではない)
(まだ若いようだが、かねて噂に聞いていた以上だ。この劉玄徳という人こそ、将来ある人傑ではあるまいか。――主君と仰ぐならば、このような人をこそ)
と、心から尊敬を抱いた。