虎牢関の戦い

冒頭
虎牢関の戦い(ころうかんのたたかい)とは、董卓洛陽の南方にある要害虎牢関を拠点に諸侯連合軍の進撃を阻み、先鋒の呂布関外で迎え撃った一連の会戦です。虎牢関洛陽から南へ五十余里の天険で、ここに大軍を置けば諸侯は通路を失うとされる関門でした。
 
概要
吉川英治三国志』では、董卓虎牢関に本陣を定めて十二万を鎮し、さらに三万の精兵を前衛として関外に配置し、その先手に「万夫不当」とされる呂布を置いた布陣として示されます。
 
経過
寄せ手側は敵の南下に対応して兵を二手に分け、汜水関に一部を残し、主力を虎牢関へ向けます。虎牢関へ向かった陣容は八ヵ国ともされ、王匡鮑信喬瑁袁遺孔融張楊陶謙公孫瓚らが挙げられ、曹操は遊軍として控える形で位置づけられます。
戦闘の焦点は呂布劉備配下の関羽張飛(および劉備本人)の衝突にあり、張飛がまず呂布に挑み、続いて関羽が加わり、さらに劉備も名乗って三人がかりで呂布を囲む展開が示されます。
 
関連人物
董卓虎牢関を固める総帥として描かれ、呂布赤兎馬に乗り関外諸侯軍を圧する先鋒とされます。
劉備関羽張飛は、呂布関門へ退かせる局面に関与し、呂布は「後日再戦」と言い残して虎牢関内へ退く形で戦闘が区切られます。
 
呼称と結果
関門前での激闘は「虎牢関の三戦」とも呼ばれ、寄せ手は大捷として首級を多数得た一方、呂布の首は得られなかったとされます。
虎牢関での大敗後、董卓は意気銷沈し、李儒の献策で洛陽を捨てて長安遷都する大策が語られ、戦後の政局転換(遷都)に結びつく戦いとして位置づけられます。
 
史実との違い
吉川三国志では虎牢関前の呂布劉備三兄弟の直接対決と「三戦」の呼称が大きく整えられている点で、史実の記録よりも演義的な構図が強い出来事として扱われます。
「虎牢関の戦い」登場回数
合計: 2回
0 0 0 0 1 0 桃園の巻 1 群星の巻 0 草莽の巻 1 臣道の巻 0 孔明の巻 0 赤壁の巻 0 望蜀の巻 0 図南の巻 0 出師の巻 0 五丈原の巻
最終更新日: 約7時間前