十面埋伏
一
黎山の麓に寝た夜の明け方ごろである。
ふと眼をさますと。
老幼男女の悲泣哀号の声が天地にみちて聞えた。
耳をすましていると、その声は親を討たれた子や、兄を失った弟や、良人を亡くした妻などが、こもごもに、肉親の名を呼びさがす叫びであった。
「逢紀、義渠の二大将が、諸所のお味方をあつめて、ただ今、ここに着きました」
旗下の報らせに、袁紹は、
「さては、あの叫びは、敗残のわが兵を見て、その中に身寄りの者がありやなしやと、案じる者どもの声だったか……」と、思いあわせた。
「もし田豊の諫めをお用いになっていたら、こんな惨めは見まいものを」
と、部落を通っても、町を通っても、沿道に人のあるところ、必ず人民の哀号と恨みが聞えた。
それもその筈で、こんどの官渡の大戦で、袁紹の冀北軍は七十五万と称せられていたのに、いま逢紀、義渠などが附随しているとはいえ、顧みれば敗残の将士はいくばくもなく、寥々の破旗悲風に鳴り、民の怨嗟と哀号の的になった。
「城中からお迎えのため着いた人々のはなしを聞くと、獄中の田豊は、お味方の大敗を聞いて、手を打って笑い、それ見たことかと、誇りちらしているそうです」
彼に心服している典獄の奉行が、ひそかに獄窓を訪れてなぐさめた。
「今度という今度こそ、袁大将軍にも、あなたのご忠諫がよく分ったでしょう。ご帰国のうえは、きっとあなたに謝して、以後、重用遊ばすでしょう」
すると田豊は顔を振って、
「否とよ君。それは常識の解釈というもの。よく忠臣の言を入れ、奸臣の讒をみやぶるほどなご主君なら、こんな大敗は求めない。おそらく田豊の死は近きにあろう」
「まさか、そんなことは……」と、典獄もいっていたが、果たして、袁紹が帰国すると即日、一使がきて、
「獄人に剣を賜う」と、自刃を迫った。
典獄は、田豊の先見に驚きもし、また深く悲しんで、別れの酒肴を、彼に供えた。
田豊は自若として獄を出、莚に坐って一杯の酒を酌み、
「およそ士たるものが、この天地に生れて、仕える主を過つことは、それ自体すでに自己の不明というほかはない。この期に至って、なんの女々しい繰言を吐かんや」
二
衰退が見えてくると、大国の悩みは深刻である。
外戦の傷手も大きいが、内政の患いはもっと深い。
「あなたがお丈夫なうちに、どうか世嗣を定めてください。それを先に遊ばしておけば、河北の諸州も一体となって、きっとご方針が進めよくなりましょう」
「わしも疲れた。……心身ともにつかれたよ。近いうちに世嗣を決めよう」
つねに劉夫人からよいことだけを聞かされているので、彼の意中にも、袁尚が第一に考えられていた。
「時に、わしもはや老齢だし、諸州に男子を分けて、それぞれ適する地方を守らせてあるが、宗家の世嗣としては、もっとも三男袁尚がその質と思うている。――で、近く袁尚を河北の新君主に立てようと考えておるが、そち達はどう思うな?」
と、意見を問いながら暗に自分の望みを打ち明けてみた。
すると、誰よりも先に郭図が口をひらいて、
「これは思いもよらぬおことばです。古から兄をおいて弟を立て、宗家の安泰を得たためしはありますまい。これを行えば乱兆たちまち河北の全土に起って、人民の安からぬ思いをするは火をみるよりもあきらかです。しかもいま一方には、曹操の熄まざる侵略のあるものを。……どうか、家政を紊し給わず、一意、国防にお心を傾け給わるよう、痛涙、ご諫言申しあげまする」
と、面を冒していった。
「左様か……。む、む」
と、気まずい顔いろながらも、反省して、考え直しているふうであった。
すると、それから数日の間に。
并州にいる甥の高幹が、官渡の大敗と聞いて、軍勢五万をひきいて上ってきたところへ、長男の袁譚も、青州から五万余騎をととのえて駈けつけ、次男袁煕もまた前後して、六万の大兵をひっさげ、城外に着いて、野営を布いた。
「やはり何かの場合には、気づよいものは子どもらや肉親である。かく、新手の兵馬がわれに備わるからには、長途を疲れてくる曹操の如きは何ものでもない」と、安心をとり戻していた。
一方、曹操の軍勢は、どう動いているかと、諸所の情報をあつめてみると、さすがに急な深入りもせず、大捷をおさめたのち、彼はひとまず黄河の線に全軍をあつめ、おもむろに装備を改めながら兵馬に休養をとらせているらしかった。
三
或る日、曹操の陣所へ、土民の老人ばかりが、何十人もかたまって訪ねてきた。髪の真白な者、山羊のような鬚を垂れた者、杖をついた者、童顔の翁など、ぞろぞろつながって、
「丞相へお祝いをのべにきましたのじゃ」と、卒へいう。
卒の取次を聞くと、曹操はすぐ出てきた。そして一同に席を与え、
「おまえ達は、幾歳になるか」と、訊ねた。
一人は百四歳と答える。一人は百二歳という。最低の者でも八十、九十歳だった。
「めでたい者達だ」と、曹操は、酒を飲ませたり、帛を与えたりした。
そしてなお、いうには、
「予は老人が好きだ、また老人を尊敬する。なぜなら、多難な人生を、おまえ達の年齢まで生きてきただけでも大変なものじゃないか。生きてきたというだけでも充分に尊敬に値するが、また、悪業をやってきた者では、そこまで無事でいるわけがない。だから高齢者はすべて善民であり、人中の人である」
老人達はすっかり歓んでしまった。百何歳という中の一翁が、謹んで答えた。
「いまから五十年前――まだ桓帝の御宇の頃です。遼東の人で殷馗という予言者が村へきたとき申しました。近頃、乾の空に黄星が見える。あれは五十年の後、この村に稀世の英傑が宿する兆じゃと。……その後、村は袁紹の治下になって悪政に苦しめられ、いつまでこんな世がつづくのかと思っていましたところ、まさに今年は、殷馗の予言した五十年目にあたりますのじゃ。そこで一同打ち揃って、お歓びに参ったわけでござりまする」
と、たずさえてきた猪や鶏を献物に捧げ、箪食壺漿して、にぎやかに帰った。
曹操は、軍令を出して、
一、農家耕田ヲ荒ス者ハ斬
一、一犬一鶏タリト盗ム者ハ斬
一、婦女ニ戯ルル者ハ斬
一、酒ニミダレ火ヲ弄ブ者ハ斬
一、老幼ヲ愛護シ仁徳ヲ施スハ賞ス
と、諸軍に法札を掲げさせた。
「善政来!」
「泰平来!」
土民が彼を謳歌したことはいうまでもない。ために彼の軍はその後、兵糧や馬糧にも困らなかったし、しばしば土民から有利な敵の情報を聞くこともできた。
曹操も全軍を押し進め、戦書を交わして、堂々と出会った。
開戦第一の日。
曹操は、颯爽と、鼓声に送られて、姿を示し、
「世に無用なる老夫。なお、曹操の刃をわずらわさんとするか」と、罵った。
袁紹は怒って、直ちに、「世に害をなすあの賊子を討てッ」と、左右へ叱咤した。
曹操は、その弱冠なのに、眼をみはって、
「あわれ、この青二才は、何者か」
と、うしろへ訊いた。
矢は、史渙の左の目に立った。
四
我が子の武勇を眼のあたり見て、袁紹も大いに意を強めた。
曹操は敗色日増しに加わる味方を見て、
「程昱、何としたものだろう」とかたわらの大将にはかった。
程昱は、この時、十面埋伏の計をすすめたといわれている。
そして部隊を十に分け、各〻、緊密な聯絡をもって、迫りくる敵の大軍を待っていた。
袁紹はしきりに物見を放ちながら、三十万の大軍を徐々に進ませてきた。
――敵、背水の陣を布く!
「それッ、包囲せよ」と、五寨の備えは、ここに初めて行動を起して、許褚の一隊を捕捉せんものと、引っ包んで、天地をゆるがした。
「うしろは黄河だ。背水の敵は死物狂いになろう。深入りすな」
と袁紹父子が、その本陣から前線の将士へ、伝騎を飛ばした時は、すでに彼らの司令本部も、五寨の中核からだいぶ位置を移して、前後の連絡はかなり変貌していたのであった。
突如として、方二十里にわたる野や丘や水辺から、かねて曹操の配置しておいた十隊の兵が、鯨波をあげて起った。
「大丈夫だ」
「なんの、さわぐことはない」
――何ぞ知らん。彼の信じていた五寨の備えは、すでに間隙だらけであったのである。
またたく間に、味方ならぬ敵の喊声はここに近づいていた。しかも、十方の闇からである。
「右翼の第一隊、夏侯惇」
「二隊の大将、張遼」
「第三を承るもの李典」
「第四隊、楽進なり」
「第五にあるは、夏侯淵」
「――左備え。第一隊曹洪」
と、いうような声々が潮のように耳近く聞かれた。
「すわ。急変」と、総司令部はあわてだした。
どうしてこう敵が急迫してきたのか、三十万の味方が、いったいどこで戦っているのか。皆目、知れないし、考えている遑などもとよりなかった。
袁紹は、三人の子息と共に、夢中で逃げだしていた。
いや彼ら父子の身も、いくたびか包まれて、雑兵の熊手にかかるところだった。
次男の袁煕は、ここで深傷を負い、甥の高幹も、重傷を負った。
夜もすがら、逃げに逃げて、百余里を走りつづけ――翌る日、友軍をかぞえてみると、何と一万にも足らなかった。
五
逃げては迫られ、止まればすぐ追われ、敗走行の夜昼ほど、苦しいものはないだろう。
しかも一万の残兵も、その三分の一は、深傷や浅傷を負い、続々、落伍してしまう。
「あっ? 父上、どうなされたのですか」
「兄さん! 大変だっ、待ってくれい」
ふたたび彼は大声で、先へ走ってゆく二人の兄を呼びとめた。
「父上っ」
「大将軍っ」
「お気をしっかり持って下さい」
三人の子と、旗下の諸将は、彼の身を抱きおろして懸命に手当を加えた。
「案じるな。……何の」と、強いて眸をみはった。
すると、はるか先に、何も知らず駆けていた前隊が、急に、雪崩を打って、戻ってきた。
強力な敵の潜行部隊が、早くも先へ迂回して、道を遮断し、これへ来るというのである。
まだ充分意識もつかない父を、ふたたび馬の背に乗せて、長男袁譚が抱きかかえ、それから数十里を横道へ、逃げに逃げた。
「……だめだ。苦しい。……おろしてくれい」
袁譚の膝で、袁紹のかすかな声がした。いつか白い黄昏の月がある。兄弟と将士は、森の木陰に真黒に寄り合った。
草の上に、戦袍を敷き、袁紹は仰向けに寝かされた。――にぶい眸に、夕日が映っている。
云い終ると、かっと、黒血を吐いて、四肢を突張った。最後の躍動であった。
「かならず再起を」と約して、ひとまず并州へと引揚げた。
「いまは稲の熟した時、田を荒らし、百姓の業をさまたげるのは、いかがなものでしょう。ことに味方も長途に疲れ、後方の聯絡、兵糧の補給は、いよいよ困難を加えますし、袁紹病むといえども、審配、逢紀などの名将もおること、これ以上の深入りは、多分に危険もともなうものと思慮せねばなりません」と、諸将みな諫めた。
曹操は釈然と容れて、
「百姓は国の本だ。――この田もやがて自分のものだ。憐れまないで何としよう」
一転、兵馬をかえして、都へさして来る途中、たちまち相次いで来る早馬の使いがこう告げた。