偃月刀(えんげつとう)とは 偃月刀は、中国武術や歴史物語に登場する長柄武器の一種である。刀身が大きな弧を描いており、形が半月(偃月=寝かせた月)に似ていることからその名がある。柄は長く、薙ぎ払うように使うのが特徴。 歴史的背...
蛇矛(だぼう) 概要 蛇矛(だぼう)とは、長い柄の先に蛇のうねりを思わせる大きな刃を備えた矛の一種です。吉川三国志では主に張飛の愛用武器として描かれ、丈八(約一丈八尺)の長柄に牙形の穂先を付した大矛として言及されます 。張飛が軍...
冒頭 方天戟(ほうてんげき)とは、三国時代を舞台にした物語で武将が用いる長柄武器・戟の一種を指す語です。吉川三国志では、主に呂布の得物として描かれ、騎乗のまま大軍の中を斬り抜ける威力を示します。 概要 長い柄の先に穂先を備える戟の形...
戟(げき)とは 長柄に刃を備えた武具の総称で、槍と薙刀の性格を併せ持つ古代中国の代表的な武器。吉川英治の三国志では、かな書きで「ほこ」と振られる箇所も多く、戦場での白兵戦を象徴する凶器として活写される。たとえば典韋が両手に戟を携え...
穆順(ぼくじゅん)とは 吉川英治『三国志』に登場する同名の人物で、宮中に仕える忠実な宦官(あるいは近臣)と、張楊配下の名槍手という二人がいる。前者は伏皇后と献帝に近侍し、後者は戦場で呂布に挑んで敗れたことで名が記される 。 生...
張楊(ちょうよう)とは 後漢末の群雄の一人。吉川英治『三国志』では、反董卓連合に加わった諸侯の一人として名が挙がり、その後は呂布と縁を結ぶが、やがて配下に殺される人物として描かれる 。 生涯 反董卓連合の時期、諸侯の一角と...
袁遺(えんい)とは 吉川英治の三国志に登場する袁氏一族の一人で、反董卓連合の諸侯として名が挙がる人物。虎牢関の戦いでは、王匡・鮑信・喬瑁・孔融・張楊・陶謙・公孫瓚らと並ぶ一軍の主として参陣している。 生涯(活躍の要点) 反董...
李傕(りかく)とは 董卓の旧臣で四大将の一人。董卓滅亡後、西涼方面の敗兵を糾合して長安に復帰し、献帝のもとで車騎将軍・のち大司馬にまでのぼるが、同僚の郭汜と覇権を争い、都下を血で染める混乱の中心人物として描かれる。曹操と対峙した戦...
郭汜(かくし)とは、後漢末の群雄の一人で、董卓死後に李傕と結び長安の朝廷を壟断し、献帝を脅しながら権勢をふるった武将です。長安支配ののち李傕と不和に陥り、天子をめぐって争奪・和睦・離反を繰り返す混乱の中心人物として描かれます。 生涯...
張済(ちょうさい)とは 董卓の死後、李傕・郭汜・樊稠らと並ぶ勢力として長安政局に関与した将。李傕・郭汜の内訌に乗じて大軍で現れ仲裁を強いて和睦させ、献帝から驃騎将軍に任ぜられたのち、弘農への遷幸を勧めるなど、混乱する朝廷に対して一...
樊稠(はんちゅう)とは、董卓の死後に台頭した李傕・郭汜・張済らと並ぶ「四将」の一人で、長安を制圧したのち右将軍に任ぜられた武将です。やがて宴席で李傕に「裏切者」と断じられ、密告と疑心暗鬼の果てにその場で斬られます 。 生涯 ...
大青龍刀(だいせいりゅうとう)とは 関羽(雲長)が振るう巨大な刃を指す呼称で、吉川英治『三国志』では「八十二斤と称する大青龍刀」として描かれる、騎上から豪烈に薙ぎ払う象徴的な武器である 。 呼称 作中では「大青龍刀」と呼ばれ...
火焔斧(かえんふ)とは 一般には、炎を意匠化した斧、あるいは「炎のように猛く鮮烈」な戦いぶりを連想させる呼称として、後世の創作やイメージの中で用いられることが多いと考えられる。 関連する描写と人物 吉川英治『三国志』では、徐...
潘鳳(はんほう)とは 韓馥の麾下にあった勇将で、董卓配下の猛将・華雄に挑むも討たれた人物。袁紹率いる連合の諸侯が戦意を喪失する中、韓馥が「百戦におくれをとったことを知らない」勇将として推挙し、火焔斧を携え黒馬に乗って本陣前に馳けつ...
兪渉(ゆしょう)とは、袁紹の寵将として名が挙がる勇将で、反董卓連合の戦いで華雄に挑み、六、七合のうちに斬られたと描かれる人物である。袁紹配下の中でも武勇の誉れ高き将として紹介されるが、その初陣同然の見せ場で落命し、連合軍本陣をいっそう...
祖茂(そも)とは 孫堅に仕えた武将で、董卓討伐戦の汜水関前後での退却戦において、主君の窮地を救った直臣として描かれる。華雄の追撃下、孫堅に目立つ朱金の兜を脱ぐよう諫め、その直後に華雄に討ち取られた場面が吉川英治『三国志』では印...
広宗(こうそう)とは、後漢末の冀州・鉅鹿郡に属した城邑・県の名であり、黄巾の乱における決定的会戦の舞台として、三国志世界の入口を開く地です。 歴史 黄巾の乱の最終局面で、広宗は張角の弟・張梁、そして天公将軍張角に代わる実戦指揮官...
盔(かぶと)とは 三国志の時代に用いられた頭部防具、すなわち兜の総称。中国古典では「兜」「頭盔」「鉄盔」などの表記が見られ、軍装の要として歩兵・騎兵・将軍に至るまで用いられた。材質は時代や身分で差があり、革製に金属板を重ねたもの、鍛...
黄蓋(こうがい)とは 三国志に登場する呉(孫権政権)の宿将。江東の古参として孫堅・孫策・孫権の三代に仕え、赤壁の戦いで決定打となった「苦肉の計」を体現したことで名高い。吉川英治『三国志』でも、遼東の老将としての剛毅と胆力、そして計...
江東(こうとう)とは 長江の下流域、現在の江蘇省・安徽省・浙江省一帯を指す地名。三国志の時代には孫氏一族が支配した地域として有名であり、呉の根拠地となった。 歴史的背景 後漢末、反董卓連合に参加した孫堅は、戦後に袁術の下で兵を挙...
旗本(はたもと)とは もともとは「旗のもとに仕える者」の意味で、主将の直属の精鋭部隊や近習の将兵を指す言葉である。戦場では主君の旗を守り、最も信頼される近衛的な役割を担った。 三国志における用例 吉川英治『三国志』では、各陣営の...
程普(ていふ)とは 後漢末から三国時代にかけて活躍した武将で、江東の孫家三代(孫堅・孫策・孫権)に仕えた宿将。字は徳謀。 生涯 孫堅に従って反董卓連合軍に参加し、汜水関の戦いでは董卓軍の副将・胡軫を投げ槍で討ち取る功を挙げた。孫...
猪口才(ちょこうさい)とは 「猪口才」とは、口先ばかり達者で実力が伴わないことを意味する言葉である。小賢しい、へりくつを言う、といった否定的なニュアンスを含む。日常的には「口だけ達者」「生意気な小理屈」という意味合いで用いられる。 ...
鮑忠(ほうちゅう)とは 後漢末期の武将で、孫堅軍に属した人物。『三国志演義』や吉川英治『三国志』に登場するが、史実では存在が不確かで記録はほとんど残っていない。 生涯 董卓を討つために結成された反董卓連合軍の一員として孫堅の旗下...
趙岑(ちょうしん)とは 後漢末期の武将で、董卓の配下として登場する人物。『三国志演義』や吉川英治『三国志』に描かれるが、史実では存在が不確かで記録がほとんどない。 生涯 董卓の命を受け、李蒙とともに一万の兵を率いて汜水関の守備に...