霹靂車
一
それが方針の根底だった。
そうきまったので、河北から使者にきて長逗留していた陳震はなんら得るところなく、追い返されてしまった。
一方、曹操のほうでも。
「天の与えた好機だ。ただちに大軍を下江させて、呉を伐ち取らんか」
と提議したが、折ふし都へ来ていた侍御史張紘がそれを諫めて、
「人の喪に乗じて、軍を興すなどとは、丞相にも似あわしからぬことでしょう。古の道にも、聞いた例がありません」といったので、曹操もその卑劣をふかく恥じたとみえ、以後、それを口にしないばかりでなく、上使を呉へ送って後継者の孫権に恩命をつたえた。
彼の選んだ方針と、呉がきめていた国策とは、その永続性はともかく孫策の死後においては、端なくも一致した。
「まず、曹操を打倒せよ」
令に依って。
「かくの如く、内を虚にして、みだりにお逸りあっては、かならず大禍を招きます。むしろ官渡の兵を退かせ、防備をなさるこそ、最善の策と存じますが」と、極力その不利を説いた。
「出陣にあたって不吉なことをいわれる。田豊には、主君の敗北を期しているとみえるな。何を根拠に、大禍に会わんなどと、この際断言されるか」と、ことさら、大仰に咎めだてした。
出陣の日は、わずかなことも吉凶を占って、気にかけるものである。不吉な言をなしたというのは大罪に値する。まして重臣たるものがである。
「――首枷をかけて獄中にほうりこんでおけ。凱旋ののちきっと罪を正すであろう」
と云い払って出陣した。
「曹操は速戦即決をねらっています。後の整備や兵糧が乏しいためです。しかるに、その図に乗って急激にこの大軍で当られるのは心得ません。味方は大軍ですが、その勇猛と意気にかけてはとても彼に及ぶものではないに」
「だまれ。汝もまた、田豊をまねて、みだりに不吉の言を吐くか」
袁紹は、彼の首にも首枷をかけて、獄へほうってしまった。
二
この日、馬煙は天をおおい、両軍の旗鼓は地を埋めた。なにやら燦々と群星の飛ぶような光を、濛々のうちに見るのだった。
午。陽はまさに高し。
折から、三通の金鼓が、袁紹の陣地からながれた。
「曹操に一言申さん」と、陣頭に出た。
曹操はまずいった。
彼が敵に与える宣言はいつもこの筆法である。袁紹は当然面を朱に怒った。
「ひかえろ曹操。天子のみことのりを私して、みだりに朝威をかさに振舞うもの、すなわち廟堂の鼠賊、天下のゆるさざる逆臣である。われ、いやしくも、遠祖累代、漢室第一の直臣たり。天に代って、汝がごとき逆賊を討たでやあるべき。またこれ、万民の望む総意である」
宣言の上では、誰が聞いても、袁紹のほうがすぐれている。
だから曹操はすぐ、
「問答無用」と、駒を返して、「――張遼、出でよ」と、高く鞭を振った。
弩弓、鉄砲など、いちどに鳴りとどろく、飛箭のあいだに、
「見参!」
「罰当りめ。ひかえろ」
と、叱りながら、河北の勇将張郃がおどり出して、敢然、戟をまじえた。
二者、火をちらして激闘すること五十余合、それでも勝負がつかない。
曹操は、遠くにあって、驚きの目をみはりながら、
「そも、あの化け物はなんだ」と、つぶやいた。
「われ高覧なるを知らずや」と、槍をひねって向ってくる。
――その時、将台の上に立って、軍の大勢をながめていた袁紹方の宿将審配は、いま曹軍の陣から、約三千ずつ二手にわかれて、味方の側面から挟撃してくるのを見て、
「それっ、合図を」と、軍配も折れよと振った。
かかることもあろうかと、かねて隠しておいた弩弓隊や鉄砲隊の埋伏の計が、果然、図にあたったのである。
天地も裂くばかりな轟音となって、矢石鉄丸を雨あられと敵の出足へ浴びせかけた。側面攻撃に出た曹軍の夏侯惇、曹洪の両大将は、急に、軍を転回するいとまもなく、さんざんに討ちなされて潰乱また潰乱の惨を呈した。
「いまぞ追いくずせ」
三
「いかに、河北の軍勢でも、これでは近づき得まい」
と、曹軍はその陣容を誇るかのようだった。
さすがの袁紹も、果たして、
「力攻めは愚だ」と、さとったらしく、ここ数日は矢一つ放たなかった。
「これは?」と知った曹操のほうでは、陣所陣所から手をかざして、なにか評議をこらしていたが、ついに施す策もなかった。
「……やあ、こんどはあの築山の上に、幾つも高櫓を組み立てているぞ」
「なるほど、仰山なことをやりおる、どうする気だろう?」
その解答は、まもなく袁紹のほうから、実行で示してきた。
細長い丘の上に、五十座の櫓を何ヵ所も構築して、それが出来あがると、一櫓に五十張りの弩弓手がたて籠り、いっせいに矢石を撃ち出してきたのである。
これには曹操も閉口して、前線すべて山麓の陰へ退却してしまうしかなかった。
「渡河の用意!」
曹操も、内心、恐れを覚えてきたらしい。
「官渡の守りも、この流れあればこそだが? ……」
すると幕僚の劉曄が、
「まず敵の築丘や櫓をさきに粉砕してしまわなければ味方はどうにも働くことができません。それには発石車を製して虱つぶしに打ち砕くがよいでしょう」と献策した。
「発石車とは何か」
「それがしの領土に住む、名もない老鍛冶屋が発明したもので、硝薬を用い、大石を筒にこめて、飛爆させるものであります」と、図に描いてみせた。
まさに科学戦である――近代兵器のそれとは比較にならないがその精神や戦法は、たしかにそこを目ざして飛躍している。
車砲は口をそろえて烈火を吐いた。大石は虚空にうなり、河をこえて、人工の丘に、無数の土けむりをあげ、また、敵の櫓をみな木っぱ微塵に爆破してしまった。
「何だろう。あの器械は」
敵はもとより、味方のものまで目に見た科学の威力に、ひとしく畏怖した。
「霹靂車だ……。あれは西方の海洋から渡ってきた夷蛮の霹靂車という火器だ」
物識りらしくいう者があって、いつかそのまま霹靂車とよびならわされた。
四
掘子軍というものを編成したのである。
これは土龍のように、地の底を掘りぬいて、地下道をすすみ敵前へ攻め出るという戦法である。河北軍が得意とするものとみえて、さきに北平城の公孫瓚を攻め陥した時も、この奇法で城内へ入りこみ、放火隊の飛躍となって、首尾よく功を奏した前例がある。
こんどの場合は、城壁とちがい、官渡の流れが両軍のあいだにあるが、水深は浅い。深く掘りすすめば至難ではなかろう。
こう審配が献策したので、
「よかろう」と、袁紹は直ちに実行させたのである。二万余の土龍は、またたくうちに、一すじの地道を対岸の彼方まで掘りのばして行った。
曹操は早くもそれを察していた。なぜならば、坑の口から外へだした土の山が、蟻地獄のように、敵陣の諸所に盛られ始めたからである。
「どうしたら防げるか」
彼はまた、劉曄にたずねた。
劉曄は笑って、
「あの策はもう古いです。これを防ぐには、味方の陣地の前に、横へ長い壕を掘切っておけばいい。――またその壕へ、官渡の水を引きこんでおけば更に妙でしょう」と、いった。
「なるほど」
苦もなく防禦線はできた。
物見によって、それと知った袁紹は、あわてて掘子軍の作業を中止させた。
こんなふうに、対戦はいたずらに延び、八月、九月も過ぎた。
輸送力に比して、大軍を擁しているため、長期となると、かならず双方とも苦しみだすのは、兵糧であった。
徐晃が、この捕虜を手なずけて、いろいろ問いただしてみると、
「袁紹の陣でも、実は、兵糧の窮乏に困りかけています。けれど、近頃、韓猛というものが奉行となって、各地から穀物、糧米なんどおびただしく寄せてきました。てまえは、その兵糧を前線へ運び入れる道案内のために行く途中を、運悪く足の裏に刃物を踏んで落伍してしまったのです」
と、嘘でもなさそうな自白であった。
「その兵糧こそ、天が我軍へ送ってくれたようなものだ。韓猛という男は、ちょっと強いが、神経のあらい男で、すぐ敵を軽んじるふうのある部将だ。……誰か行って、その兵糧を奪ってくるものはないか」
「誰彼と仰せあるより、それがしが史渙を連れて行ってきましょう」
徐晃は、その役を買って出た。
その夜。
「さては?」と、急に防戦のそなえをしたが、足場はわるし道は暗いし、牛馬は暴れだすし、まだ敵を見ぬうちから大混乱を起していた。
徐晃の奇襲隊は、用意の硫黄や焔硝を投げつけ、敵の糧車へ、八方から火をつけた。
火牛は吠え、火馬は躍り、真っ赤な谷底に、人間は戦い合っていた。
五
真夜中に、西北の空が、真っ赤に焦けだしたので、袁紹は陣外に立ち、
「何事だろう?」と、疑っていた。
そこへ韓猛の部下がぞくぞく逃げ返ってきて、
「兵糧を焼かれました」と告げたから袁紹は落胆もしたし、韓猛の敗退を、
「腑がいなき奴」と憤った。
「張郃やある! 高覧も来れ」
彼は、俄に呼んで、その二将に精兵をさずけ、兵糧隊を奇襲した敵の退路をたって殲滅しろと命じた。
「心得ました。味方の損害は莫大のようですが、同時に、兵糧を焼いた敵のやつらも、一匹も生かして返すことではありません」
二大将は手分けして、大道をひた押しに駈け、見事、敵路を先に取った。
徐晃は使命を果たして、意気揚々と、このところへさしかかって来た。
待ちかまえていた高覧、張郃の二将は、
「賊は小勢だぞ。みなごろしにしてしまえ」
と、無造作に包囲して、馬を深く敵中へ馳け入れ、
「徐晃は汝か」と、彼のすがたを探しあてるやいな、挟み撃ちにおめきかかっていた。
ところが。
背後の部下はたちまち蜘蛛の子みたいに逃げ散った。怪しみながら両将も逃げだすと、何ぞ計らん敵には堂々たる後詰がひかえていたのである。
高覧は仰天して、
「これは及ばん」と、戦わずして逃げ去り、張郃も、
「むだに命は捨てられん」とばかり、逃げ鞭たたいて逸走してしまった。
「いやご過賞です。せっかくご使命を買って出ながら、功は半ばしか成りませんでした」
といって自ら恥じた。
「なぜ恥じるか」と、曹操が訊くと、
「でも、敵の兵糧を焼いて帰ってきただけでは味方の腹はくちくなりませんから」と、答えた。
「ぜひもない。そこまでは慾が張りすぎよう」
曹操が慰めたので、諸将はみな苦笑したが、まったくこの戦果によっては、少しも兵糧の窮乏は解決されなかった。
袁紹は、期待していた兵糧の莫大な量をむなしく焼き払われたので、
「韓猛の首を陣門に曝させい」と、赫怒して命じたが、諸将があわれんで、しきりに命乞いしたため、将官の任を解いて、一兵卒に下してしまった。
この難に遭ってから審配は、
「烏巣(河北省)の守りこそは実に大事です。敵の飢餓してくるほど、そこの危険は増しましょう」
と、大いに袁紹へ注意するところがあった。
烏巣、鄴都の地には、河北軍の生命をつなぐ穀倉がある。いわれてみるとなおさら袁紹は心安からぬ気がしてきたので、審配をそこへ派遣して、兵糧の点検を命じ、同時に淳于瓊を大将として、およそ二万余騎を、穀倉守備軍として急派した。
この淳于瓊というのは、生来の大酒家で、躁狂広言のくせがある人物だったから、その下に部将としてついて行った呂威、韓筥子、眭元などは、
「また失態をやりださねばよいが」と、内心不安を抱いていた。
けれど烏巣そのものの地は天嶮の要害であった。それに安心したか、果たして、淳于瓊は毎日、部下をあつめて飲んでばかりいた。
六
ここに、袁紹の軍のうちに、許攸という一将校がいた。年はもう相当な年配だが、掘子軍の一組頭だったり、平常は中隊長格ぐらいで、戦功もあがらず、不遇なほうであった。
この許攸が、不遇な原因は、ほかにもあった。
彼は曹操と同郷の生れだから、あまり重用すると、危険だとみられていたのである。
酒を飲んだ時か何かの折に、彼自身の口から、
「おれは、子供の頃から、曹操とはよく知っている。いったい、あの男は、郷里にいた時分は、毎日、女を射当てに、狩猟には出る、衣装を誇って、村の酒屋は飲みつぶして歩くといったふうで、まあ、不良少年の大将みたいなものだったのさ。おれもまた、その手下でね、ずいぶん乱暴をしたものだ」
などと、自慢半分にしゃべったことが祟りとなって、つねに部内から白眼視されていた。
ところが、その許攸が、偶然、一つの功を拾った。
偵察に出て、小隊と共に、遠く歩いているうち、うさん臭い男を一名捕まえたのである。
拷問してみると、計らずも大ものであった。
さきに曹操から都の荀彧へあてて書簡を出していたが、以後、いまもって、荀彧から吉報もなし、兵糧も送られてこないので、全軍餓死に迫る――の急を報じて、彼の迅速な手配を求めている重要な書簡を襟に縫いこんでいたのである。
「折入ってお願いがあります。わたくしに騎馬五千の引率をおゆるし下さい」
許攸は、ここぞ日頃の疑いをはらし、また自分の不遇から脱する機会と、直接、袁紹を拝してそう熱願した。
もちろん証拠の一書も見せ、生擒った密使の口書きもつぶさに示しての上である。
「どうする。五千の兵を汝に持たせたら」
「間道の難所をこえ、敵の中核たる許都の府へ、一気に攻め入ります」
「ばかな。そんなことが易々として成就するものなら、わしをはじめ上将一同、かく辛労はせん」
「いや、かならず成就してお見せします。なんとなれば、荀彧が急に兵糧を送れないのは、その兵糧の守備として、同時に大部隊をつけなければならないからです。しかし、早晩その運輸は実行しなければ、曹操をはじめとして、前線の将士は飢餓に瀕しましょう。――わたくしが思うには、もうその輸送大部隊は、都を出ている気がします。さすれば、洛内の手薄たることや必せりでありましょう」
「そちは上将の智を軽んじおるな。左様なことは、誰でも考えるが、一を知って二を知らぬものだ。――もしこの書簡が偽状であったらどうするか」
「断じて、偽筆ではありません。わたくしは曹操の筆蹟は、若い時から見ているので」
彼の熱意は容易に聞き届けられなかったが、さりとて、思いとどまる気色もなく、なお懇願をつづけていた。
袁紹は途中で、席を立ってしまった。審配から使いがきたからである。すると、その間に、侍臣がそっと彼に耳打ちした。
「許攸の言はめったにお用いになってはいけません。下将の分際で、嘆願に出るなど、僭越の沙汰です。のみならず、あの男は、冀州にいた頃も、常に行いがよろしくなく、百姓をおどして、年貢の賄賂をせしめたり、金銀を借りては酒色に惑溺したり、鼻つまみに忌まれているような男ですから」
「……ふム、ふム。わかっとる、わかっとる」
袁紹は二度目に出てくると、穢いものを見るような眼で、許攸を見やって、
「まだいたのか、退がれ。いつまでおっても同じことじゃ」と、叱りとばした。
許攸は、むっとした面持で、外へ出て行った。そしてひとり憤懣の余り、剣を抜いて、自分の首を自分の手で刎ねようとしたが、
「豎子、われを用いず。いまに後悔するから見ていろ。――そうだ、見せてやろう、おれが自刃する理由は何もない」
急に、思い直すと、彼はこそこそと塹壕のうちにかくれた。そしてその夜、わずか五、六人の手兵とともに、暗にまぎれて、官渡の浅瀬を渡り、一散に敵の陣地へ駈けこんで行った。