小覇王
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関連人物
この章に登場する人物「孫策伯符」の詳細情報もご覧いただけます。
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一
「よしッ今日こそ、きのうの勝負をつけてみせる」と、馬を躍らしかけた。
「待ちたまえ」と、腹心の程普は、あわてて彼の馬前に立ちふさがりながら、
「口賢い敵の舌先に釣りこまれたりなどして、軽々しく打って出てはいけません。あなたの使命はもっと大きい筈でしょう」と、押し戻した。
太史慈は、彼を見ると、相手にもせず云い放った。
「やあ、大言なり、青二才」
程普は怒って、まっしぐらに打ってかかった。
すると、戦がまだ酣ともならないうちに、劉繇はにわかに陣鼓を打ち、引鐘を鳴らして退却を命じた。
劉繇は、苦々しげに、
「それどころではない。本城を攻め取られてしまったわ。――貴様たちが前の敵にばかり気をとられておるからだ」と、声をふるわせて云った。
「えっ、本城が?」
太史慈も、おどろいた。
その上に。
(時こそ来れ!)とばかりに江を渡って、孫軍と合流し、共に劉繇の留守城を攻めたので、たちまちそこは陥落してしまったのであった。
何にしても、かんじんな根拠地を失ったのであるから、劉繇の狼狽も無理ではない。
ところが、奔り疲れて、その夜、露営しているとまた、孫策の兵が、にわかに夜討ちをかけてきて、さらぬだに四分五裂の残兵を、ここでも散々に打ちのめした。
「よしッ、袋の鼠だ」と、孫策は、直ちに、駒をかえして、彼の側面を衝いた。
「孫策、待てッ」と、馬で追って来た。
孫策は、振向きざま、
「仲よく、冥途へ行け」
二
「もう駄目だ」と、力を落して、わずかな残兵と共に、荊州へ落ちて行った。
「この上は、劉表へすがろう」とばかり、命からがら逃げ落ちてしまったのである。
ここかしこの荒野に捨て去られた屍は一万の余を超えていた。
「劉繇、たのむに足らず」
と見かぎって、孫策の陣門へ降参してゆく兵も一群れまた一群れと、数知れなかった。
「華々しく一戦せん」と、玉砕を誓った残党たちもあった。
「あっ、孫策だ」と、あわただしく弓をとって引きしぼった。
それこそ、孫策であった。
孫策は、起たなかった。
大勢の兵は、彼の体をかつぎ上げて、味方の中へ隠れこんだ。
その夜。
寄手は急に五里ほど陣をひいてしまった。陣中は寂として、墨の如く夜霧が降りていた。そして、随処に弔旗が垂れていた。
「急所の矢創が重らせたもうて、孫将軍には、あえなく息を引取られた」と、士卒の端まで哭き悲しんでいた。まだ、喪はふかく秘せられているが、不日、柩を奉じて引揚げるか、埋葬の地をさだめて、戦場の丘に仮の葬儀が営まれるであろうと、ささやき合ったりしていた。
城中から捜りに出ていた細作は、さっそく、立帰って、
張英は膝を打って、
「そうだろう! おれの矢にあたって、助かった者はない」と、衆に誇った。
しかし、なお念のためにと、陳横の手から、再度、物見を放って見ると、その朝、附近の部落民が、怖ろしくがんじょうな柩を、大勢して重そうに陣門へ担いこんでゆくのを見た。
「間違いはありません。孫策はたしかに落命しました。そして葬儀も近いうち仮に営むらしく、そっと支度しています」
物見の者は、一点の疑いも挟まず、ありのまま復命した。
「うまく行ったな」
ニタリと笑いあった。
三
星の静かな夜であった。
一軍の兵馬が、ひっそりと、水の流れるように、野を縫ってゆく。
哀々たる銅角を吹き、羯鼓を打ち鳴らし、鉦板をたたいて行く――葬送の音楽が悲しげに闇を流れた。兵馬みな黙し、野面を蕭々と風も哭く。
一かたまりの松明のひかりの中に新しい柩が守られていた。
ひらめく五色の弔旗も、みな黒く見えた。――柩の前後に従いてゆく諸将も、
「――ああ」
と、時折、空を仰いだ。
それまで――
草かと見えたものも、石か木かと見えたものもすべて喊の声をあわせて襲ってきた。
すでに、大きな支柱を亡った孫軍は、いかに狼狽するかと思いのほか、
「来たぞ」
葬列は、たちまち、五行にわかれて整然たる陣容をつくり、
という号令の声が高く聞えた。
張英は驚いて、
「あッ、敵には備えがあったらしいぞ、立騒がぬところを見ると、何か、計があるやも知れぬ」
味方の軽はずみを戒めて戦っていたが、もとより秣陵の城内をほとんど空にして出て来た小勢である。たちまち、撃退されて、
「もどれもどれ。城中へひきあげろ」と、争って引っ返した。
すると途中の林の中から、
張英は、わが耳を疑いながら、たかの知れた敵蹴ちらして通れ――と下知しながら、はや血戦となった中を馳けていたが、そのうちに、
「張英とは、汝かっ」
と、正面へ躍ってきた一騎の若武者がある。
「やっ、死んだとは、偽りであったか」
仰天して逃げかけると、
「浅慮者ッ」と、大喝して、孫策の馬は後ろから彼の馬の尻へ重なった。
とたんに張英の胴は、黒血三丈を噴いて、首はどこかに飛んでいた。
陳横も、討たれた。
この頃から、彼の勇名は、一時に高くなって、彼を呼ぶに、人々はみな、
と、称えたり、また、
小覇王、
と唱えて敬い畏れた。