転戦
一
関羽は、礼をほどこして後、
「太守には今、士を四方に求めらるると聞く。果して然りや」
と、訊ねた。
「然り。諸所の駅路に高札を建てしめ、士を募ること急なり。卿もまた、檄に応じてきたれる偉丈夫なるか」と、いった。
そこで関羽は、
「さん候。この国、黄賊の大軍に攻蝕せらるること久しく、太守の軍、連年に疲敗し給い、各地の民倉は、挙げて賊の毒手にまかせ、百姓蒼生みな国主の無力と、賊の暴状に哭かぬはなしと承る」
あえて、媚びずおそれず、こう正直にいってからさらに重ねて、
「われら恩を久しく領下にうけて、この秋をむなしく逸人として草廬に閑を偸むをいさぎよしとせず、同志張飛その他二百余の有為の輩と団結して、劉玄徳を盟主と仰ぎ、太守の軍に入って、いささか報国の義をささげんとする者でござる。太守寛大、よくわれらの義心の兵を加え給うや否や」
と、述べ、終りに、玄徳の手書を出して、一読を乞うた。
劉焉は、聞くと、
「この秋にして、卿ら赤心の豪傑ら、劉焉の微力に援助せんとして訪ねらる、まさに、天祐のことともいうべきである。なんぞ、拒むの理があろうか。城門の塵を掃き、客館に旗飾をほどこして、参会の日を待つであろう」
といって、非常な歓びようであった。
「では、何月何日に、ご城下まで兵を率いて参らん」と、約束して関羽は立帰ったのであるが、その折、はなしのついでに、義弟の張飛が、先ごろ、楼桑村の附近や市の関門などで、事の間違いから、太守の部下たる捕吏や役人などを殺傷したが、どうかその罪はゆるされたいと、一口ことわっておいたのである。
そのせいか、あれっきり、市の関門からも、捕吏の人数はやって来なかった。いやそれのみか、あらかじめ、太守のほうから命令があったとみえ、劉玄徳以下の三傑に、二百余の郷兵が、突然、楼桑村から涿郡の府城へ向って出発する際には、関門のうえに小旗を立て、守備兵や役人は整列して、その行を鄭重に見送った。
「やあ、先に行く大将は、蓆売りの劉さんじゃないか」
「そのそばに、馬にのって威張って行くのは、よく猪の肉を売りに出ていた呑んだくれの浪人者だぞ」
「なるほど。張だ、張だ」
「あの肉売りに、わしは酒代の貸しがあるんだが、弱ったなあ」
などと群集のあいだから嘆声をもらして、見送っている酒売りもあった。
義軍はやがて、涿郡の府に到着した。道々、風を慕って、日月の旗下に馳せ参じる者もあったりして、府城の大市へ着いた時は、総勢五百をかぞえられた。
太守は、直ちに、玄徳らの三将を迎えて、その夜は、居館で歓迎の宴を張った。
二
「さもあらん」と、劉焉はうなずくことしきりでなおさら、親しみを改め、左右の関、張両将をあわせて、心から敬いもした。
折ふし。
玄徳の軍五百余騎は、初陣とあって意気すでに天をのみ、日ならずして大興山の麓へ押しよせてみたところ、賊の五万は、嶮に拠って、利戦を策し、山の襞や谷あいへ虱のごとく長期の陣を備えていた。
時、この地方の雨期をすぎて、すでに初夏の緑草豊かであった。
合戦長きにわたらんか、賊は、地の利を得て、奇襲縦横にふるまい、諸州の黄匪、連絡をとって、いっせいに後路を断ち、征途の味方は重囲のうちに殲滅の厄にあわんもはかりがたい。
玄徳は、そう考えたので、
「いかに張飛、関羽。太守劉焉をはじめ、校尉鄒靖も、われらの手なみいかにと、その実力を見んとしておるに違いない。すでに、味方の先鋒たる以上、いたずらに、対峙して、味方に長陣の不利を招くべからずである。挺身、賊の陣近く斬入って、一気に戦いを決せんと思うがどうであろう」
二人へ、計ると、「それこそ、同意」と、すぐ五百余騎を、鳥雲に備え立て、山麓まぢかへ迫ってからにわかに鼓を鳴らし諸声あげて決戦を挑んだ。
賊は、山の中腹から、鉄弓を射、弩をつるべ撃ちして、容易に動かなかったが、
「寄手は、たかのしれた小勢のうえに、国主の正規兵とはみえぬぞ、どこかそこらから狩り集めてきた烏合の雑軍。みなごろしにしてしまえ」
賊の副将鄧茂という者、こう号令を下すや否や、柵を開いて、山上から逆落しに騎馬で馳けおりて来、
「やあやあ、稗粕をなめて生きる、あわれな郷軍の百姓兵ども。官軍の名にまどわされて死骸の堤を築きに来りしか。愚かなる権力の楯につかわるるを止めよ。汝ら、槍をすて、馬を献じ、降を乞うなれば、わが将、大方程遠志どのに申しあげて、黄巾をたまわり、肉食させて、世を楽しみ、その痩骨を肥えさすであろう。否といわば、即座に包囲殲滅せん。耳あらば聞け、口あらば答えよ。――いかに、いかに!」と、呼ばわった。
三
「推参なり、野鼠の将」
「天地ひらけて以来、まだ獣族の長く栄えたる例はなし。たとい、一時は人政を紊し、暴力をもって権を奪うも、末路は野鼠の白骨と変るなからん。――醒めよ、われは、日月の幡を高くかかげ、暗黒の世に光明をもたらし、邪を退け、正を明らかにするの義軍、いたずらに立ち向って、生命をむだに落すな」
聞くと、程遠志は声をあげて、大笑し、
「白昼の大寝言、近ごろおもしろい。醒めよとは、うぬらのこと。いで」
と、重さ八十斤と称する青龍刀をひッさげ、駒首おどらせて玄徳へかかってきた。
「この下郎っ」
おめきながら割って入り、先ごろ鍛たせたばかりの丈余の蛇矛――牙形の大矛を先につけた長柄を舞わして、賊将程遠志の盔の鉢金から馬の背骨に至るまで斬り下げた。
「やあ、おのれよくも」
「豎子っ、なんぞ死を急ぐ」
賊の二将が打たれたので、残余の鼠兵は、あわて乱れて、山谷のうちへ逃げこんでゆく。それを、追って打ち、包んでは殲滅して賊の首を挙げること一万余。降人は容れて、部隊にゆるし、首級は村里の辻に梟けならべて、
――天誅はかくの如し。
と、武威をしめした。
「幸先はいいぞ」
「なあ兄貴、このぶんなら、五十州や百州の賊軍ぐらいは、半歳のまに片づいてしまうだろう。天下はまたたく間に、俺たちの旗幟によって、日月照々だ。安民楽土の世となるにきまっている。愉快だな。――しかし、戦争がそう早くなくなるのがさびしいが」
「ばかをいえ」
関羽は、首をふった。
「世の中は、そう簡単でないよ。いつも戦はこんな調子だと思うと、大まちがいだぞ」
大興山を後にして、一同はやがて幽州へ凱旋の轡をならべた。
太守劉焉は、五百人の楽人に勝利の譜を吹奏させ、城門に旗の列を植えて、自身、凱旋軍を出迎えた。
ところへ。
「大変です。すぐ援軍のご出馬を乞う」と、ある。
「何事か」と、劉焉が、使いのもたらした牒文をひらいてみると、
と、あった。
玄徳は、また進んで、
「願わくば行いて援けん」
四
時はすでに夏だった。
青州の野についてみると、賊数万の軍は、すべて黄の旗と、八卦の文を証とした幡をかざして、その勢い、天日をも侮っていた。
「なにほどのことがあろう」と、玄徳も、先頃の初陣で、難なく勝った手ごころから、五百余騎の先鋒で、当ってみたが、結果は大失敗だった。
一敗地にまみれて、あやうく全滅をまぬがれ、三十里も退いた。
「これはだいぶ強い」
関羽は、
「寡をもって、衆を破るには、兵法によるしかありません」と一策を献じた。
「追えや」
「討てや」
と、図にのって、賊の大軍は、陣形もなく追撃してきた。
「よしっ」
太陽は、血に煙った。
草も馬の尾も、血のかからない物はなかった。
「それっ、今だ」
逃げる賊軍を追って、そのまま味方は青州の城下まで迫った。
青州の城兵は、
――援軍来る!
と知ると、城門をひらいて、討って出た。なだれを打って、逃げてきた賊軍は、城下に火を放ち、自分のつけた炎を墓場として、ほとんど、自滅するかのような敗亡を遂げてしまった。
「もし、卿らの来援がなければ、この城は、すでに今日は賊徒の享楽の宴会場になっていたであろう」
と、人々を重く賞して、三日三晩は、夜も日も、歓呼の楽器と万歳の声にみちあふれていた。
鄒靖は、軍を収めて、
「もはや、お暇せん」
「ずっと以前――私の少年の頃ですが、郷里の楼桑村に来て、しばらくかくれていた盧植という人物がありました。私は、その盧植先生について、初めて文を学び、兵法を説き教えられたのです。その後先生はどうしたかと、時おり、思い出すのでしたが、近頃うわさに聞けば、盧植先生は官に仕えて、中郎将に任ぜられ、今では勅令をうけて、遠く広宗(山東省)の野に戦っていると聞きます。――しかしそこの賊徒は、黄匪の首領張角将軍直属の正規兵だということですから、さだめしご苦戦と察しられるので、これから行って、師弟の旧恩、いささかご加勢してあげたいと思うのです」と、心のうちをもらした。
もとより義軍であるから、鄒靖も引止めはしない。
「しからば、貴下の手勢のみ率いて、兵糧そのほかの賄、心のままにし給え」
と、武人らしく、あっさりいって別れた。
五
しきりに首をひねっていたが、まだ思い出せない容子だった。
戦地といっても、さすが漢朝の征旗を奉じてきている軍の本営だけに、将軍の室は、大きな寺院の中央を占め、境内から四門の外郭一帯にかけて、駐屯している兵馬の勢威は物々しいものであった。
「はっ。――確かに、劉備玄徳と仰っしゃって、将軍にお目にかかりたいと申して来ました」
外門から取次いできた一人の兵はそういって、盧将軍の前に、直立の姿勢をとっていた。
「一人か」
「いいえ、五百人も連れてであります」
「五百人」
唖然とした顔つきで、
「じゃあ、その玄徳とやらは、そんなにも自分の手勢をつれて来たのか」
「はてなあ?」
なおさら、思い当らない容子であったが、取次ぎの兵が、
「ああ! では蓆売りの劉少年かもしれない。いや、そういえば、あれからもう十年以上も経っておるから、よい若人になっている年頃だろう」
やがて玄徳は通った。
盧植は、ひと目見て、
「おお、やはりお前だったか。変ったのう」と、驚いた目をした。
「先生にも、その後は、赫々と洛陽にご武名の聞え高く、蔭ながらよろこんでおりました」
そして彼は、自分の素志をのべた上、願わくば、旧師の征軍に加わって、朝旗のもとに報国の働きを尽したいといった。
「よく来てくれた。少年時代の小さな師恩を思い出して、わざわざ援軍に来てくれたとは、近頃うれしいことだ。その心もちはすでに朝臣であり、国を愛する士の持つところのものだ。わが軍に参加して、大いに勲功をたててくれ」
そのため、官軍のほうが、かえって守勢になり、いたずらに、滞陣の月日ばかり長びいていたのだった。
「軍器は立派だし、服装も剣も華やかだが、洛陽の官兵は、どうも戦意がない。都に残している女房子供のことだの、うまい酒だの、そんなことばかり思い出しているらしい」
張飛は、時々、そんな不平を鳴らして、
「長兄。こんな軍にまじっていると、われわれまでが、だらけてしまう。去って、ほかに大丈夫の戦う意義のある戦場を見つけましょう」
そのうちに、盧植のほうから、折入って、軍機にわたる一つの相談がもちかけられた。
六
盧植がいうには、
――そもそもこの地方は、嶮岨が多くて、守る賊軍に利があり、一気に破ろうとすれば、多大に味方を損じるので、心ならずも、こうして長期戦を張って、長陣をしている理であるが、折入って、貴下に頼みたいというのは、賊の総大将張角の弟で張宝・張梁のふたりは目下、潁川(河南省・許昌)のほうで暴威をふるっている。
ここでも勝敗決せず、官軍は苦戦しているが、わが広宗の地よりも、戦うに益が多い。ひとつ貴下の手勢をもって、急に援軍におもむいてもらえまいか。
「玄徳殿。行ってもらえまいか」
盧植の相談であった。
「承知しました」
玄徳は、もとより義をもって、旧師を援けにきたので、その旧師の頼みを、すげなく拒む気にはなれなかった。
即刻、軍旅の支度をした。
「お手伝いに参った」とあいさつすると、
「ははあ。何処で雇われた雑軍だな」と、朱雋は、しごく冷淡な応対だった。
そして、玄徳へ、
「まあ、せいぜい働き給え。軍功さえ立てれば、正規の官軍に編入されもするし、貴公らにも、戦後、何か地方の小吏ぐらいな役目は仰せつかるから」
などともいった。
張飛は、
「ばかにしておる」
食糧でも、軍務でも、また応対でも、冷遇はするが、与えられた戦場は、もっとも強力な敵の正面で、官軍の兵が、手をやいているところだ。
地勢を見るに、ここは広宗地方とちがって、いちめんの原野と湖沼だった。
敵は、折からの、背丈の高い夏草や野黍のあいだに、虫のようにかくれて、時々、猛烈な奇襲をしてきた。
「さらば。一策がある」
「名案です。長兄は、そもそも、いつのまにそんなに、孫呉の兵を会得しておられたんですか」
と、二人とも感心した。
その晩、二更の頃。
そして、用意の物に、一斉に火を点じると、
「わあっ」
と、鬨の声をあげて、炎の波のように、攻めこんだ。
かねて、兵一名に、十把ずつの松明を負わせ、それに火をつけて、なだれこんだのである。
寝ごみを衝かれ、不意を襲われて、右往左往、あわて廻る敵陣の中へ、投げ松明の光は、花火のように舞い飛んだ。
草は燃え、兵舎は焼け、逃げくずれる賊兵の軍衣にも、火がついていないのはなかった。
すると彼方から、一彪の軍馬が、燃えさかる草の火を蹴って進んできた。見れば、全軍みな紅の旗をさし、真っ先に立った一名の英雄も、兜、鎧、剣装、馬鞍、すべて火よりも赤い姿をしていた。
七
「やよ、それに来る豪傑。貴軍はそも、敵か味方か」
先でも、玄徳たちを、
「官軍か賊軍か?」と疑っていたように、ぴたと一軍の前進を停めて、
と、呶鳴り返してきた。
「戦場とて、失礼をいたした。それがしは涿県楼桑村の草莽より起って、いささか奉公を志し、討賊の戦場に参加しておる義軍の将、劉備玄徳という者です。それにおいである豪傑は、そも何ぴとなりや。願わくばご尊名をうかがいたい」
いうと、紅の旗、紅の鎧、紅の鞍にまたがっている人物は、玄徳の会釈を、馬上でうけながら微笑をたたえ、「ごていねいな挨拶。それへ参って申さん」と、赤夜叉の如く、すべて赤く鎧った旗本七騎につつまれて、玄徳の間近まで馬をすすめて来た。
近々と、その人物を見れば。
年はまだ若い。肉薄く色白く、細眼長髯、胆量人にこえ、その眸には、智謀はかり知れないものが見えた。
声静かに、名乗っていう。
「われは沛国譙郡(安徽省・毫県)の生れで、曹操字は孟徳、小字は阿瞞、また吉利ともいう者です。すなわち漢の相国曹参より二十四代の後胤にして、大鴻臚曹崇が嫡男なり。洛陽にあっては、官騎都尉に封ぜられ、今、朝命によって、五千余騎にて馳せ来り、幸いにも、貴軍の火攻めの計に乗じて、逃ぐる賊を討ち、賊徒の首を討つことその数を知らないほどです。――ひとつお互いに両軍声をあわせて、天下の泰平を一日もはやく地上へ呼ぶため、凱歌をあげましょう」
「結構です。では、曹操閣下が矛をあげて、両軍へ発声の指揮をしてください」
玄徳が謙遜していうと、
「では、一緒に、指揮の矛を揚げましょう」
「なるほど、それならば」
野火は燃えひろがるばかりで賊徒らの住む尺地も余さなかった。賊の大軍は、ほとんど、秋風に舞う木の葉のように四散した。
「愉快ですな」
曹操は、かえりみて云った。
兵をまとめて、両軍引揚げの先頭に立ちながら、玄徳は、彼と駒を並べ、彼と親しく話すかなりな時間を得た。